一庶民の感覚で近代文明に矢
有吉佐和子はこれまでにも、女性の作家にはめずらしく社会性のある素材をとりあげてきたが、「複合汚染」は私たちが日常生活で口にする食品が、さまざまな農薬や添加物によって汚染されていることをはじめ、洗剤や排ガスの問題までとりあげ、その実態をえぐると同時に、どうしたら危険を防ぐことができるかという点をも考えようとした意欲作で、新聞連載当時から大きな反響を呼んできた(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1975年)。この作品はいわゆる小説の形をとらず、作者自身の経験や調べたこと、あるいは専門家から聞いたことなどをそのまま読者に伝えようとしている。そして「すでに専門家や先覚者が警告し、告発している事実を……、より多く人に知って頂きたく思い、広報のお手伝いをした」という立場から、わかりやすくおもしろくまとめているのだ。しかもそれを、現代社会に暮らす一庶民の感覚でとらえようとつとめているところに、読者をつよくひきつける理由があった。
作中の「私」は参議院選挙で市川房枝と紀平悌子の応援にとびまわるが、紀平候補が選挙演説の中で環境汚染の問題をとりあげることから、次第に各種の公害に筆がおよんでゆく。DDT、BHC、PCB、AF2、ABS等々の被害は、使用が禁止あるいは制限された後にも残り、何種類もの毒性物質による複合汚染が私たちの環境をとりまいているが、そのもとは近代の物質文明のありかたに根ざしていると「私」は考える。
そして近代的農業を死の農業だとし、化学肥料や農薬を使わずに有機農業を試みているいくつかの農家を訪ね、その人々の話を紹介しながら、政府の方針にもとづく近代農業が自然を破壊し、土地を死なせ、作物の力を弱め、味まで悪くしていることを、例をあげて説明する。生産者と消費者が協力して有機農業をすすめる方向に、作者はひとつの解決策を見いだしているのだが、そのほかにも、有害な添加物をいっさい使わない漬け物屋さんの話や、合成洗剤よりも粉石鹸のほうが安くてよく汚れが落ちることをクリーニング屋でたしかめるなど、安易な生活になれ、テレビの広告を信じがちな私たちの意識を改める必要を説いてゆく。
話のつなぎとなっている本物の味にうるさい横丁の御隠居との会話や、お米に虫がわかなかったり、卵やレモンが腐らないことに気づいて驚く作者の感覚は、読者にもきわめて身近なものであり、それだけに、そこを出発点として出された数々の疑問や指摘は、私たちにつよくひびいてくる。
特定の主人公や一貫したストーリーを一切排し、情報そのものを直接つづったこの作品は、その素材や形式の新しさという点においても、今後の小説に大きな影響をあたえることだろう。現代における新聞小説の質的変化をあらためて感じさせられた。