書評
『鶴屋南北 ~かぶきが生んだ無教養の表現主義~』(中央公論社)
四世鶴屋南北といえば、「東海道四谷怪談」。それが通り相場だが、近頃では「桜姫東文章」のほうを思い浮かべる人も少なくないだろう。玉三郎と孝夫(現・仁左衛門)の美しいコンビを不動のものにした芝居である。これを蘇らせたのが、ほかならぬ著者である。
その著者が、「わたしに住みついた南北像を彫り出してみようと試みた」という本書(中公新書、一九九四)は、江戸後期を生きた稀有の才能をまことに鮮やかに浮かび上がらせる。
その出自から死まで一応は時間軸に沿いながら、しかし語られるのは南北の伝記ではない。あくまでも作風であり奇想である。たとえば、出世作「鯨のだんまり」で、舞台正面いっぱいに黒いパネルを張って大鯨の胴体と見立て、そこから海賊の親玉がぬっと出てくる趣向。あるいは、蝦夷地への民衆の関心が高まると、早速「あざらし入道」を登場させるといった発想。
従来の作者道を逸脱したこうした作風、その放埒なまでの自由さは、ときに南北無学説を呼びおこした。しかし著者は、無学が才能の隠れ蓑となったと見る。そこに南北の自負があった。かぶき者には「教養」は邪魔だ。台本は「教養」で書くものではなく、「仕組む」ものだというわけである。本書の副題にいう「無教養の表現主義」とは、そういうことである。
徹底的な視覚化、グロテスクなまでの見世物化が時代と軌を一にする。「独道中(ひとりたび)五十三駅(つぎ)」は、ほとんど映画的なからくり芝居と化す。
しかし南北が最後に仕組んだのは、自分自身の葬式だった。「万歳」で送るという演出を書きのこしたのである。これこそ茶番と戯作を人生とした者の幕切れだった。これを許したのも江戸美学である、と著者はいう。
該博な知識に裏づけられた、そしてそれゆえにこそ「無教養」への憧れにも似た熱い共感に支えられた書物である。
【この書評が収録されている書籍】
その著者が、「わたしに住みついた南北像を彫り出してみようと試みた」という本書(中公新書、一九九四)は、江戸後期を生きた稀有の才能をまことに鮮やかに浮かび上がらせる。
その出自から死まで一応は時間軸に沿いながら、しかし語られるのは南北の伝記ではない。あくまでも作風であり奇想である。たとえば、出世作「鯨のだんまり」で、舞台正面いっぱいに黒いパネルを張って大鯨の胴体と見立て、そこから海賊の親玉がぬっと出てくる趣向。あるいは、蝦夷地への民衆の関心が高まると、早速「あざらし入道」を登場させるといった発想。
従来の作者道を逸脱したこうした作風、その放埒なまでの自由さは、ときに南北無学説を呼びおこした。しかし著者は、無学が才能の隠れ蓑となったと見る。そこに南北の自負があった。かぶき者には「教養」は邪魔だ。台本は「教養」で書くものではなく、「仕組む」ものだというわけである。本書の副題にいう「無教養の表現主義」とは、そういうことである。
徹底的な視覚化、グロテスクなまでの見世物化が時代と軌を一にする。「独道中(ひとりたび)五十三駅(つぎ)」は、ほとんど映画的なからくり芝居と化す。
しかし南北が最後に仕組んだのは、自分自身の葬式だった。「万歳」で送るという演出を書きのこしたのである。これこそ茶番と戯作を人生とした者の幕切れだった。これを許したのも江戸美学である、と著者はいう。
該博な知識に裏づけられた、そしてそれゆえにこそ「無教養」への憧れにも似た熱い共感に支えられた書物である。
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