前書き
『プラスチックと歩む:その誕生から持続可能な世界を目指すまで』(原書房)
レジ袋が有料になったり、プラスチック製ストローが使われなくなったり、プラスチックは最近すっかり悪者だ。
埋め立てられない、焼却できない、リサイクルできない、人体にも環境にも悪影響ばかり。
なるべくプラスチックを使わないように努力をする人も増えているが、個人の努力ではどうしようもないさまざまな素材や部品に、プラスチックは大量に使われているのが現実だ。そう、現代の私たちはプラスチックなしの生活は考えられない。
このジレンマにもっとも早く気がついていたのは、ほかならぬプラスチックの研究者だ。よりよい未来のための今できることはなにか? 長年プラスチックを研究しつづけてきた著者が、科学者の目線でプラスチックとのつきあい方、プラスチックと人間の未来を考える新刊『プラスチックと歩む』の序文を特別公開する。
研究者となって15年経っていた私は、当時、世界の様々な場所を訪れてプラスチックの研究を行っていた。プラスチックというこの素晴らしい発明品に、私は大いに興味をそそられていた。
この素材で作られたおびただしい数の日用品のおかげで私たちの生活は楽になり、ずいぶん時間の節約ができるようになっていた。プラスチックは人類の途方もない夢を叶えてくれるものと考えられており、実際、誕生からほんの2、30年の間に、プラスチックはなくてはならないものとなっていた。
私は1冊、また1冊と袋を破って雑誌を取り出し、研究チームのメンバーに渡せるようなテーマを探して雑誌に目を通しながら、春の大掃除のつもりでこの雑誌の山を片づけていた。
そうして30冊ほど袋から取り出していくと、下の方にあった雑誌の袋が細かい破片になっていた。さらにその下の雑誌の袋は粉々になっている。
最初はなんとも思っていなかったが、まもなく、その細かいプラスチックの粒子で部屋がくもっていることに気がついた。「たいしたことじゃないわ。明日掃除すればいいんだから」。そう思いながら私は作業を続けた。
だが、突然、息苦しさに襲われた。そして、すぐに呼吸ができなくなった。必死に咳をしようとしたが、事態はどんどん悪くなる。喉が容赦なく締めつけられ、まったく息ができない。
私はパニックに陥った。助けを呼ぶために部屋から出ようとしたが、視界がかすんでドアのところに行くこともできない。運の悪いことに、金曜の夜だった。週末を過ごすため、皆、すでに帰宅していた。建物にいるのは私一人だけだった。
どうやって部屋から出たのかわからない。だが、気がつくと、私は息を切らし、涎よだれを垂らしながら廊下を這っていた。
長い時間そうしていたあと、とうとう、肺に細い空気の筋が弱々しく流れ込んできた。私は大きな安堵感に包まれた。それからは、少しずつ少しずつ、呼吸ができるようになっていった。気管と食道には激痛が走り、目にも違和感があった。
数時間かけて落ち着きを取り戻すと、私は何が起こったのかを理解した。
原因は、陽の当たるところに積み上げられた雑誌を包んでいた薄いプラスチックの袋だった。私はこの一見無害なフィルムの粒子によって呼吸困難に陥ったのだ。
つまり、包装用の袋が日光によって細かい粒子に変化して、空気中に舞い上がり、それを私が吸い込んでしまったのである。
プラスチックの観察や研究、考察を続け、今では30年以上になっている。
最初はその大いなる可能性という魅力にとりつかれ、私はプラスチックが世界中で使用され、古くから使われてきた素材を次々と「時代遅れ」なものにするのを目にしてきた。
だが、プラスチックは浜辺や土壌、そして、気づかぬうちに私たちの体の細胞の奥深くに存在の痕跡を残している。その危険性は目には見えないが大規模なものであり、未来に大きな影響を与えるものである。
研究でそれをはっきりと理解して強い不安を抱いた私は、プラスチックほど環境に影響を与えない同類の素材の発明に力を注いだ。
そして次には適切なリサイクルという方法を用い、このプラスチックという怪物が増えるのを抑えようと試みた。
今日、人類が自らの発明品であるプラスチックという素材を制御できなくなっていることは明らかだ。天然素材に似せたプラスチック製品やプラスチックの誤った使い方、過剰消費によって、私たちは危険にさらされている。
しかも、それを制圧するための「逆発明」はまだできていない。
この本で取り上げるのは、プラスチックのナノ粒子という限りなく小さなものから、地球の未来の話まで、大小様々多岐にわたるものとなる。そうして一緒に時間と空間とをめぐる旅をしていくことになるだろう。
最初にお話しするのは、プラスチックの誕生とその歴史、そして戦後の工業化のなかでプラスチックによっていかに快適な生活がもたらされたかということだ。
次に、今日のプラスチック事情と併せ、物質的進歩への依存と長く残留するプラスチックがもたらす自然環境不安の間に挟まれた現代生活の矛盾についてお話しする。
そして最後に希望を語り、よりよい未来を迎えるために私たちが進むべき道をお伝えしたい。
私がここで語るのは、今後、先見の明を持って物語の続きを記していくために必要な、過去60年の実話なのである。
[書き手]ナタリー・ゴンタール(プラスチック研究者)
INRAフランス国立農学研究所アグロポリマー工学新興技術部研究長。モンペリエ工科大学で修士号、博士号取得、のちにモンペリエ第二大学の教授も務める。研究分野はバイオコンポジットの構造・物質移動関係とモデリング、食品・包装システムの統合的アプローチ、環境負荷、バイオマテリアルのエコデザイン、安全性とナノ材料・技術。フランス国内のみならず多くの国際的なプロジェクトに参加しており、現在では、EcoBioCAP EU FP7とNextGenPackのプロジェクトのコーディネーターや、EFSAの専門家として活躍している。また、多数の優れた業績により2015年に第3回「ヨーロッパの星H2020 (Etoile de l’Europe H2020)」受賞。
埋め立てられない、焼却できない、リサイクルできない、人体にも環境にも悪影響ばかり。
なるべくプラスチックを使わないように努力をする人も増えているが、個人の努力ではどうしようもないさまざまな素材や部品に、プラスチックは大量に使われているのが現実だ。そう、現代の私たちはプラスチックなしの生活は考えられない。
このジレンマにもっとも早く気がついていたのは、ほかならぬプラスチックの研究者だ。よりよい未来のための今できることはなにか? 長年プラスチックを研究しつづけてきた著者が、科学者の目線でプラスチックとのつきあい方、プラスチックと人間の未来を考える新刊『プラスチックと歩む』の序文を特別公開する。
素晴らしい発明品、プラスチック
まもなく21世紀が始まろうという頃、モンペリエ大学の5階にある私の研究室でのことだった。南に面したその部屋には大きなガラス窓があり、その雨戸のハンドルはずいぶん前から壊れていた。そのため、窓辺には常に陽がさんさんと降り注いでいた――これはあとの話に関わってくるので覚えておいてほしい。研究者となって15年経っていた私は、当時、世界の様々な場所を訪れてプラスチックの研究を行っていた。プラスチックというこの素晴らしい発明品に、私は大いに興味をそそられていた。
この素材で作られたおびただしい数の日用品のおかげで私たちの生活は楽になり、ずいぶん時間の節約ができるようになっていた。プラスチックは人類の途方もない夢を叶えてくれるものと考えられており、実際、誕生からほんの2、30年の間に、プラスチックはなくてはならないものとなっていた。
プラスチックで呼吸困難に
ある金曜日のことだった。夜の7時半頃、私は研究室の掃除をしていた。数ヶ月前から仕事に追われる日が続いていたため、数十冊もの科学雑誌がまだプラスチックの袋に入ったまま、窓の前に積み上げられていた。私は1冊、また1冊と袋を破って雑誌を取り出し、研究チームのメンバーに渡せるようなテーマを探して雑誌に目を通しながら、春の大掃除のつもりでこの雑誌の山を片づけていた。
そうして30冊ほど袋から取り出していくと、下の方にあった雑誌の袋が細かい破片になっていた。さらにその下の雑誌の袋は粉々になっている。
最初はなんとも思っていなかったが、まもなく、その細かいプラスチックの粒子で部屋がくもっていることに気がついた。「たいしたことじゃないわ。明日掃除すればいいんだから」。そう思いながら私は作業を続けた。
だが、突然、息苦しさに襲われた。そして、すぐに呼吸ができなくなった。必死に咳をしようとしたが、事態はどんどん悪くなる。喉が容赦なく締めつけられ、まったく息ができない。
私はパニックに陥った。助けを呼ぶために部屋から出ようとしたが、視界がかすんでドアのところに行くこともできない。運の悪いことに、金曜の夜だった。週末を過ごすため、皆、すでに帰宅していた。建物にいるのは私一人だけだった。
どうやって部屋から出たのかわからない。だが、気がつくと、私は息を切らし、涎よだれを垂らしながら廊下を這っていた。
長い時間そうしていたあと、とうとう、肺に細い空気の筋が弱々しく流れ込んできた。私は大きな安堵感に包まれた。それからは、少しずつ少しずつ、呼吸ができるようになっていった。気管と食道には激痛が走り、目にも違和感があった。
数時間かけて落ち着きを取り戻すと、私は何が起こったのかを理解した。
原因は、陽の当たるところに積み上げられた雑誌を包んでいた薄いプラスチックの袋だった。私はこの一見無害なフィルムの粒子によって呼吸困難に陥ったのだ。
つまり、包装用の袋が日光によって細かい粒子に変化して、空気中に舞い上がり、それを私が吸い込んでしまったのである。
ゴールの見えない研究の日々
これがきっかけとなり、私は科学者としてプラスチックに関するより深い知識を身につけて、制御できないこのプラスチックの微細な破片と戦うことを固く決意した。プラスチックの観察や研究、考察を続け、今では30年以上になっている。
最初はその大いなる可能性という魅力にとりつかれ、私はプラスチックが世界中で使用され、古くから使われてきた素材を次々と「時代遅れ」なものにするのを目にしてきた。
だが、プラスチックは浜辺や土壌、そして、気づかぬうちに私たちの体の細胞の奥深くに存在の痕跡を残している。その危険性は目には見えないが大規模なものであり、未来に大きな影響を与えるものである。
研究でそれをはっきりと理解して強い不安を抱いた私は、プラスチックほど環境に影響を与えない同類の素材の発明に力を注いだ。
そして次には適切なリサイクルという方法を用い、このプラスチックという怪物が増えるのを抑えようと試みた。
今日、人類が自らの発明品であるプラスチックという素材を制御できなくなっていることは明らかだ。天然素材に似せたプラスチック製品やプラスチックの誤った使い方、過剰消費によって、私たちは危険にさらされている。
しかも、それを制圧するための「逆発明」はまだできていない。
持続可能な未来の実現のために
私がこの本を書いたのは、皆さんを取り巻く状況と、その問題に立ち向かう術をよりよく理解してもらうためである。この本で取り上げるのは、プラスチックのナノ粒子という限りなく小さなものから、地球の未来の話まで、大小様々多岐にわたるものとなる。そうして一緒に時間と空間とをめぐる旅をしていくことになるだろう。
最初にお話しするのは、プラスチックの誕生とその歴史、そして戦後の工業化のなかでプラスチックによっていかに快適な生活がもたらされたかということだ。
次に、今日のプラスチック事情と併せ、物質的進歩への依存と長く残留するプラスチックがもたらす自然環境不安の間に挟まれた現代生活の矛盾についてお話しする。
そして最後に希望を語り、よりよい未来を迎えるために私たちが進むべき道をお伝えしたい。
私がここで語るのは、今後、先見の明を持って物語の続きを記していくために必要な、過去60年の実話なのである。
[書き手]ナタリー・ゴンタール(プラスチック研究者)
INRAフランス国立農学研究所アグロポリマー工学新興技術部研究長。モンペリエ工科大学で修士号、博士号取得、のちにモンペリエ第二大学の教授も務める。研究分野はバイオコンポジットの構造・物質移動関係とモデリング、食品・包装システムの統合的アプローチ、環境負荷、バイオマテリアルのエコデザイン、安全性とナノ材料・技術。フランス国内のみならず多くの国際的なプロジェクトに参加しており、現在では、EcoBioCAP EU FP7とNextGenPackのプロジェクトのコーディネーターや、EFSAの専門家として活躍している。また、多数の優れた業績により2015年に第3回「ヨーロッパの星H2020 (Etoile de l’Europe H2020)」受賞。
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