書評

『号泣する準備はできていた』(新潮社)

  • 2017/07/17
号泣する準備はできていた  / 江國 香織
号泣する準備はできていた
  • 著者:江國 香織
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(233ページ)
  • 発売日:2006-06-28
  • ISBN-10:4101339228
  • ISBN-13:978-4101339221
内容紹介:
私はたぶん泣きだすべきだったのだ。身も心もみちたりていた恋が終わり、淋しさのあまりねじ切れてしまいそうだったのだから-。濃密な恋がそこなわれていく悲しみを描く表題作のほか、17歳のほ… もっと読む
私はたぶん泣きだすべきだったのだ。身も心もみちたりていた恋が終わり、淋しさのあまりねじ切れてしまいそうだったのだから-。濃密な恋がそこなわれていく悲しみを描く表題作のほか、17歳のほろ苦い初デートの思い出を綴った「じゃこじゃこのビスケット」など全12篇。号泣するほどの悲しみが不意におとずれても、きっと大丈夫、切り抜けられる…。そう囁いてくれる直木賞受賞短篇集。
トヨザキ的評価軸:
「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
◎「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」

舌をまくほど巧妙。でもその小器用さは嫌味にも

わたしたちの頭の中って、普段もわーんとしてるでしょ。刻一刻起きる出来事をその度に整理してる時間や根気がないから、大抵のことは何となくやり過ごしてしまう。で、そのことについて考えてみようとした思考の種みたいなものは、もやもやっとした煙にまかれいずれどこかに消えてしまうわけ。第130回直木賞を、短篇集『号泣する準備はできていた』で受賞した江國香織は、そんな頭の中のもわーんとした気分を的確に言語化してくれる作家の一人なのだ。この本に収められている十二の短い物語は、大人の恋を描く同系列の作家、たとえば唯川恵あたりと比べると、どれもこれも舌を巻くほど巧い。タイトルからして嫌みなくらい巧い。あとがきですら鼻につくくらい巧いんである。

すべての物語に共通するテーマは”喪失の予感”。いろんな人がそれぞれの生を生き、さまざまな経験をする中で、たくさんの何かを失っていく。でも、その喪失はあらかじめ予感されていたものなのではないか。たとえば女性の同性愛カップルの愛を描いた「熱帯夜」。愛しあっているけれど、結婚することも子供を作ることもできない二人は、自分たちの愛が〈行き止まり〉にいることを知っている。そして、かつて自分たちがその時の恋人を棄てて互いを選んだように、もしかしたらいつか他の誰かと出会い、この愛も終わるのではないかという予感にとらわれているのだ。それを江國さんはこんな言葉で表現している。〈人生は恋愛の敵よ〉〈そこには時間が流れてるし、他人がいるもの。男も女も犬も子供も〉。誰かをとても好きになった時、好きの度合いに比例するかのように不安も大きくなっていく。その言葉にならないもわーんとした暗い予感を短い言葉で何と的確に表していることか。

江國香織の小説は言葉を多く費やさない。説明や描写は最小限にとどめられている。易しい言葉の連なりで、いかにも意味深な“何か”(本当はそんなものどこにもないかもしれないのに)を伝えんとする文体も含めて、とんでもなく巧妙な作家なのだ。でも、そういう小器用にまとまってるとこがちょっとイヤ。この人、わかっちゃったんじゃないかな、小説の書き方が。格闘しなくなっちゃったんじゃないかな、小説と。その意味で、”行き止まり”の作家のように感じられるのだ。伝えるのがひどく難しい何かを表現するための言葉を懸命に探している、不器用さや誠実さがガツンとこちらにぶつかってきた『きらきらひかる』(一九九一年)。わたしにはあの頃の、今よりヘタッピな江國香織が好ましいんである。

【この書評が収録されている書籍】
正直書評。 / 豊崎 由美
正直書評。
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:学習研究社
  • 装丁:単行本(228ページ)
  • 発売日:2008-10-00
  • ISBN-10:4054038727
  • ISBN-13:978-4054038721
内容紹介:
親を質に入れても買って読め!図書館で借りられたら読めばー?ブックオフで100円で売っていても読むべからず?!ベストセラーや名作、人気作家の話題作に、金、銀、鉄、3本の斧が振り下ろされる。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

号泣する準備はできていた  / 江國 香織
号泣する準備はできていた
  • 著者:江國 香織
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(233ページ)
  • 発売日:2006-06-28
  • ISBN-10:4101339228
  • ISBN-13:978-4101339221
内容紹介:
私はたぶん泣きだすべきだったのだ。身も心もみちたりていた恋が終わり、淋しさのあまりねじ切れてしまいそうだったのだから-。濃密な恋がそこなわれていく悲しみを描く表題作のほか、17歳のほ… もっと読む
私はたぶん泣きだすべきだったのだ。身も心もみちたりていた恋が終わり、淋しさのあまりねじ切れてしまいそうだったのだから-。濃密な恋がそこなわれていく悲しみを描く表題作のほか、17歳のほろ苦い初デートの思い出を綴った「じゃこじゃこのビスケット」など全12篇。号泣するほどの悲しみが不意におとずれても、きっと大丈夫、切り抜けられる…。そう囁いてくれる直木賞受賞短篇集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

TV Bros.

TV Bros. 2004年3月16日

多彩な連載陣のコラムが人気のポップカルチャーTV情報誌。豊﨑由美氏の書評コーナー「帝王切開金の斧」が好評連載中。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
豊崎 由美の書評/解説/選評
ページトップへ