後書き

『BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相』(集英社)

  • 2021/05/12
BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相 / ジョン・キャリールー
BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相
  • 著者:ジョン・キャリールー
  • 翻訳:関 美和,櫻井 祐子
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2021-02-26
  • ISBN-10:4087861260
  • ISBN-13:978-4087861266
内容紹介:
1滴の血液で全てわかる! 画期的な技術を開発したとして一躍スター起業家に上り詰めたエリザベス。やがて内部告発が出始めて……。
2020年12月、グローバルな民泊プラットフォームのエアビー・アンド・ビーがアメリカのナスダック市場に上場した。上場時の時価総額は日本円で4兆円を超えた。2人のデザイナーとその友達のプログラマーという珍しい組み合わせの創業者3人が手にする資産額はそれぞれ日本円で4000億円を超える計算になる。エアビーアンドビーはシリコンバレーの「ユニコーン」の筆頭格だった。

「ユニコーン」とは企業価値が10億ドル(およそ1200億円)を超える未上場企業を指す言葉だ。金余りの市場の中で、世界中の投資家は次のユニコーンを血眼になって探している。一方、起業家はホッケースティック型の急成長を実現すべく、寝る間も惜しんでプロダクトを開発し、人材を採用し、マーケティングに勤しんでいる。ベンチャーの世界での成功の基準は常に企業価値だ。そして企業価値は「どこまで事業をスケール(規模拡大)できるか」によって決まる。

かくして、ベンチャー業界では「スケール」が合言葉になった。自分たちの事業がスケールできることを投資家に上手に売り込める起業家は、次々と大型の資金調達に成功している。だからこそ、大風呂敷を広げることが文化の一部になってきた。

本書『BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相』は、そんなベンチャー業界の文化の中で、女性で初めての「ユニコーン」企業の創業者として注目を集めたエリザベス・ホームズと、彼女が生み出した<セラノス>という血液検査ベンチャーの虚構を、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者が綿密な調査によって暴いていく物語である。

エリザベス・ホームズはスタンフォード大学を2年で中退し、2003年、19歳で血液検査機器の会社を創業する。彼女は「たった一滴の血液であらゆる種類の検査を可能にする」というビジョンと熱意で周囲を巻き込み、2014年にセラノスの企業価値は9000億円を超え、当時のシリコンバレー最大の「ユニコーン」として話題になった。株式の過半を所有していたエリザベスは、「自力でビリオネアになった最年少女性」として、多くのメディアに取り上げられた。

本書の前半では、そのエリザベスの生い立ちからセラノスを創業しスターダムにのし上がるまでが丹念に描かれ、後半ではその嘘と虚構が次第に暴かれていく。

では、どうして大学中退の何の技術もない若者が、名だたる投資家を口説き落として数百億円という資金を調達し、たとえ一時でもシリコンバレーの女王になれたのだろう? その理由のひとつは、彼女を庇護した年長の男性たちにある。はじめに彼女の背中を押したのは、スタンフォード大学の花形教授、チャニング・ロバートソンだ。そして、ラリー・エリソンなどのベンチャー業界の重鎮。とどめは、オールスターの取締役会の面々である。元国務長官のジョージ・シュルツをはじめ、ジェームズ・マティスやヘンリー・キッシンジャーといったアメリカで最も尊敬される大物政治家や軍人がエリザベスの庇護者となり、盾となっていた。その全員が年配の白人男性という点は興味深い。もう一つの理由は、スタートアップ業界が若い女性の起業家を求めていたことだろう。エリザベスの大きな青い瞳、奇妙なバリトンボイス、スティーヴ・ジョブズを真似た黒いタートルネックのセーターといった容姿や外見が、世間が求める早熟の天才女性起業家というイメージにぴったりはまった。

さらに背景として、テクノロジーとヘルスケアを掛け合わせた“ヘルステック”の市場は今後最も拡大が望める領域としてグローバルな投資家の資金が大量に流れ込んでいる状況がある。世界的に医療費が増大し高齢化が進む中で、革新的な技術を使った予防医療や遠隔医療、再生医療、生殖医療といった領域はベンチャー投資家だけでなくあらゆる企業が市場拡大の恩恵を受けようと、戦略的な投資先を探している。セラノスの場合も、全米最大級のドラッグストアチェーンが戦略的な提携先になっていた。

最強の盾で武装したエリザベスとセラノスの嘘を、著者のキャリールー記者が暴いていく過程は、まるでスパイ小説のようである。本書の著者であるジョン・キャリールーはウォール・ストリート・ジャーナルに1999年から在籍するベテランの調査報道記者で、メディケアスキャンダルを暴いた記事でピューリッツァー賞を受賞している(現在は、フリーランス・ジャーナリストとして活動中)。本書の中で、著者は調査報道のプロとして、情報提供者をひとりひとり説得し、丁寧に裏をとり、玉ねぎの皮をはがすように、少しずつ真相に近づいていく。ひたひたと真相に迫る著者に対して、脅しと隠蔽と中傷でねじ伏せようとするのがセラノスとその弁護団だ。弁護団を率いるのは全米で最も有名な法廷弁護士のデイヴィッド・ボイーズである。企業秘密を盾に記事を葬ろうとするセラノスに対して、記者と報道の誠実さを守り抜こうとするウォール・ストリート・ジャーナルの攻防は本書の読みどころのひとつでもある。

2018年にアメリカで本書が刊行されたあと、セラノスのスキャンダルについてはすでに、2019年にABCが『ザ・ドロップアウト』というシリーズ番組とポッドキャストを放送、配信し、HBOも長編のドキュメンタリー番組『ザ・インヴェンター』を制作している。また、本書をもとに、ジェニファー・ローレンスがエリザベスを演じるハリウッド映画も現在制作中だと言われている。

エリザベスとその恋人でセラノスのナンバー2だったサニー・バルワニ は、現在刑事事件の被告人として裁判を待つ身になっている。もし有罪となれば、最長20年の懲役が科される可能性もある。だがエリザベスという女性にとってはこれが人生の終わりというわけではなさそうだ。裁判を待つあいだ、2019年に年下のホテルチェーンの御曹司と結婚した。どこまでもドラマチックな人生を歩むエリザベスから、しばらく目が離せそうにない。

 [書き手] 関美和(翻訳家)
BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相 / ジョン・キャリールー
BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相
  • 著者:ジョン・キャリールー
  • 翻訳:関 美和,櫻井 祐子
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(416ページ)
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  • ISBN-13:978-4087861266
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