書評

『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)

  • 2017/07/17
まほろ駅前多田便利軒  / 三浦 しをん
まほろ駅前多田便利軒
  • 著者:三浦 しをん
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(351ページ)
  • 発売日:2009-01-09
  • ISBN-10:4167761017
  • ISBN-13:978-4167761011
内容紹介:
まほろ市は東京のはずれに位置する都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田啓介のもとに高校時代の同級生・行天春彦がころがりこんだ。ペットあずかりに塾の送迎、納屋の整理etc.-ありふれた依頼のはずがこのコンビにかかると何故かきな臭い状況に。多田・行天の魅力全開の第135回直木賞受賞作。

直木三十五賞(第135回)

受賞作=三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」、森絵都「風に舞いあがるビニールシート」/他の候補作=伊坂幸太郎「砂漠」、宇月原晴明「安徳天皇漂海記」、古処誠二「遮断」、貫井徳郎「愚行録」/他の選考委員=阿刀田高、五木寛之、北方謙三、林真理子、平岩弓枝、宮城谷昌光、渡辺淳一/主催=日本文学振興会/発表=「オール讀物」二〇〇六年九月号

この二作

物語の進み行きをたくさんのインタビューで、いわば一人語りで構成したのが、『愚行録』(貫井徳郎)、この多声性の趣向はうまい。そこにはもちろん真犯人の声が隠されているし、インタビューをしているのは誰かというところにも大きな仕掛けが潜んでいて、出色の着想だが、このすばらしい仕掛けを表層の単調さが台無しにしている。だれもかれも同じ文体で喋っているので、せっかくの多声性も不発、次第に退屈になってくる。それに真犯人の動機と犯罪の重さとがどう考えても釣り合わず、結局のところ趣向倒れで終わってしまったのは残念である。

平家一門と壇ノ浦の海原に沈んだ八歳の安徳帝が琥珀の玉に封じられて生き延び、三十四年後に源氏最後の鎌倉将軍実朝の首ともどもはるか南海へ流離の旅に出るという破天荒な物語が、『安徳天皇漂海記』(宇月原晴明)、よく出来た知的ファンタジーで、考証も文体も凝りに凝っている。「平家物語」誕生秘話のような一面もあり、語りを二段構えにしたところにも作者の膂力(りょりょく)が窺われる。前半の語り手が実朝の側衆の一人語り。後半はマルコ・ポーロが一人称に近い三人称で、やはりガラス玉の中に閉じこもって従容として海に沈む南宋最後の少年皇帝の運命を語る。さて、この二つの玉の行きつく先が、仏教の奥義を究めようと海路天竺に向かって行く方知れずになった高岳親王の島……というあたりで、有名人の吹き寄せ細工というタネが見えてくる。いい作品ではあるが、この有名人のつるべ打ちは、物語の破天荒な進行をかえって小さくしたように思われる。

沖縄本島を南下する日本軍や島民たちに逆らって北へ、集落の防空壕に取り残された赤ん坊を探しに向かった十九歳の防衛隊員が、赤ん坊の若い母と地獄のような戦場をさまよい歩くというのが、『遮断』(古処誠二)である。島民を踏みつけにして逃げる日本の軍隊の醜い身勝手さを、途中で出会った、二人の行動を制御する片腕の少尉に象徴させる工夫は、すぐれた作家的手腕だが、この凄まじい地獄行が、現在からの回想で書かれていることに違和感があった。戦後の沖縄も戦中同様、本土に踏みつけにされている。現在から書くならば、この苛酷な事実を含めなければならないし、もしもそれが十分に書き込まれていれば、これはまぎれもない傑作になっただろう。あるいは、沖縄戦とその直後の事情だけで筆を止めていれば、これまた光る佳作になったにちがいない。手紙を軸にした回想という小説的仕掛けが、むしろ文学的結実を妨げたのではないか。

遠くに砂漠という名の重苦しい現実社会を置き、その砂漠へ旅立たねばならない青年たちのとりとめのない日常生活を近くに配して、この遠景と近景を、諧謔味を盛ったしなやかな筆致で描いたのが、『砂漠』(伊坂幸太郎)である。思索的で、おもしろい警句や秀句が各所にちりばめられていて十分に堪能したが、評者に解らなかったのは、この作品の時間設計である。一年ちょっとの話だと思っていたら、じつは四年の歳月が経過していた。作者には作者なりの計算があったろうけれど、時間経過を示す手がかりがあまりにも少なすぎたのではないか。とはいっても、登場人物の一人がコトバを取り戻す場面などはとてもすばらしく、作者の才能が随所で輝いている。ご面倒でも、新たな作品でこの文学的関所を軽がると越えていただきたい。

こうして、今回は粒選りの作品が揃ったが、評者は、日常の些事(さじ)のなかへ社会性を巧みに取り込んだ次の二作に感服した。

六つの短篇で構成された『風に舞いあがるビニールシート』(森絵都)では、どの登場人物たちも、このところ流行の「自分探し」という辛気くさい、不毛の蛸壺(たこつぼ)から這い出そうとしている。そこがとても清新だ。全体に見えている作者の手法を、とりあえず三つ示せば以下の通り。一つ、悪人を出して都合よく話を運ぶことを自制する(つまり悪人は出さない)。次に、普通の人たちの日常の些事を丁寧に書きながら、そこに顔を出してくる世の中の出来事に目を配る。そしてかならず鮮やかな結末を添える。小説技法はとても巧み、それは、「ジェネレーションX」を読めば明らかだろう。お祝い代わりに注文をつけるとすれば、うっかりした表現に気をつけていただくこと。たとえば、〈……気がつくと鼻歌までも口ずさんでいた。〉(「器を探して」)鼻歌をどうすれば口ずさめるのだろうか。評者も試してみたが、できなかった。あるいはこれは一種のギャグかもしれない。

『まほろ駅前多田便利軒』(三浦しをん)は、東京南西部、人口三十万の都市の、楽しい報告小説である。それほど街のたたずまいや人びとの息吹きがよく書けている。また、二人の主人公の、たがいに心を開いて行く過程が、便利屋という面白い職業を通して、そして街の人びととの不思議なつきあいを通して、透明な文体でテンポよく描き切ってあって、友情小説としても上出来である。便利屋は他人の私生活のなかへ容易に入って行く。そこで本作はハードボイルド派の私立探偵小説へ変化して行き、面白さは二倍にも三倍にもなる。しかし本作の真価は別のところにあった。二人は、「子どもは親を選び直すことができるか。できるとしたら、何を基準に選び直すのか」という重い主題を背負いながらついに、〈知ろうとせず、求めようとせず、だれともまじわらぬことを安寧と見間違えたまま、臆病に息をするだけの日々〉(三二八頁)から脱出する。こうして幸福は再生する。本作は、ため息が出るほどみごとで爽やかな成長小説でもあった。

【この書評が収録されている書籍】
井上ひさし全選評 / 井上 ひさし
井上ひさし全選評
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(821ページ)
  • 発売日:2010-02-01
  • ISBN-10:4560080380
  • ISBN-13:978-4560080382
内容紹介:
2009年までの36年間、延べ370余にわたる選考会に出席。白熱の全選評が浮き彫りにする、文学・演劇の新たな成果。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

まほろ駅前多田便利軒  / 三浦 しをん
まほろ駅前多田便利軒
  • 著者:三浦 しをん
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(351ページ)
  • 発売日:2009-01-09
  • ISBN-10:4167761017
  • ISBN-13:978-4167761011
内容紹介:
まほろ市は東京のはずれに位置する都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田啓介のもとに高校時代の同級生・行天春彦がころがりこんだ。ペットあずかりに塾の送迎、納屋の整理etc.-ありふれた依頼のはずがこのコンビにかかると何故かきな臭い状況に。多田・行天の魅力全開の第135回直木賞受賞作。

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初出メディア

オール讀物

オール讀物 2006年9月

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