自著解説

『梁塵秘抄詳解: 神分編』(八木書店)

  • 2020/10/23
梁塵秘抄詳解: 神分編 /
梁塵秘抄詳解: 神分編
  • 編集:永池 健二
  • 出版社:八木書店
  • 装丁:単行本(410ページ)
  • 発売日:2017-08-05
  • ISBN-10:4840697647
  • ISBN-13:978-4840697644
内容紹介:
平安時代後期の流行歌謡を集成した『梁塵秘抄』の精髄、当時の民衆の心を映し出す神分歌を新たな視座で徹底注釈!
後白河法皇が自らまとめた『梁塵秘抄』。その「神分」編に収められる今様神歌全35首に歌われたのは、威厳ある大社に祀られる大神から、祟りなす悪神・呪詛神まで様々であった。跳梁する神々を崇め敬い、怖れ忌避した王朝びとの心の歌声について、書き下ろしで解説。

後白河法皇が『梁塵秘抄』にまとめた「今様歌」。現代に甦った平安の王朝びとの心の歌声とは?

1 後白河法皇と『梁塵秘抄』巻第二、「神分」編の今様神歌

11世紀の初め頃、藤原道長が摂関政治の頂点にあって栄華を極めていた頃、京の都を中心に、これまでとは面目を一新した新しい歌謡群が登場し、瞬く間に都を席捲して流行する。その歌謡は、節もリズムも、その言葉も新しく、流布の形も境域や身分を越えて広がる自由な新しさを備えていたから、人びとは現代風、あるいは当世風といった意味を込めて、「今様」あるいは「今様歌」と呼んだ。

『梁塵秘抄』は、少時からこの今様を好み、深くその道に執心して精進を重ねた後白河法皇が自らまとめた今様集である。全20巻(口伝集10巻、歌詞集10巻)という大部なものであったと推定されるが、その大半は早く散逸し、歌詞集の中、今日まとまって伝存するのは、巻第二と第一のごく一部にすぎない。

本書は、現在天理図書館に収蔵される『梁塵秘抄』巻二の甲乙二分冊の後半部乙冊の冒頭に収められた四句神歌「神分」編の神歌35首について、歌謡史研究の立場から、詳細な注釈と考察を加えたものである。「神分」とは、仏教の用語で、法会や修法に際して諸神を勧進し、法施を手向けること。般若心経などを読誦して神々の擁護を請うものである。後白河法皇は、巻二後半に「神歌」を納めるに際して、諸神を礼讃し畏怖する、神祇信仰に深く関わる歌をまず「神分」として、その冒頭に掲げたのである。

本書は、この「神分」編の神歌全35首について、12人の研究者が、およそ10年余の歳月を懸けて共同研究を重ね、その成果を分担執筆したものである。注釈に際しては、まず冒頭に天理図書館蔵の底本の影印を掲げ、翻刻、校訂本文、先行所説の要点を示した上で、詳細な語釈と考察を加えた。先行研究に広く目配りし、用語、表現の用例を広く収集検討すると共に、その歌謡を当該時代の社会生活や信仰の中に置き直し、その歌われた「場」の性格や歌い手、聞き手の心意に可能な限り想到して、歌謡、本来の独自な表現世界を開示するように努めた。

その結果、これまで如何にも難解で無味乾燥とも見做されてきた神分編の神歌が、平安時代末期の貴賤衆庶の心の内側を鮮やかに映し出す生きた歌声として見事に甦えってきたのである。

2 神々の名を歌いあげる神名列挙の神歌

神分編神歌の表現上の大きな特徴の一つは、神々の名を列挙して歌い上げる「神名尽くし」の歌謡とでもいうべきものが、数多く見てとれることである。畏怖すべき神々の名をあえて列挙し、歌い上げる。そこに、どのような意図や思いが込められているのか。

たとえば、次のような3首の歌を見て欲しい。

⑴ 神の家の公達は 八幡の若宮 熊野の若王子子守お前 日吉には山王十禅師 賀茂には片岡貴船の大明神 (242)

⑵ 神の御先の現ずるは 早尾よ山長行事の高の御子 牛の御子 王城響かいたうめる髭頬結ひの一童や いちゐさり 八幡に松童善神 ここには荒夷 (245)

⑶ 神のめでたく現ずるは 金剛蔵王八幡大菩薩 西宮祇園天神大将軍 日吉山王賀茂上下 (266)

これらの三首は、いずれも「神の~は」と歌い出し、以下様々な神の名を列挙していくという、まったく同様の表現形式を持っている。しかし、よく見ると、そこには重複が一つもない。⑴は、神々の家を貴族の家門に見立てて、その「小公達」―すなわち大社の大神たちの若宮や御子神たちの名を歌い上げたもの。⑵は、「神の御先」、すなわち諸神の下にあって、その使神として働く、御子神より更に下位に位置する様々な眷属神たちを歌う。一方、⑶では、八幡、日吉、賀茂などの大社にその主神として祀られ、王城守護の大神として、朝廷にも尊崇された大神たち自身の名だけが歌われている。

威厳ある大社に祀られる大神と、その下にあって新しい霊威を奮った若宮=御子神たちさらに下位にあって様々な災異を発動した御先神たち。この三首には、当時の京の民衆たちの神々に対する明確な種別意識とそれを支えた信仰の内実とが、見事に区別され取り分けて歌われているのである。

 

3 祟りなす、荒ぶる神々たち

⑵、⑶の歌に共に見える「現(げむ)ず」の語は、「験ず」とも表記され、神仏などがこの世に降臨示現することをいう。それはまた、示現した神々の霊威の発動をも意味していた。

「八幡の松童」は、社を持たず高良社の板敷の下に祀られて、「悪神たるに依て目を放つべからざる故也」とされた「呪詛神」であり、「ここには荒夷」と歌われた西宮の荒夷神もその祟りを怖れられた悪神であった。日吉の牛御子も、その「御邪気霊験」によって保元三年に叙爵を奉授されている。⑶に歌われた大社の大神たちは、配下に抱えた荒ぶる御先神や御子神たちの旺盛な祟りの発動によって、その霊威の怖ろしさを喧伝し、自己の神威をさらに増大させたのである。

神分編にはまた、こんな神歌もある。

⑷東の山王おそろしや 二宮客人の行事の高の御子 十禅師 山長石動の三宮 峯には八王子ぞおそろしき (243)

⑸貴船の内外座は 山尾よ川尾よ奧深吸葛 白石白髭白専女 黒尾の御先は あわれ内外座や (252)

⑹一品聖霊吉備津宮 新宮本宮内の宮 はやとさき 北や南の門客人 艮御先はおそろしや (270)

この三首は、まず最初に「東の山王」「貴船」「一品聖霊吉備津宮」と大社やその主神の名を掲げ、以下にその下に祀られる従神、小神の名を次々と歌い上げる。「おそろしや」という言葉の〱り返しが伝えているように、下に歌われた日吉の「高の御子」も「十禅師」「八王子」も、貴船の「奧深(おくふか)」や「吸葛(すひかづら)」も、吉備津宮の「艮(うしとら)御先」も、祟りなす呪詛神として怖れられた御子神、御先神であった。

 

4 神懸りする巫女の歌・神降ろしの歌

神々の霊威の発動には、社殿や御正体が音を立てて鳴動したり、あるいは発光したりと様々な形があったが、その最も大きな霊威の発動は、神が人に憑いて神意を伝える「託宣」によるものであった。神分編の神歌には、そうした神を招き降ろしたり依り憑かせたりする巫覡の様を歌う歌があることも、本注釈によって、初めて明らかになった。

⑺金の御嶽にある巫女の打つ鼓 打ち上げ打ち下ろし面白や われらも参らばや ていとんとうとも響き鳴れ響き鳴れ 打つ鼓いかに打てばか この音の絶えせざるらむ(265)

⑻大しやうたつといふ河原には 大将軍こそ降りたまへ 阿津智日巡りもろともに 降り遊うたまへ大将軍 (269)

前者は、金峯山の巫女が鼓を打って神懸りする様を歌ったもの。後者は、大将軍神祭祀の場において、実際に大将軍に呼びかけ、その降臨、憑依を促す、降神祭儀の歌である。

これまで一貫して鼓を打つ手の上げ下ろしの様と解されてきた「打ち上げ打ち下ろし」の一句を、音曲資料や降神祭儀の実例を踏まえて、鼓を打つ拍子を徐々に早めたり、遅くしたりして神降ろしに到る様と読み込む。それによって、この歌はまさに降神憑依して託宣する巫女の有様を歌うという生々しい原始の姿を現わしたのである。

⑻歌の「降りたまへ」「降り遊うたまへ」もまた、まさに眼前に進行している神降臨の様を歌い、神に憑依託宣を促す表現である。そうしたキーワードの用例への目配りと、陰陽道の方角禁忌の神として怖れられた大将軍信仰についての綿密な考証によって、本歌は、宮廷貴族たちが「方違へ」や「移徒(わたまし)」などに際して、大将軍神を「阿律智」「日巡り」の二柱の伴神と共に招き降ろして託宣を仰ぐ、大将軍降神祭祀の具体的な姿を歌うものであることが明らかとなった


5 神分編神歌の豊穣な信仰世界

これらの事例は、神分編の神歌の描き出す豊かな信仰世界のごく一部に過ぎない。そこには、さらに、当時盛んだった熊野詣でへと誘う熊野参詣の歌五連章があり、院政期における祇園御霊会の新しい展開を示す少将井婆利女信仰を歌う歌あり(267歌)、丑の日丑の刻、貴船に詣で、丑にまつわる神々を祀る霊社の一つ一つに足を運んで「愛敬」の想いを懸けて呪詛や祈願をする、「丑刻参り」の起源ともいうべき「貴船の内外座は」の歌(252)あり、神功皇后の三韓征討の故事をうつし、海上渡御の祭祀の様を歌う「浜の南宮は」(267)の歌もある。

これまで『梁塵秘抄』研究史の中で軽視されがちだった神分編神歌が、十年余の歳月をかけた共同研究の下で、広範な資料の蓄積と新たな方法の照射によって、民衆の心の内側を照らし出す生きた資料として甦ったのである。専門の国文学、神道史学、宗教史学の研究者だけでなく、広く民衆の信仰世界に関心を抱く多くの方々に、ぜひ活用いただきたいと思う。

なお、巻末には、注釈本文で取り上げた『梁塵秘抄』歌謡の初句索引、「日吉山王二十一社一覧」、「主要寺社所在図・寺社案内」を付載して、読者の便宜をはかった。本文と併せて大いに利用されたい。

〔書き手〕永池健二(ながいけ・けんじ)
1948年佐賀県生まれ。 元奈良教育大学教授。
日本文学専攻。主たる研究領域は、日本歌謡史・歌謡文学、柳田国男研究。
◯ 主な著書・論文
『柳田国男以後・民俗学の再生に向けて』(共編著、梟社、2019年)
『梁塵秘抄詳解 神分編』(編著、八木書店、2017年)
『逸脱の唱声―歌謡の精神史』(単著、梟社、2011年)
『柳田国男―物語作者の肖像』(単著、梟社、2010年)
「オオバコと蛙どののお弔い―死と再生の遊戯と信仰―」(『奈良教育大学国文―研究と教育―』第42号、2020年3月)
「〈聞き手〉の登場~民俗学的視点から~」(『芸能史研究』第210号、2015年7月)など。
梁塵秘抄詳解: 神分編 /
梁塵秘抄詳解: 神分編
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ALL REVIEWS 2020年10月23日

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