書評
『放射能問題に立ち向かう哲学』(筑摩書房)
「不明なこと・偽の問題」明確に
放射線被曝の人体への影響という、深刻で、しかも風評が飛び交う議論に、〈不寝番〉の役を買って出る哲学研究者が、ようやっと現れた。被災地外で子供たちを守るためになされるそれ自体は正しい行動が、被災地の物産や瓦礫の搬入を忌避する行動へと裏返り、それがやがて被災地差別や復興阻害につながってゆくという不幸な光景が、被曝限度の法令基準が出された頃から浮き立ってきた。これは、福島の原発事故を機に、不条理、不安、不信といった「不の感覚」と、科学による「客観的」評価という、被曝をめぐる二つのスタンスが、それぞれにぶれたまま捻れあうところに起因すると、著者は見る。安全/危険について何がどこまで確実に言えるかを冷静に見究めないと、無用の被害が増すばかりだ、と。
そこで著者が取り組むのは、「低線量放射線を長期に被曝したら、がん死する」という言明における「たら」が、いったいどのような論理的性質をもつものかを、「因果性」をめぐる哲学の議論をベースに解き明かすことである。精緻をきわめた議論をへて導かれるのは、因果関係というものがつねになんらかのシナリオを下敷きにしていること、安全/危険についての議論には(線量の測定から確率の読みまで)断定の不可能性ということが本質的に含まれていることだ。問題はだから、どれほどのリスクかという「程度」にあり、それにもとづいて「より正しい」シナリオをどう模索し、行動に反映してゆくかにある。
予断や「不」の感情に振り回されることなく、何がまだ不明なのか、何が偽の問題なのかを明確にするという「ハエ取り器」の仕事を、著者は哲学の研究者として、そして被曝の不安にさらされた地域の一住民として、見事にやりとげている。世の〈不寝番〉たるべき哲学を象徴するあの「ミネルヴァの梟」はまだ死んではいなかった。
朝日新聞 2013年02月24日
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