書評
『アーティスティックスポーツ研究序説:フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』(白水社)
実践者が問う「表現+運動」の価値
あの町田樹による大著、という形容を本人は嫌うだろう。フィギュアスケートの競技者として、世界選手権大会準優勝(二〇一四年)などの成績を収め、競技者引退後はプロスケーターの活動を続けながら、大学院で研究者としての道を歩んできた。書き手としての町田が選んだのは、回顧録などではなく、長年蓄えてきた持論や疑念を踏まえながら、研究対象として考察し直す作業であった。繰り返し、「汽水域」という言葉が出てくる。海水と淡水が混じり、独自の生態系が形成されるように、フィギュアスケートを「評価対象となる身体運動の中に、音楽に動機付けられた表現行為が内在するスポーツ」として、「アーティスティックスポーツ」と定義する。
成熟したベテラン選手と勢いのある若手選手の戦いを、メディアは容易に「芸術派対技術派の勝負」などと報じる。ならば、これまで「美」や「芸術性」はどこまで具体的に語られてきたのか、という問いは、時に挑発的である。
プログラムを「観戦」する時、ジャンプの回転数や得点ばかりが報じられる。しかし、町田は、そこに「鑑賞」を注ぐべきではないかと説く。なぜか。そうしなければ、「振付(ふりつけ)を構成(デザイン)する者の創作能力と、それを体現する選手の実演能力の両者によって顕在化する美的価値」は生まれないからである。
私たちが目にしてきた「傑作プログラム」は、たちまち「過去の作品」と化す。プログラムは批評されなければ「競技(勝敗)という文脈を超越」して、「作品」になることはない。そこで、町田が強調するのが「アーカイブ」の重要性。放送事業者のデータベースではなく、アスリート+スポーツ統括組織+放送事業者の三者が連携したアーカイブの構築を促す。
「アスリートファースト」なる言葉が形骸化していることは、一年後に延期された東京オリンピック・パラリンピックをめぐる複数のトラブルを見ればわかる。では、競技者の権限を保持するために何が必要か。アーティスティックスポーツにおいては、著作権やアーカイブへの着眼がなければ、作品がたちまち消耗してしまう。
時に競技者・実践者としての実感を込めながら、「曖昧で中途半端なコンテンツとなってしまう危険性を常に孕んでいる繊細な文化」を追う。スポーツかアートか、そのいずれかを選択するのではなく、混ぜ合わせながら「文化」として発芽するために何が必要か。
成功したアスリートとして、ではなく、自身のキャリアに、研究者として得た問いをぶつけ、広い視野でスケートリンクを見つめ直し、その「汽水域」に「創造と享受の循環」を探し当ててみせた。
朝日新聞 2020年8月8日
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