書評
『頼山陽──詩魂と史眼』(岩波書店)
生涯在野の儒学者、その姿を描きだす
頼山陽『日本外史』は幕末維新のベストセラー。武家政権の興亡を儒学の観点で描く歴史書だ。格調高い漢文で、地名人名や武将の発言はあえて日本語風。躍動する文章で尊皇思想を宣揚した。歴史書のお手本は司馬遷の『史記』。本書はそれに倣って紀伝体だ。ただし主役は皇帝でも天皇でもなく、幕府を開いた武将らだ。源氏正記の前後記に平氏、北条氏を、徳川氏正記の前記に織田氏、豊臣氏を配する。新田氏の正記も立てたのが目をひく。徳川家康が新田氏の末裔なのを配慮した。中国の正史の形を借りて武家の政権交代を描く破格の歴史書だ。
そもそも頼山陽は、一個人なのになぜ歴史書を執筆したのか。
頼山陽は一七八○年大坂の生まれ。父の春水(しゅんすい)は町人で、私塾で朱子学を教えていた。その父が広島藩に儒者として召し抱えられ、一家は広島に移った。山陽は聡明で幼いうちから漢詩を詠み、でも病弱で精神が不安定だった。遊興に溺れた。嫁がいれば直るかと結婚させたがなおダメ。無断で京都に出奔した。脱藩は重罪だ。連れ戻して座敷牢に三年幽閉し、廃嫡し身重の嫁とも離縁にした。狂気ならと無罪になった。山陽は反省して、父の宿願だった歴史書を自分が書いて償おうと心に誓った。
まず参照すべきは北畠親房『神皇正統記』。朱子学の正統論で天皇歴代を考察している。林羅山らの『本朝通鑑』。新井白石『読史余論(とくしよろん)』。栗山潜鋒(せんぽう)『保建大記』。これらを踏まえ、歴史の動因を考える。人間に左右できない「勢」と人間が捉えるべき「機」との組み合わせでは。この着眼を、具体的な事例によって磨いていく。
武家政権は中国になくて日本独特。どう論ずるか。武士は武力をもつ。本来分権的で抗争する。その主従関係が強固に安定すると社会は安定し、綻(ほころ)ぶと世が乱れる。ポイントは武士が天皇を尊び服従することだ。中国の「天-皇帝」の関係と日本の「天皇-将軍」の関係はよく似ている。ならば朱子学の原則を日本に適用できる。武家政権の興亡を、尊皇思想を補助線に読み解くことができる。
『日本外史』は山陽の没後に出版された。たちまち評判となり、中国でも出版された。武士の漢文の学力は大したものだった。
山陽は生涯在野の知識人で、塾で門人を教え、地方を旅して指導料を稼いだ。そうして生活を支えながら、歴史を学び漢詩に遊んだが、書画骨董にも目がなかった。知人が三五両で購入した山水画が欲しくなり、懐から三五両を投げ出し強奪しようとして騒動になった。性格が子どもっぽく、よくトラブルを起こしては恨まれた。
それでも山陽の才能は隠れもない。『日本外史』に続き『通議』『日本政記』を執筆した。前者は歴史を考察する原理論と、官制・民政・法律・兵制などを論ずる経世論だ。晩年病の床でも最期まで原稿に手を入れ続けたという。
頼山陽をどう評価すべきか。
誰もが尊皇であるべきだと『日本外史』は説いた。明治維新の導火線になった。だから戦前は、評価が高かった。戦後はその反動でパスされてきた。著者・揖斐氏は近世文学が専門。たまたま若き山陽の紀行文『東遊漫録』の出版に関わり、以来研究してきた。本書は小ぶりな新書だが、山陽の多彩な全体像を巧みに描きだす。旧来の素材に新風を吹き込む好著だ。
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