書評
『語前語後』(朝日新聞出版)
“自分ノート”、卓越した知性で面白く
自分史を綴ることがはやっている。いや、本当はそんなに、はやっていないのかもしれない。挑戦してみたけれど、なかなかうまく書けない。途中であきらめてしまう。それが実情ではあるまいか。たとえ自分のことであっても、長い一生を、煩雑な半生を、それなりにまとめて書きあげるのはむつかしい(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2009年)。――じゃあ、これはどうかな――
本書を読んで、ふと考えた。安野光雅はこの手のエッセーをすでにいくつか上梓しているようだが、それはともかく内容的には、つね日ごろ“こころにうつりゆくよしなしごと”を記したメモランダム、自分ノートとでも呼べばよいのだろうか。
巻末の対談“絵描きと数学者の出会い”を除けば、172ページが253の断片から成っている。思いついたこと、見聞したこと、などなどを10行、20行で綴っている。それがおもしろい。たとえば、“落語家の立川談四楼は、「儲けるという字は『信者』とある。宗教が儲かるわけだ」と言うのだった。人の為、と書いて「偽り」とは、以前書いたことがある。ウ冠は家を表すが、そこに百人が来ると「宿」となる。これなんぞは罪が軽い”。
わたしが初めて外国に行ったころは、一ドルが三六〇円だったが、今は一〇五円~一〇八円くらい(中略)。変われば変わるものだと知人と話していたら、初め為替相場をつくるにあたり、円をどの程度に見積もっていいか分からないので、「なにしろ円だから、三六〇度という手もある。だから三六〇円にしておこう」という話があったそう。
ミシュランも、お国のフランスだけでやっていればいいのに、日本に来てまで採点するのは、おおきなお世話というものではないか。
こんな調子で満載されている。おもしろいのは安野の卓越した知性のせいだろうけれど、これならばまねができないこともない、自分自身の頭に対するブレーンストーミング、気づいたこと、腹が立ったこと、どんどん綴っておけば、よい記録になる。自分史よりらくだ。
【文庫版・自選ベストエッセイ集】
朝日新聞 2009年01月18日
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