「孤独死は誰にでも起こりうる」これまで700件以上の孤独死の現場を特殊清掃してきた27歳の遺品整理人・小島美羽さんは、その現実を世に知ってもらいたい一心で、4年前から自身が訪れた現場の特徴をミニチュアで再現するようになった……。
先日(2020年6月21日)、小島さんを取材した「ザ・ノンフィクション――孤独死の向こう側~27歳の遺品整理人~」(フジテレビ)が放送された。昨年(2019年)夏に刊行された『時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』(小島美羽著/原書房刊)がふたたび注目されている。
凄惨な現場にも行き会うことも少なくないこの仕事を20代の女性がなぜ選び、ミニチュアを作り続けるのか。国内だけでなく、海外メディアからの取材も絶えない筆者が、これまでの取材では語り切れなかった想いを初めて綴った本書から第1章「音信不通の父親」を公開する。
部屋に散乱する生活ゴミと中年男性の孤独死
独身で実家での一人暮らし。両親は他界。無職。部屋には馬券などギャンブルのはずれ券や新聞が大量に散乱。飲みかけの一升瓶や大量のカップ酒の容器、山となったコンビニ弁当の空き容器……。五、六十代男性。
発見されるのは、死後三~六か月。
発見者は、害虫の増加や異臭などの異変に気づいたアパートの大家さんや、水道メーター検針員、新聞配達員。
これが、わたしが訪れた孤独死の現場で、最も多いケースだ。
部屋の住人は、社会との関わりを自ら断ってしまっていた人が多い。
ごみ出しのときに近所の人に挨拶を返さなかったり、家にいても居留守を使うことが多かったり。
料理もせずにコンビニ弁当、そのほかの買い物は家から極力出ずにネットショッピングで済ませてしまう。
そのため、外で姿を見かけない日が続いても、誰も気がつかない。
わたしがミニチュアで再現したのは、こうした中高年男性の部屋。
共通しているのは布団を中心に生活していることで、何らかの持病を抱え、布団の上で最期を迎えることが多い。
布団から手の届く範囲にあらゆる生活用品を置いていて、残された弁当の空き容器や、大量の飲酒を示す酒瓶を見れば、そうした生活習慣が、脳梗塞や心筋梗塞を引き起こしたと想像するのはたやすい。
そして布団の周囲には多くのごみが散乱しているが、座ったり寝たりしていたであろうスペースだけが、ぽっかり空いている。
その人が生きていた証のように。
三月のまだ寒いある日、一本の電話が入った。
「父がアパートで亡くなっていたようで、清掃をお願いしたいのですが……」
すぐに来てほしいという依頼だったので、わたしは急いで車で現場に向かった。アパートの入り口に依頼者の四十代女性はいた。
「わたしが小さい頃に両親は離婚しているので、父の顔は覚えていないし、連絡も三十年近く取っていなかったんです。だから警察から連絡があったときは驚きました。死後四か月は経っていたそうです。父との思い出はないに等しいので貴重品以外は処分でお願いします。わたしは外で待っていますので、部屋のなかを見てきてもらえますか?」
わたしは部屋に入る前に合掌し、持参した仏花を手になかに入った。
六畳の和室と四畳ほどのキッチンがある室内はとてもきれいと呼べるものではなく、チラシや食べかけの弁当、パンの袋、空き缶や丸まったティッシュ、ビニール袋や薬などがいたるところに散乱し、肌着が干されたままで生活感にあふれていた。
奥に進むと、茶色く変色し、人の形のシミができた布団があった。そこで最期を迎えたということだ。
布団の周りには食べかけの総菜ごみや雑誌、薬や注射針が大量に転がっている。枕には血を吐いた跡があった。糖尿病を患っていたのかもしれない。
死後、時間が経過すると遺体からは体液が漏れ出る。
布団の上で亡くなると、それを中綿が吸収してかなり重くなり、茶色く変色していく。
発見が遅ければ、床にまで浸透してしまうし、木造の場合は死後半年も経つと、階下にまで及んでしまうこともある。
そこで特殊清掃の必要が生じる。
わたしたちは、死臭や体液を徹底的に除去するため、床板や畳まで撤去する。
さらに畳の下にあるラワン合板にも体液が染みてしまっている場合はその部分だけ取り外すか切り取らなければならない。
フローリングの場合も同様で、床上の清掃だけでなく、床下まで確認する。
この作業を怠ると、どんなに清掃をしても臭いは消えない。特殊清掃の技術のない業者だと、表面はきれいにできても床下まで清掃できずに臭いが残ってしまい、結局、専門のところにもう一度依頼することになりかねない。
依頼人と作業の段取りを組んだあと、後日、一日かけて特殊清掃作業を完了した。
部屋に立ち込めていた孤独死特有の臭いがなくなり、はじめて依頼人の女性が部屋のなかに足を踏み入れた。遺品のなかにあった故人の履歴書の写真を見て、切なそうな笑みを浮かべる。
「はっきり言って、顔も覚えていないし、わたしには赤の他人のような人だけど、この人がいたからわたしが生まれたのは間違いないですからね。最後ぐらい血のつながったわたしが見届けたいと思います。父は亡くなる直前、何を想い、亡くなっていったのでしょうね」
故人と長年疎遠だった依頼人のほとんどは、相続放棄する。
なかには、憤りを隠さず、わたしたちにぶつけてくる遺族もいる。
「なぜ自分が清掃費用を負担しなければならないのか」「家族にさんざん迷惑をかけておいて、死んでもまだ迷惑をかけるつもりなのか」「写真も何もいらないので処分してください」と。
しかしいま目の前にいる女性は、たった一人で最期を迎えた顔も覚えていない父親を見送ろうとしている。
家族の歴史のなかで、何があったのかは、わたしには知るすべがないし、家族にしかわからない問題もある。
それでももし生前、この気丈でまっすぐな娘さんに故人が会えていたなら、少し違った結末になっていたかもしれないと、思わずにはいられない。
わたしの亡くなった父も、酒飲みだった。わたしたち姉妹が小さい頃からお酒が大好きで、何かしら家庭内で問題を起こしていた。
お酒を飲むと働きたくなくなるようで、職に就いては辞めるということを繰り返していたので、母の稼ぎだけが頼りの家計はいつも火の車だった。
そんな父がよく飲んでいた焼酎カップが、こうした中高年男性の孤独死の現場を訪れると思い出される。青いキャップはアルコール度数が低く、赤いキャップは度数が高い。実際にこのカップを現場で見かけることも多い。
父はお酒を飲むと気が強くなる人だった。でも、お酒を飲まなければいいお父さん。
わたしが幼稚園ぐらいのときには、運送会社で働いていた父のトラックによく乗せてもらったし、家族で川に遊びに行ったりもした。
依頼者の父親にも、そうした家族との思い出があっただろうか。
わたしが現場に行くときには、すでに故人の姿はない。
そういう仕事だ。
遺族や大家さんから聞いた話と、ただ、「部屋」と「物」がそこに取り残されているだけ。
でも、それらは雄弁に故人の人生を語っているようでもある。
父の人生に重なる。
亡くなったとき、父は五十四歳だった。
[書き手]小島美羽(遺品整理人)
1992年8月17日、埼玉県生まれ。2014年より遺品整理クリーンサービス(株式会社ToDo-Company)に所属し、遺品整理やごみ屋敷の清掃、孤独死の特殊清掃に従事する。孤独死の現場を再現したミニチュアを2016年から独学で制作開始し、国内外のメディアやSNSで話題となる)