書評
『赤毛のレドメイン家』(東京創元社)
史上に残る名犯人小説
イーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』(一九二二)は、江戸川乱歩が最高に愛した長篇である。昭和十年、翻訳家の井上良夫からこの小説を借りて読んだ乱歩は非常な感銘を受けたらしく、『ぷろふいる』という雑誌に大賛辞――というよりは熱烈なオマージュともいうべき長い文章を寄せている。これは何度読み返してもおもしろい。乱歩のミステリ・エッセイ中の極めつけである。現在は講談社の『江戸川乱歩全集16 鬼の言葉』に収録されているが、ここではそのさわりだけをご紹介しよう。
乱歩はまず、『赤毛のレドメイン家』の読書印象を、①最初からまん中まで、②まん中から最後まで、③読後数日を経てから、の三つに分けてみせる。そして、①は割に平凡で退屈な感じもあるが、②に至って読者はハッと目の醒めるような展開に息をつく暇もないにちがいない、と絶賛しはじめる。そのボルテージはどんどん上がってゆき、③の部分に至ってえらいことになる。
ところが、実に不思議なことには、それから五日とたち十日とたつにつれて、読者の心に、又してもガラリと変った第三段の印象が形造られて来るのだ。万華鏡は最後の絢燗たる色彩を展開するのだ。(中略)何とも名状し難い「色彩」が、刻々その色合いを濃かにして、読者の暗黒な心の中に拡がって行く。それはたとえば「眼花」と言われる、瞼の裏のこの世のものではない絢燗たる色彩、闇の中の虹である。
このように濃厚な色彩残像を残す探偵小説を私はかつて読んだことがない。
というものである。
抜粋のみで全体の感じをお伝えできなかったかもしれないが、読む側も熱に浮かされてくるような文章である。こういう文章を眼のあたりにしても全然『赤毛のレドメイン家』を手にとる気になれないという人は、いっそミステリなどお読みにならぬ方が賢明だろう。この乱歩の大賛辞に煽られて『レドメイン』を読んだファンはさぞかし多かったと思う。
かく申すわたしめも、その一人である。中学二年の時、学校の近くにある飯倉一丁目都電駅前の書店にまだパラフィン紙カバー時代の創元推理文庫が沢山並んでいて、なかに大岡昇平訳の『赤毛のレッドメーンズ』があった。そして、その扉にかの乱歩大賛辞の一部が掲載されていたので、一も二もなく買ってしまったのだ。都電の3番(品川駅ー飯田橋)に乗りながら、この本を読みはじめたのをよく覚えている。
一読三嘆、いや五嘆ぐらいしてしまった、というのが当時の感想。乱歩のいう「眼花」だの「闇の中の虹」だのまでは残念ながら見えなかったけれど、正直、感動したのである。したがって、このミステリは、わたしのベスト古典のひとつである。
何に感動したかといえば、むろん真相にである。もう最高に、衝撃的に、恐ろしくも信じがたいほどに(こういう文章ヴァン・ダイン風)、犯人が意外であったのだ。
多くの人は笑うだろう。『レドメイン』の犯人のどこが意外なのか、このミステリは犯人を隠そうとしてすらいないじゃないか、というだろう。だが、五人のうちの一人ぐらい、わたしと同じく中学の頃にこの小説をお読みになった方なら、賛同の意を表してくれるかもしれない。
このような書き方は、どうも混乱を招く。申し訳ないけれども、またまたお許しを願って、犯人を明かさせていただく。
わたしのいっている犯人というのは、厳密には犯人の片割れの方で、開巻、夕陽の沼沢地に出現して主人公を驚かす、この世のものならぬ美しさを持った人物のことである。要するにこれは、天使のごとき清純で美しい容貌と悪魔のような邪悪な心を持った聖女の物語、外面似菩薩内心如夜叉というお話であり、現代ではよく見かけるありふれたものである。が、なんにも知らなかった中学生にとっては、こういう犯人が存在するとは、ただショックであったのだ。
以後、『赤毛のレドメイン家』は一度も読み返していない。こういう小説に手をつけるのは、あまり気が進まないものだ。
それに、最近、クイーンやクリスティーの作品に較べて『レドメイン』の評判はあまり芳しくないようである。乱歩が死んでその威光が薄れるとともに、この作品の権威も失墜したように見える。だいたい『レドメイン』は”知的推理ゲーム”とはおよそ縁遠い作品であり、海外ではまったくといっていいほど評価されていないのだ。あれは乱歩が波調が合ったから大騒ぎしただけで、本当は二流のミステリではないのか、という声が生まれてくるのも無理からぬところだろう。
実をいうと、わたしも少しそんな気がしはじめていたのである。何も知らない中学生だったからこそ『レドメイン』にしびれたので、今読むとガックリくるのではないか。あの”夕陽のロマネスク”も、ハーレクイン・ロマンスに毛の生えた程度のものだったのではないか、と。
で、宇野利泰訳の創元推理文庫版を買ってきて恐る恐る読んだ。
やっぱり古い。前半は古い。中盤も後半も古い。悠長でセリフの長い芝居を見るようで、月光の中に赤毛のロバート・レドメインが出現するあの有名なシークエンスも色あせて見える。こういう小説は、読み返しはだめか。
と思ったとたん、最後でしびれた。真犯人の長いモノローグのくだりである。共犯の方に気をとられてすっかり忘れていたけれども、この犯人像は強烈の一語に尽きる。その悪の論理と哲学は異様な熱気を孕んでいて、現在もなお輝いて見える。江戸川乱歩はこの犯人をラスコーリニコフやシムノンの『男の首』のラデックと対比しているけれども、わたしには、アイラ・レヴィンの『死の接吻』の主人公をも超えているように思える。
そうか、これはクライム・ストーリイだったのだな。絶対に一読の価値のある名作である。
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