書評
『香水―ある人殺しの物語』(文藝春秋)
においの冒険物語
もう十五年も昔のことになるが、僕は商社にいて、日本で最初に中国のマツタケを輸入する仕事にかかわった(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1996~97年頃)。いまでは中国産マツタケは六月末頃から雲南産が出回って、珍しくもなんともないが、その頃はまだごく一部の人を除いて、中国にマツタケのあることを日本人は知らなかった。中国人自身も知らなかった。だいたい彼らはマツタケを食さない。中国マツタケは吉林省延辺地区と雲南省で採れる。これを日本への輸入ルートに乗せるまでの苦労といったら……。珍談、奇談は山ほどあるが、ここでひとつだけ披露すると、マツタケのにおいの化学式、俗にいう亀の甲は我々の雪隠(せつちん)のにおいとたった一ヵ所違うだけ。僕は上海や北京の飛行場の貨物倉庫でいったい何千キロのマツタケを腐らせてしまったことか。そのにおいがまた強烈。北京の夏の公衆便所を束ねて凝縮したようなもので、あまりの悪臭のために僕は公安にしょっぴかれ、さんざんお灸をすえられた。嘘だと思うなら、ためしに五、六本腐らせてごらんなさい(そんなもったいないことをする人はいないか)。
さて、においがテーマの小説のきわめつきは、一九八五年にチューリッヒで出て、たちまちドイツ、フランス、スペインでベストセラーになったパトリック・ジュースキントの『香水』だろう。日本では一九八八年に池内紀の訳で出た。
異常に発達した嗅覚の持ち主、ジャン・バティスト・グルヌイユというなんともおぞましい人物の冒険物語だ。
十八世紀のヨーロッパの都市は悪臭にみちみちていた。とりわけパリはひどかった。グルヌイユは魚屋で働く母親から、立ったまま魚の臓物の中に生み落とされた。悪臭の中の、きわめつきの悪臭の中に。ところがこの子は、人間の持ついっさいの体臭を持たない。そして嗅覚だけが犬よりも鋭い少年に育つ。何キロも離れたところの少女の芳香を、無数の悪臭の太い糸を解きほぐして、中から細い一本のにおいの糸に選り分け、少女までたどりつき、そのにおいを究めるだけのために殺す。彼自身まったくにおいを持たないから、透明人間のように行動することができて、彼の殺人はだれにも分からない。
やがてグルヌイユは、ありとあらゆる人間をにおいの力で調伏してやろうと、神の力を持つ香水を、二十五人の美しい処女から採取するために殺し、調合する。それを全身につけて、世界征服に乗り出す。
けっきょく、至福のにおいを身につけた彼に、パリの乞食や墓掘り人夫、泥棒、娼婦どもが狂喜乱舞しておどりかかり、彼は八つ裂きにされて毛一本残さずきれいに食べられてしまうというあっけない幕切れとなる。
奇想天外のストーリーであるうえに、妙なリアリティーがあって、僕は昔のマツタケの腐乱臭を思い出しながら、ついついひきこまれて読んだ。いまではあの腐乱臭がなつかしいくらいだ。ひょっとしたら、相手が日本人なら、マツタケの香りで征服できるかもしれない。いずれにせよ、グルヌイユのような嗅覚と悪知恵を持てば、全知全能でありうるのはたしかだ。
ここに殺された男の死体があるとしよう。初手から犯人を発見することができるのは犬と神である。犬は臭跡によって、神は全能の知性によって。人間だけが万能の臭覚も全能の知性もなく、欠陥だらけの感覚と理性を用い、非常な苦心を払い、右往左往しながら経験から学びつつ真実を発見する。このまだるっこい理解には、しかし人間ならではの喜びがある。
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