書評
『絵を蒐める―私の推理画説』(新潮社)
絵の収集鬼
楽しくて一気に読んだ。いさぎよい筆である。『絵を蒐める』(新潮社)は実業家福富太郎氏の蒐集記、いや収集鬼かもしれない。腹具合が悪くてトイレの電話で絵の購入を交渉したことがあるという。接近遭遇して買えなかった岸田劉生の「婦人像」。
「その後、劉生が無性に欲しくなり、夢中になって探しまわったにもかかわらず、結局売り物には出会えなかったのだから、無念さはいっそう深まった」。そしてようやく入手したのが同じ画家の「京都南禅寺疏水附近」だった。図版写真にはない草木が描き加えられている。「その謎ごと自分で持っていたい」。氏は絵の成立を想像し、絵描きの人となりに思い入れ、とどのつまりは自分を語っている。
東京大井町生まれの氏が好きなのは劉生の赤い土の色。ベタ塗り真剣勝負の青一色の空。「それを見ているだけで、気持が晴れてくる」。北野恒富「心中図屏風」には心中の一歩手前まで追いつめられた氏の青春が重なる。木村荘八の「大鷲神社祭礼」から浅草田原町でバーテンをしていたとき、よく肩で風を切っていた俳優キドシンを思い出す。彼はのちに氏のキャバレーで司会をし、氏が昔のバーテンと知ると「オレはオーナーのポン友だ」と酒ばかり呑んで仕事をしなくなり、肝硬変で死ぬ。
氏は推理好きだ。高橋由一の明治天皇像。「胴体のぎごちなさは人形に服を着せて描いたと考えればなるほどと合点がゆく」。河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)を贋物・本物集めるなかで「どうも三、四人、かなり手のたつ贋作者がいることがわかってきた」……川村清雄と原田直次郎の竜の絵は海軍・陸軍の対抗意識というのは考えすぎの気もするし、池田蕉園・輝方おしどり夫婦の見方などマッチョだなあ、とうれしくなるが、この子どものようなワクワクが本書の身上である。
とにかく修羅場をくぐった男が、具体的なブツを握れば、尾崎紅葉、梶田半古、鏑木清方(かぶらぎきよかた)、條野採菊、柴田是真、三遊亭円朝と、いままでの美術史とちがう壮大な芋づるネットワークが見えてくる、というわけなのだ。
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