本文抜粋

『統計学を哲学する』(名古屋大学出版会)

  • 2020/11/24
統計学を哲学する / 大塚 淳
統計学を哲学する
  • 著者:大塚 淳
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(248ページ)
  • 発売日:2020-10-26
  • ISBN-10:4815810036
  • ISBN-13:978-4815810030
内容紹介:
統計学は実験や臨床試験、社会調査だけでなく、ビッグデータ分析やAI開発でも不可欠である。ではなぜ統計は科学的な根拠になるのか? 帰納推論や因果推論の背後に存在する枠組みを浮き彫りにし、科学的認識論としてデータサイエンスを捉え直す。科学と哲学を架橋する待望の書。
現代の科学において、ほとんど特権的な役割を担っているといってもよい統計学。そもそもなぜ統計は科学的な根拠になるのでしょうか。SNSでも話題となり、発売直後から品切れが続出するなど異例の売行きをみせている注目の新刊『統計学を哲学する』。今回は序章の冒頭抜粋を特別に公開します。本書が目指す「統計学を哲学する」とは、どのような試みなのでしょうか?

データサイエンティストのための哲学入門、かつ哲学者のためのデータサイエンス入門

本書はその名の通り、「統計学を哲学する」ための本である。しかし本書を手に取ったほとんどの人にとって、それが一体どういうことなのか、容易には想像がつかないのではないかと思う。この本は何を目指しているのか。その目論見を一言で表すとしたら、「データサイエンティストのための哲学入門、かつ哲学者のためのデータサイエンス入門」である。ここで「データサイエンス」とは、機械学習研究のような特定の学問分野を指すのではなく、データに基づいて推論や判断を行う科学的/実践的活動全般を意図している。しかしそのような経験的かつ実務的な学問が、机上の空論の代名詞とみなされているような哲学といかにして関係するのか。統計学に馴染みがある人にしてみれば、統計学というのは確たる数理理論に基づいた推論体系であって、そこに曖昧模糊とした哲学的思弁の入り込む余地は全くないように思えるかもしれない。また逆に、哲学に関心がある向きにとっては、統計とは単なるツールであって、深淵でいわく言い難い問いと対峙する哲学とはおよそ無縁なもののように感じられるだろう。

統計学における哲学の意味

本書の第一の目的は、こうした誤解を解くことにある。現代において統計学は、与えられたデータから科学的な結論を導き出す装置として、特権的な役割を担っている。良かれ悪しかれ、「科学的に証明された」ということは、「適切な統計的処理によって結論にお墨付きが与えられた」ということとほとんど同義なこととして扱われている。しかしなぜ、統計学はこのような特権的な機能を果たしうる(あるいは少なくとも、果たすと期待されている)のだろうか。そこにはもちろん精密な数学的議論が関わっているのであるが、しかしなぜそもそもそうした数学的枠組みが科学的知識を正当化するのか、ということはすぐれて哲学的な問題であるし、また種々の統計的手法は、陰に陽にこうした哲学的直観をその土台に持っているのである。こうした哲学的直観は、統計学の一般的な教科書では表立った主題として取り扱われることはあまりないし、またそれを知ったからといって新たな解析手法が身につくわけでもない。しかしながら、例えばベイズ統計や検定理論などといった、各統計的手法の背後にある哲学的直観を押さえておくことは、それぞれの特性を把握し、それらを「腑に落とす」ための一助になるだろう。また一言に「統計学」といっても、それは決して一枚岩の理論を指すわけではない。そこには伝統的な古典/ベイズ統計をはじめ、近年進展著しい深層学習などの機械学習理論や、情報理論、因果推論などといった多種多様の技術/理論が含まれる。これらを理解し、現実の問題に正しく適用するために、各理論の数学的土台や連関を把握することが重要であることは論を俟たない。しかし同時に、そこには数学的証明には還元されない哲学的な直観、すなわち考察対象となる世界がどのような構造を持っており、それをどのように推論するべきか、ということについての前提が控えている。つまり本書の用語で言えば、種々の統計的手法は、固有の存在論と認識論に根ざした、帰納推論に関する異なるアプローチを体現している。単にパッケージ化された統計処理をルーチン的に当てはめるのではなく、与えられた問題に対しなぜその手法を用いるべきなのか、またそこで得られる結果をどう解釈するべきか、ということをしっかりと踏まえた上で推論を行うためには、こうした思想的背景に留意しなければならない。これが、一見哲学とは何の関わりもないように思われるデータ解析にとっても、哲学的思考が役に立ちうると私が考える理由である。

哲学における統計学の意味

では、哲学者が統計を学ぶ動機はどこにあるのだろうか。現代の標準的な哲学科のカリキュラムは論理学重視であり、そこに統計が含まれることはほとんどない(良くてせいぜい「帰納論理」という名のもとに初等確率が触れられるだけである)。そのこともあり、一般に統計学は哲学者が知っておくべき基礎教養とは考えられていない。これは非常に不幸なことだと私は考える。というのも統計学という鉱脈には、極めて豊かな概念的問題群が眠っているからだ。ソクラテスの時代より、「我々はどのようにして真なる知識(エピステーメー)を獲得できるのか」という問いは哲学の主要問題であった。これは近代のデカルト、ヒューム、カントを経て、現代の英米系分析哲学に至る、認識論の長い伝統を形作ってきた。そしてそれは同時に、自然の斉一性の想定や因果性の問題、自然種および可能世界の考え方など、様々な存在論的/形而上学的問題と複雑に絡み合ってきた。本書が示そうとするように、統計学はこれらの問題群をすべて包括する、哲学的認識論の現代的/科学的バリアントである。つまり統計学とは、それ自身が一定の存在論的前提の上に立つ科学的認識論なのである。そうであるからには、今日認識論的な問題に取り組むにあたって、この百年の統計学の目覚ましい進展を無視することは無責任の誹りを免れないだろう。実際、本書で論じるように、統計学と現代認識論の間には、単にその目的と関心が一致しているだけでなく、その手法においても、同じような並行関係が見られる。こうした並行関係を意識することは、現代の認識論や科学哲学における種々の問題を考えるにあたり、有益な視座を提供するはずである。

本書の方針

ではかような意図を持っているのであれば、本書はなぜ、『統計学の哲学入門』というようなより直截的なタイトルを選ばなかったのだろうか。それには二つの理由がある。一つは実質的な点において、これは「統計学の哲学」の入門書ではないからである。統計学の哲学(philosophy of statistics)は現代哲学の確固とした一分野であり、そこでは帰納推論の根拠、確率の解釈、あるいはあの悪名高いベイズ主義 対 頻度主義の論争など、様々な研究や議論が集積されてきた。こうしたトピックのそれぞれは大変興味深いものの、それを逐一紹介するだけでも大部になってしまうし、またそれは私の力量を遥かに超えることでもある。またそうした議論には微に入り細を穿ったものが多く、それを追うだけでも統計学および哲学双方についての知識と関心が要求されるため、あまり哲学(ないし統計学)に関心のない読者には退屈だろう。もちろん、本書もそれらのうちいくつかのトピックはカバーしており、またそうできない場合でも適宜参考文献を付している。しかし全体として本書は、そうした先行研究を横目に見つつ、すぐ後に述べる私なりのアプローチで、統計学における哲学的問題に切り込んでみたい。よって読者にも、本書は必ずしも(統計学の)哲学における標準的見解を客観的に記述したものではない、ということを常に頭の片隅に置いておいてほしい。

本書が『統計学の哲学入門』ではない第二の理由は、それが一般的な意味における「入門」を意図していないからである。「入門」という言葉には、その分野の「門」をくぐり、客としてじっくりと中の設えや技工を味わい、体験し、体得するというようなイメージがある。しかし本書は統計学なら統計学、哲学なら哲学の内部にじっと座し留まるような礼儀の良い客人ではない。統計学の「門」をくぐったかと思ったら、すぐに出ていって別の「門」から哲学に入ってしまう。と思った次の瞬間にはまた統計学の居間にいる……という具合に、非常に落ち着きがない。比喩はさておき、実際本書は、そこで扱われる統計学ないし哲学的主題に読者が習熟することを目指すものではない。もちろん本書は統計学および哲学に関して一切の事前知識を持たない読者を念頭に書かれているため、新しい統計的手法や哲学的概念が登場する際には、必ず平易な解説を行うように心がけている(よってそれぞれの分野を専門とする読者には、冗長と思われる箇所は適宜読み飛ばしていただきたい)。しかしそれは、その手法や概念自体を使いこなせるようになるためというよりも、それらの間の関係性を明らかにするためだ。あの統計学的問題は、哲学の文脈ではどのように論じられているのか。この哲学的概念は、統計学でどう活かされているのか。このように統計学と哲学を結び付け、その間の並行関係を明らかにすることこそが、本書の目的である。そうした分野横断的な性格のため、本書はあえて「入門」という名を付さなかったし、また一般的な入門書として読まれることも意図されていない。つまり本書はデータサイエンティストや哲学者になるための本ではない。そうではなく、データ解析に携わる人にちょっとだけ哲学者になり、また哲学的思索を行う人にちょっとだけデータサイエンティストになってもらう、そうした越境を誘うための本なのである。

[書き手]大塚淳(1979年生まれ。京都大学大学院文学研究科准教授、理化学研究所AIP客員研究員)
統計学を哲学する / 大塚 淳
統計学を哲学する
  • 著者:大塚 淳
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(248ページ)
  • 発売日:2020-10-26
  • ISBN-10:4815810036
  • ISBN-13:978-4815810030
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統計学は実験や臨床試験、社会調査だけでなく、ビッグデータ分析やAI開発でも不可欠である。ではなぜ統計は科学的な根拠になるのか? 帰納推論や因果推論の背後に存在する枠組みを浮き彫りにし、科学的認識論としてデータサイエンスを捉え直す。科学と哲学を架橋する待望の書。

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