書評
『川柳のエロティシズム』(新潮社)
性で見せる粋や通好み
町の大掃除の日に『誹風末摘花』という古本を拾ったのだが、ちっとも句の意味がわからん。「ばれ句ってなあに」と人に聞くわけにもいかず悶々としていたので、この下山弘『川柳のエロティシズム』(新潮選書)はとても役に立った。非常に簡潔な本だが、著者の長年の研鑽が知られ、文体も小気味よい。要するに十八世紀後半、粋のお手本、通の見本を見せびらかしたい男たちが遊びでつくったのが川柳で、その趣味は「無知、粗野、低俗」を嘲笑する高踏的なものである。
だからばれ句は猥褻表現が目的なのでなく、性という禁忌の多い題材を扱って粋や通好みを見せるのであり、酒落やうがちを働かせるのだという。
もくざうの生きてはたらく長つぼね
いやな男も来よふなと浅ぎいひ
あれとかとあきれるやつと後家は出来
御妾の疵には一字ほつて有
後家や御殿女中は欲求不満、浅黄裏は田舎者、妾はすれっからし、下女は不美人で好色というステロタイプな約束ごとがあって、想像力によるその着せ替え人形が川柳である。一歩まちがえば唯我独尊で嫌味だが、
はらんでもおれはしらぬとむごいやつ
粋や通を自認する男は少くともこんなことはしないという批評がある。人情の機微をうがつ渋い句も多い。
はりかたが出て母おやを又なかせ
逆縁だけだってさんざ泣いたのにねえ。娘の天折という愁嘆場に似合わぬとんでもない品物を持ってきた意外性が利いていると著者はいう。
いやならばいゝがかゝあにさういふな
は上司の威光をカサにきたケチな男のオフィス・ラブ。
その手代その下女昼は物言はず
忍ぶ恋は知らん顔。通じているという気配すら絶つ。不易の哀感をにじませて二百年、色あせない川柳に学びたいものだ。
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