書評

『夜の記憶』(文藝春秋)

  • 2024/08/01
夜の記憶  / トマス・H. クック
夜の記憶
  • 著者:トマス・H. クック
  • 翻訳:村松 潔
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(435ページ)
  • 発売日:2000-05-01
  • ISBN-10:4167218658
  • ISBN-13:978-4167218652
内容紹介:
ミステリー作家ポールは悲劇の人だった。少年の頃、事故で両親をなくし、その直後、目の前で姉を惨殺されたのだ。長じて彼は「恐怖」の描写を生業としたが、ある日、50年前の少女殺害事件の謎ときを依頼される。それを機に"身の毛もよだつ"シーンが、ポールを執拗に苛みはじめた-人間のもっとも暗い部分が美しく描かれる。
両親を事故で一度に亡くし、四つ年上の姉と農場で二人きりの生活をしている十三歳の少年。

ある夏の夜、侵入してきた変質者が少年の目の前で姉を陵辱し、さんざん痛めつけた挙げ句、ひどく残忍なやり方で殺してしまう。そして、男は少年の耳元でこう囁いたのだ。

「おまえはなにも言わないだろうよ、坊主」

ひとは誰しも心の中に“昏い宝物”を隠している、と書いたのは詩人のエリュアールだったろうか。さらにつけ加えるなら、その宝物が妖しく光り出すのは夜に違いない。上も下も分からなくなるくらい真っ暗な場所で昏い宝物はひっそりと目覚め、わたしたちに本当の自分の貌を映し出して見せるのだ。ミステリーばなれした美しい文章の紡ぎ手、トマス・H・クックの『夜の記憶』に描かれているのは、まさにそんな夜が生み出す恐怖と蠱惑に他ならない。

姉を殺された夜以来、心を閉ざしてしまった十三歳の少年ポールは、ニューヨークの場末のアパートで他者とは一切の関わりを持たず、極悪非道な殺人鬼が登場する犯罪小説を書き続けるばかりの世捨て人の中年作家となっている。そんな彼が、五十年前にとある富豪の屋敷で起きた少女殺害事件の謎解きを頼まれる。持ち前の昏い想像力で事件の真相に迫るポールだが、しかし、それは彼自身の痛ましい過去と向き合うことにも他ならないのだった。

なぜ、少年時代のポールは姉を殺した犯人の顔を見ていながら、保安官の質問に堅く口を閉ざしてしまったのか。なぜ、屋敷の誰からも愛されていたはずの少女が殺されなければならなかったのか。過去と現実、虚構と真実が交錯する中、二つの事件の真相が明らかになる最終章に「!!」。が、それは凡百のミステリーにありがちな、どんでん返しのこけおどしがもたらす軽薄な驚きではない。人間が心の中に抱える闇、そのあまりの昏さと深さを覗き見てしまったがゆえの畏れなのである。数多あるトラウマものミステリーの中でも出色の出来映えだ。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

夜の記憶  / トマス・H. クック
夜の記憶
  • 著者:トマス・H. クック
  • 翻訳:村松 潔
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(435ページ)
  • 発売日:2000-05-01
  • ISBN-10:4167218658
  • ISBN-13:978-4167218652
内容紹介:
ミステリー作家ポールは悲劇の人だった。少年の頃、事故で両親をなくし、その直後、目の前で姉を惨殺されたのだ。長じて彼は「恐怖」の描写を生業としたが、ある日、50年前の少女殺害事件の謎ときを依頼される。それを機に"身の毛もよだつ"シーンが、ポールを執拗に苛みはじめた-人間のもっとも暗い部分が美しく描かれる。

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初出メディア

流行通信

流行通信 2000年11月号

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