書評
『大忙しの蜜月旅行』(東京創元社)
恋愛小説と推理小説の芳醇な結婚
アガサ・クリスティと並んで、英国探偵小説のいわゆる黄金期を飾る作家の一人であるドロシー・L・セイヤーズに、ピーター・ウィムジイ卿という貴族探偵をシリーズ・キャラクターとする一連の作品群がある。その中の一作で、セイヤーズの代表作でもある『学寮祭の夜』において、ピーター・ウィムジイ卿はオックスフォード大学の卒業生で売れっ子の探偵小説家になっているハリエット・ヴェインと恋に落ち、求婚する。そして二人が結婚式を挙げ、初夜を迎えるところから始まるのが、シリーズ最後の作品となった、この『大忙しの蜜月旅行』である。この作品の副題は、「推理によって中断する恋愛小説」となっている。ただ、文字どおりのラヴロマンスでもあった『学寮祭の夜』と比べれば、『大忙しの蜜月旅行』ではかなり趣を異にする。なにしろ、ピーターとハリエットはもう結婚したのだから。
この小説で、作者のセイヤーズが意図しているのは、あらゆる面での「結婚」である。その結婚とは、単にピーターとハリエットの結婚というだけではない。貴族と平民、理性と感情、心と体、そして普通小説と探偵小説、リアリズムとファンタジー、シリアスさとユーモアといったものまでも、両者の違いを保ったままでの「結婚」が追求されている。
物語は、結婚式を済ませた二人が、初夜を過ごすために、従僕のバンターを伴って、ハリエットが子供時代を送った田舎にある農家へと急ぐ場面から始まる。二人はそこを新居にしようと買い取っていたのだ。ところが着いてみると、前の所有者は死体で発見されることになる。犯罪の捜査を忘れ、探偵小説の執筆を忘れてハネムーンを過ごすためにやってきた二人なのに、また仕事の世界に引き戻されてしまうわけだ。ハネムーンを台無しにしたくなくて葛藤するピーターに、ハリエットは愛情のために判断を狂わせることをよしとせず、「あなたが本来のあなたでなくなってしまったら……二人の人生はいったいどんなものになるかしら?」と言って、真相を究明するようにと諭す。
ピーターとハリエットが本来の自分を見失わないように、この作品では探偵小説と恋愛小説のどちらが主でどちらが従というわけでもない。「推理によって中断する恋愛小説」と呼ばれてはいても、事件と謎の解決部分には、密室物の変形とでも言えそうなトリックが使われていて、探偵小説ファンを失望させることは決してない。
しかし、ピーターが持ち前の推理力を発揮して、犯行のありさまと犯人を割り出すことに成功しても、『大忙しの蜜月旅行』はありきたりの探偵小説のようにそれで大団円になるのではない。事件が解決してからもピーターは悩むことになる。それはハリエットの悩みでもあり、探偵小説は謎が解かれてしまえばそれで済むのかという、作者セイヤーズの悩みでもある。それが解決する美しい結末こそは、この小説の真のクライマックスであり、ピーターとハリエットが心でも結ばれた夫婦となる場面である。二人を祝って乾杯の音頭を取るバンターがハリエットの探偵小説を評した言葉を借りれば、「舌の肥えた者にとっての、芳醇なるバーガンディ」のような香りがする作品、それがこの『大忙しの蜜月旅行』なのだ。
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