書評
『生きている痕跡』(早川書房)
ハーバート・ブリーンの長篇ミステリはわずかに七作。一般にはジョン・ディクスン・カー風の趣向を盛った『ワイルダー一家の失踪』が代表作とされるが、いちばんおもしろいのは、全く無名に等しいこの作品だろう。ブリル・ブリルハートという作曲家兼歌手が死に、葬式も行われた。ところが、どうもこの男が生きているらしい、見たという人間が次々に現れる、というのが発端で、生きているのか死んでいるのかさっぱりわからない「さまようブリルハート」の物語が展開する。これが実に不可解で、背筋のゾクゾクするような妖しいサスペンスを醸し出すのである。ジャクスン・ホワイツの住むアメリカの秘境が登場するのもおもしろい。ただし後半、事件の輪郭が見えてくると、例によって尻すぼみになる。これもまたブリーンらしい「前半傑作」と言うべきか。
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