書評

『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)

  • 2020/07/17
猫を棄てる 父親について語るとき / 村上 春樹
猫を棄てる 父親について語るとき
  • 著者:村上 春樹
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(104ページ)
  • 発売日:2020-04-23
  • ISBN-10:4163911936
  • ISBN-13:978-4163911939
内容紹介:
村上春樹が初めて自らのルーツを綴ったノンフィクション。中国で戦争を経験した父親の記憶を引き継いだ作家が父子の歴史と向き合う。

村上春樹「猫を棄てる」をめぐって

『1Q84』を境に、村上春樹の小説では親子関係の描かれ方が変わった。それまで、親子関係は表立って詳細に描かれることはなく、仮に親子が登場しても、『ダンス・ダンス・ダンス』のように、十三歳の娘が写真家の母に放置されていたり、『国境の南、太陽の西』のように、裕福な「僕」が愛車BMW320を駆って青山の名門幼稚園にお迎えにいくのが、親子のふれあいだったりした。

パターナリズムの影がいきおい濃くなるのは、『海辺のカフカ』だ。主人公の少年が実父から、「いずれ父を殺して母と姉と交わることになる」というオイディプス神話的呪いをかけられる。とはいえ、父と息子の関係が直接的に縷々描かれたわけではない。

しかし、「父」は村上作品のそこかしこにいたのだ。作者自身の父の幻影として。「文藝春秋」に寄稿された村上の自伝エッセイ「猫を棄てる」を読めば、自然にそう感じるだろう。作者の実人生のなかにフィクションの種子を見た、あるいは、小説のなかに作者の体験の投影を見た――そう虚心に思えるぐらい、このエッセイは、書き手の韜晦の感じられない(春樹節といわれる比喩表現も、かつてのトレードマーク「やれやれ」も、翻訳調と評される気障なセリフも出てこない)実直な「告白」として読めるのだ。二十七ページのエッセイの大半を占めているのは、父から聞いた戦時中の中国での凄惨な体験や、父の履歴、そして父との「ありふれた日常の」記憶である。

冒頭に、村上少年が父と野球を楽しむ一葉の写真が掲げられ、猫にまつわる不思議なエピソードがつづく。村上は阪神間の夙川に住んでいた時分、父と一緒に自宅から二キロほど離れた海辺に猫を棄てにいったという。自転車で帰ってきて家の扉を開けたら、「にぁあ」といって棄てた猫が出迎えた、というのである。寓話のようなエピソードだ。

ここで猫は退場し、話題が切り替わる。京都にある「安養寺」という浄土宗寺の住職の次男だった父は、毎朝、小さなガラス・ケースに収めた菩薩像にむかって経を唱え、これを「おつとめ」と呼んでいたという。そんな父に、村上は子供のころ一度だけ、誰のためにお経を唱えているのかと尋ねた。「前の戦争で死んでいった人たちのためだと。そこで亡くなった仲間の兵隊や、当時は敵であった中国の人たちのためだと」いう答えがあった。村上少年はそれ以上の質問はしなかった。「僕にそれ以上の質問を続けさせない何かが――場の空気のようなものが――あったのだと思う」と。しかし、と村上はその時を振り返り、それは父が阻んだわけではなく、「おそらくむしろ僕自身の中に、そうすることを阻む何かがあったのだろう」と結論づけるのだ。村上少年はこのとき、のちに「根源的な悪」「絶対的な悪」と呼ぶことになる何かの気配を感じとったのではないか。

問うことを阻む何か。その抑止を振り切った先にあるもの。そこにある扉をひらき、何かと対峙すること。父が抱えた――『1Q84』の牛河の古典的表現を借れば――パンドラの箱を自らの手でひらくことが、ある意味、村上春樹にとって小説を書くということだったのではないだろうか。

その後、「一度だけ父は僕に打ち明けるように、自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したことがあると語った」という。同じ部隊の仲間の兵士が軍刀で斬首刑を執行するのを横で見せられていたのか、もっと深く関与させられたのか、そこはわからない。父が亡くなった(二〇〇八年)今となっては確かめるすべもない。しかし父の回想するその残忍な光景は、当時まだ小学校低学年だった少年の心に、「強烈に焼きつけられることになった」。さらに、「ひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを<中略>息子である僕が部分的に継承したということになるだろう」と。人の心の繋がり、ひいては歴史の本質は<引き継ぎ>という行為、あるいは儀式の中にあるとし、「内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?」とまで言い切る。村上は「重くのしかかっ」たものを引き受け、それを小説の根底に書いて見知らぬ読者に手渡すことで、「引き継ぎ」を行ってきたのだろう。村上にとって小説を書くことは、罪と苦しみの継承でもあったのだと思う。

小説家・村上春樹に創作のダイナモを与えてくれた父だが、息子としては、つねに学業面で父を落胆させているという思い、「慢性的な痛み(無意識な怒りを含んだ痛みだ)」があった。両者の心情的なすれ違いは、村上が学生結婚をしてバーを開業し、職業作家になるにつれ大きくなり(作家デビュー時には「我々の親子関係はもうずいぶん冷え切ったものになっていた」)、父の晩年には絶縁に近い状態にもなった。

こうした父と息子の関係は、二〇〇九年に刊行が始まった『1Q84』の「川奈天吾」と父親を思わせるだろう。天吾は自分が父の実の子なのかという疑念に苛まれ、あるできごと以来ふたりの間には「ずっと冷ややかな空気が流れ」ていた。天吾は父の元に寄りつかなくなるが、定年後、認知症で千倉の療養所に入所した父を二年ぶりに急に見舞う。ふたりはまったくかみ合わない会話を交わし、最後に父は天吾に「なにか読んでくれませんか」と頼む。天吾は猫の町の話を朗読し、横たわる父を見て、「頑強な狭い魂と陰鬱な記憶を抱えた」父の内面を理解するというシーンがつづく。刊行当時、村上春樹が初めて父と息子の関係を描いたと話題になった。

村上がなぜ同作でこのような場面を書いたのか、それは本人にしか(にも)わからない。ただ、「猫を棄てる」を読むと、村上の父は同書が出る前年の二〇〇八年に他界していたことがわかる。九十を超えた父が入院先の西陣の病院で亡くなる少し前に、六十近くになった息子は天吾のように父を見舞った。「そこで(※長年会わなかった)父と僕は――彼の人生の最期の、ほんの短い期間ではあったけれど――ぎこちない会話を交わし、和解のようなことをおこなった」。その次の一文で村上は、「僕らはある夏の日、香櫨園の海岸まで一緒に自転車に乗って、一匹の縞柄の雌猫を棄てにいったのだ」と書く。父と自分を「僕ら」と書くのは、出だしの猫の逸話とここだけだ。

父の死後、村上は知人をたどって、父の話を聞くようになった。しかし軍歴に関しては、死後五年ばかり調査に着手できなかったという。なぜなら、父が「南京陥落のときに一番乗りをしたことで名を上げた」福知山歩兵第二十連隊に在籍したと思いこんでいたためだ。しかしようやく調べてみると、これは勘違いで、父が所属していたのは、同じ第十六師団に属する輜重兵第十六連隊であり、入営は一九三八年八月。つまり、父は南京戦には参加していなかった。村上は「そのことを知って、ふっと気が緩んだというか、ひとつ重しが取れたような感覚があった」と言う。

ここで出てきた「重し」という語に、私は記憶のどこかをくすぐられた。そうだ、『騎士団長殺し』(二〇一七年刊)の「雨田継彦」の自殺にまつわること……。継彦は主人公の友人「雨田政彦」の叔父であり、主人公に別荘を貸している画家の弟にあたる。東京音楽学校(現・東京藝術大学)在学中に徴兵され、上海から南京に至る行軍で自ら手を染めた残虐行為に精神を深く損なわれ、兵役終了後、命を絶つ。徴兵されたのが二十歳のとき、一九三七年六月からの一年間の従軍だった。なぜ、まだ在学中で将来有望なピアニストの彼が徴兵されたのか。「大学に入学したときに出した徴兵猶予の書類に不首尾があったからだ。<中略>どうも事務的な手違いがあったらしい。本人にとっても寝耳に水の話だった。しかしシステムというものはいったん動き出したら、簡単には止められない」とある(第二部)。

自殺後、手記のような遺書が見つかり、それを読んだ父母兄弟は固く口を閉ざし、内容を他言することはなかった。政彦によれば、「すべては家族の暗い秘密として封印され――比喩的に言うならば――重しをつけて深い海の底に沈められた」のだ。しかし、「一度だけ酔っぱらったときに、父親はおれにそのおおまかな内容を話してくれた」と言う。父はまだ小学生の政彦に、叔父が軍刀で捕虜の首を三度も斬らされたという残忍な話を聞かせたのだった。これは、村上の父が小学生の彼に、中国で目の当たりにした残虐な行為を一度だけ打ち明けたというエピソードと重なる。

じつは村上の父も、浄土宗西山派の西山専門学校在学中に、二十歳で徴兵されている。徴兵猶予を受ける権利を有してたが、「正式に事務手続きをすることを忘れていた」せいだ。「あくまで事務上の手違いなのだが、手続きがいったんそういう段階に入ってしまえばもう、〈中略〉修復のきくものではない」。「事務(上)」「手違い」「いったん」そして「重し」といった言葉や文章の展開までが『騎士団長殺し』のくだりとそっくりなことに気づく。ここから推測されるのは、「やはり、この父の実話から継彦のストーリーが作られたのか」という単純なことではない。

むしろ、逆だ。『1Q84』にせよ『騎士団長殺し』にせよ、村上春樹は父の体験を小説内に仮構することで初めて、自分が父から「引き継いだ」ものと父との関係を言語化し、物語化したのだ。父を語る言葉が出現した。それ故、父を語るこのエッセイを書き得た。表現や展開が小説と似たものになるのは当然で、ある意味、現実のほうが物語化、フィクション化したのだろう。エッセイに書かれた“実体験”が虚構を生んだというより、仮構された小説のほうが父との関係、ひいては今回のエッセイを生んだ、生みなおしたのだ。

読者が知らないうちに、「父」は小説のあちこちに描かれていた。戦争の描写が濃密な『ねじまき鳥クロニクル』や、『海辺のカフカ』にも「父」はいただろう。一九三七年ごろ上海に渡り、終戦後抑留されていた「トニー滝谷」の父省三郎のなかにも、ひょっとすると父はいたかもしれない。

村上春樹が実の父について書く。Father and Sonのテーマという古典的でもあり、日本近代文学の香り高い主題を正面から書き切る。以前の村上には、考えにくいことだ。村上へのインタビュー集『みみずくは黄昏に飛びたつ』で、小説を書くことを一軒の家に喩えると、一階は社会的な団らんの場、地下一階は「自我」「親兄弟」「トラウマ」などを扱う「クヨクヨ室」、村上の書きたいことはその下の地下二階にある、と聞き手の川上未映子はまとめている。村上はこれまで、地下二階に行くために地下一階を通るときも「目を伏せ」、日本近代文学の私小説的なお題は見ないようにして、ささっと階下に降りていたらしい。それが、やおら「では、地下一階も見てみるか」という気になった(のか、わからないが)のは、父の死と、それを契機として父の軍歴が明らかになったことが、やはり少なからぬ誘因なのではないか。少なくとも、このエッセイは読み手をしてそう思わせる。

本エッセイには、最後にもまた猫が出てくる。村上少年が見ている前で、飼い猫が庭の松の木に「するすると」登り、降りられなくなって、そのまま姿を消してしまったのだ。これと同じ逸話は、初期短篇「人喰い猫」の思い出話にも登場し、同編が原形となった『スプートニクの恋人』の「すみれ」の話に取り入れられ、さらに『ねじまき鳥クロニクル』にも出てくる。さて、現実の猫が小説でフィクションに化けたのか、フィクションの猫がエッセイで現実に化けたのか? アレゴリカルな意味は色々つけられる(木の中に消えた猫は不可知の世界へと村上をいざなったなどと)が、重要なのは、村上作品においてしばしば予兆となる猫が、エッセイの最初と最後に出てくること。父と子の絆や経験の継承、そして父の戦争体験を綴る本編の幕を軽やかに開き、また閉じる狂言廻しの役割を、二匹の猫は果たしていることだ。

この猫たち、実在してもしなくてもいいのである。
猫を棄てる 父親について語るとき / 村上 春樹
猫を棄てる 父親について語るとき
  • 著者:村上 春樹
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(104ページ)
  • 発売日:2020-04-23
  • ISBN-10:4163911936
  • ISBN-13:978-4163911939
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村上春樹が初めて自らのルーツを綴ったノンフィクション。中国で戦争を経験した父親の記憶を引き継いだ作家が父子の歴史と向き合う。

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