書評
『夜の記憶』(文藝春秋)
両親を事故で一度に亡くし、四つ年上の姉と農場で二人きりの生活をしている十三歳の少年。
ある夏の夜、侵入してきた変質者が少年の目の前で姉を陵辱し、さんざん痛めつけた挙げ句、ひどく残忍なやり方で殺してしまう。そして、男は少年の耳元でこう囁いたのだ。
「おまえはなにも言わないだろうよ、坊主」
ひとは誰しも心の中に“昏い宝物”を隠している、と書いたのは詩人のエリュアールだったろうか。さらにつけ加えるなら、その宝物が妖しく光り出すのは夜に違いない。上も下も分からなくなるくらい真っ暗な場所で昏い宝物はひっそりと目覚め、わたしたちに本当の自分の貌を映し出して見せるのだ。ミステリーばなれした美しい文章の紡ぎ手、トマス・H・クックの『夜の記憶』に描かれているのは、まさにそんな夜が生み出す恐怖と蠱惑に他ならない。
姉を殺された夜以来、心を閉ざしてしまった十三歳の少年ポールは、ニューヨークの場末のアパートで他者とは一切の関わりを持たず、極悪非道な殺人鬼が登場する犯罪小説を書き続けるばかりの世捨て人の中年作家となっている。そんな彼が、五十年前にとある富豪の屋敷で起きた少女殺害事件の謎解きを頼まれる。持ち前の昏い想像力で事件の真相に迫るポールだが、しかし、それは彼自身の痛ましい過去と向き合うことにも他ならないのだった。
なぜ、少年時代のポールは姉を殺した犯人の顔を見ていながら、保安官の質問に堅く口を閉ざしてしまったのか。なぜ、屋敷の誰からも愛されていたはずの少女が殺されなければならなかったのか。過去と現実、虚構と真実が交錯する中、二つの事件の真相が明らかになる最終章に「!!」。が、それは凡百のミステリーにありがちな、どんでん返しのこけおどしがもたらす軽薄な驚きではない。人間が心の中に抱える闇、そのあまりの昏さと深さを覗き見てしまったがゆえの畏れなのである。数多あるトラウマものミステリーの中でも出色の出来映えだ。
【この書評が収録されている書籍】
ある夏の夜、侵入してきた変質者が少年の目の前で姉を陵辱し、さんざん痛めつけた挙げ句、ひどく残忍なやり方で殺してしまう。そして、男は少年の耳元でこう囁いたのだ。
「おまえはなにも言わないだろうよ、坊主」
ひとは誰しも心の中に“昏い宝物”を隠している、と書いたのは詩人のエリュアールだったろうか。さらにつけ加えるなら、その宝物が妖しく光り出すのは夜に違いない。上も下も分からなくなるくらい真っ暗な場所で昏い宝物はひっそりと目覚め、わたしたちに本当の自分の貌を映し出して見せるのだ。ミステリーばなれした美しい文章の紡ぎ手、トマス・H・クックの『夜の記憶』に描かれているのは、まさにそんな夜が生み出す恐怖と蠱惑に他ならない。
姉を殺された夜以来、心を閉ざしてしまった十三歳の少年ポールは、ニューヨークの場末のアパートで他者とは一切の関わりを持たず、極悪非道な殺人鬼が登場する犯罪小説を書き続けるばかりの世捨て人の中年作家となっている。そんな彼が、五十年前にとある富豪の屋敷で起きた少女殺害事件の謎解きを頼まれる。持ち前の昏い想像力で事件の真相に迫るポールだが、しかし、それは彼自身の痛ましい過去と向き合うことにも他ならないのだった。
なぜ、少年時代のポールは姉を殺した犯人の顔を見ていながら、保安官の質問に堅く口を閉ざしてしまったのか。なぜ、屋敷の誰からも愛されていたはずの少女が殺されなければならなかったのか。過去と現実、虚構と真実が交錯する中、二つの事件の真相が明らかになる最終章に「!!」。が、それは凡百のミステリーにありがちな、どんでん返しのこけおどしがもたらす軽薄な驚きではない。人間が心の中に抱える闇、そのあまりの昏さと深さを覗き見てしまったがゆえの畏れなのである。数多あるトラウマものミステリーの中でも出色の出来映えだ。
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