書評
『サバイバー』(早川書房)
作家の役割について考える時、あるエッセイで読んだエピソードを忘れることができない。それは炭坑のカナリア。かつて炭坑夫はカナリアを連れて坑に入ったのだそうだ。坑内の酸素の欠乏を知るために。世界には悪意や絶望の種が遍在している。ちょっとした隙を狙って、それらは発芽し、やがて善いものを押しのけ幅をきかせ始める。ところが、大抵の人間は見たいものしか見ようとしないから、その気配を無視してしまう。そんな時、作家は窒息寸前の世界の坑から叫び声を上げているはずだ。「危険、危険、危険!」と。
たとえば、B・E・エリスの『アメリカン・サイコ』(角川文庫)。昼間はヤッピー、夜は殺人鬼という二つの貌(かお)を持つ青年の生活を、ブランド名の嵐の中で描いたこの作品は、八十年代のアメリカ社会が生み出そうとしていた病と絶望を赤裸に暴いた傑作だ。ところが、当時の評論家たちはこの作品を否定した。曰く「軽薄」「稚拙」「無意味」。わかってないな、と思う。軽薄で稚拙で無意味、それこそが八十年代に生まれ、今なお生長し続けている絶望の種だったのに。エリスはそれをいち早く察知して警告を発したのだ。
チャック・パラニュークもまた、そうしたカナリア型の作家なのだと思う。これがデビュー二作目となる『サバイバー』に繰り返し現れる虚無的心情の告白は、まさに『アメリカン・サイコ』を経て、我々を蝕(むしば)みつつある根の深い絶望を示して、胸に重くのしかかるのだ。
集団自殺を遂げたカルト教団最後の生き残りである主人公が、乗客はおろかパイロットさえいない飛行機の操縦席に座っている。もちろん彼に操縦はできず、したがって燃料が切れれば墜落してしまう運命にある。しかし、彼は淡々と語り始める。ハイジャックに至るまでの波乱の人生を。コックピットのどこかに設置されているはずのブラックボックスに向かって――。
厳しい戒律のもとに育ち、教団命令でハウスキーパーとして働く主人公は、云ってみればアメリカ文学が伝統的に愛し続けてきた無垢(むく)なる者の系譜に連なるキャラクターだ。しかし、二十世紀末に生まれた無垢の末路は、無惨なまでに滑稽で、救いようのないほど病的なのだ。教団最後の生き残りという価値で救世主に祭り上げられ、やがては消費し尽くされていく主人公の、底なしの虚無へと至る道程は苦い。見たいものしか見ようとしない大衆と、彼らを操作するメディア。ここに描かれている、お手軽な救済にすがり、激しく熱狂したかと思えば一瞬の後には冷たく糾弾する側に回る大衆は、わたしたちの似姿だ。そして、それを利用して甘い汁を吸う黒幕の存在は、悪の種の象徴だ。
「未来は一種類しかない。人間に選択肢はない」という、肯定するのが苦痛な絶望を開示するこの物語は、二十一世紀に向けてのカナリアの叫びだと思う。シニカルで機知に富んだリズミカルな語り口が、これほど重くて苦い読後感を生むとは! チャック・パラニューク、覚えておかなければならない新人作家だ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2001年)。
【新版】
【この書評が収録されている書籍】
たとえば、B・E・エリスの『アメリカン・サイコ』(角川文庫)。昼間はヤッピー、夜は殺人鬼という二つの貌(かお)を持つ青年の生活を、ブランド名の嵐の中で描いたこの作品は、八十年代のアメリカ社会が生み出そうとしていた病と絶望を赤裸に暴いた傑作だ。ところが、当時の評論家たちはこの作品を否定した。曰く「軽薄」「稚拙」「無意味」。わかってないな、と思う。軽薄で稚拙で無意味、それこそが八十年代に生まれ、今なお生長し続けている絶望の種だったのに。エリスはそれをいち早く察知して警告を発したのだ。
チャック・パラニュークもまた、そうしたカナリア型の作家なのだと思う。これがデビュー二作目となる『サバイバー』に繰り返し現れる虚無的心情の告白は、まさに『アメリカン・サイコ』を経て、我々を蝕(むしば)みつつある根の深い絶望を示して、胸に重くのしかかるのだ。
集団自殺を遂げたカルト教団最後の生き残りである主人公が、乗客はおろかパイロットさえいない飛行機の操縦席に座っている。もちろん彼に操縦はできず、したがって燃料が切れれば墜落してしまう運命にある。しかし、彼は淡々と語り始める。ハイジャックに至るまでの波乱の人生を。コックピットのどこかに設置されているはずのブラックボックスに向かって――。
厳しい戒律のもとに育ち、教団命令でハウスキーパーとして働く主人公は、云ってみればアメリカ文学が伝統的に愛し続けてきた無垢(むく)なる者の系譜に連なるキャラクターだ。しかし、二十世紀末に生まれた無垢の末路は、無惨なまでに滑稽で、救いようのないほど病的なのだ。教団最後の生き残りという価値で救世主に祭り上げられ、やがては消費し尽くされていく主人公の、底なしの虚無へと至る道程は苦い。見たいものしか見ようとしない大衆と、彼らを操作するメディア。ここに描かれている、お手軽な救済にすがり、激しく熱狂したかと思えば一瞬の後には冷たく糾弾する側に回る大衆は、わたしたちの似姿だ。そして、それを利用して甘い汁を吸う黒幕の存在は、悪の種の象徴だ。
「未来は一種類しかない。人間に選択肢はない」という、肯定するのが苦痛な絶望を開示するこの物語は、二十一世紀に向けてのカナリアの叫びだと思う。シニカルで機知に富んだリズミカルな語り口が、これほど重くて苦い読後感を生むとは! チャック・パラニューク、覚えておかなければならない新人作家だ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2001年)。
【新版】
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

ダカーポ(終刊) 2001年4月4日号
ALL REVIEWSをフォローする