書評
『『失われた時を求めて』への招待』(岩波書店)
自らに苦痛を与える、芸術家の真理
翻訳者というのは因果な職業で、完璧に理解できる訳書に対しては情熱を感じないのに、一行訳すごとに疑問が湧いてくる謎の多い訳書に対しては最強の敵を前にした格闘家のような高ぶりを覚えるものだ。ならば、難解・難読系の最高峰である『失われた時を求めて』の全訳(岩波文庫版)を成し遂げた著者がすべての翻訳者の中で最も多くの疑問を抱え、苦しみながらその解決を試みようとしたのは理にかなっている。著者がまず感じた疑問は一人称小説である『失われた時を求めて』の語り手の「私」とは誰であるのかということだった。語り手の「私」は大団円で自伝的小説を書く決意をした最晩年の「私」であるはずなのだから、冒頭の一句「長いこと私は早めに寝(やす)むことにしていた」を語りだす「私」と同じ現在を生きていなければならないのだが、実際にはそうではない箇所は頻出する。では、語り手の現在とはいったい何なのか? それは「最晩年の老人といった具体的肉体をもつ存在ではなく、(中略)抽象的な発話の現在として『失われた時を求めて』の至るところに遍在する」。
語り手の「私」が複雑なのはこうした問題に限らない。妄想かもしれない恋人の不倫で嫉妬に苦しむスワンや「私」は苦痛に生きがいを感じているかに見える。またユダヤ人問題や同性愛を巡る語り手の「私」の言説も複雑である。主人公である「私」はプルーストがユダヤ系で同性愛者であるのとは反対に非ユダヤ系の異性愛者として設定されているのだから、反ユダヤ主義的・反同性愛的な言説を口にしても小説の結構として許されるが、不可解なことに語り手の「私」もまたユダヤ人と同性愛に対する否定的見解を示しているのだ。これはいかなる論理によるのか?
こういった大きな疑問は部分的には解決されたかのように思えても、根源のところでは相変わらず解決できていない。なぜだろう? 著者はこの謎の連鎖を追求していったあげくに、嫉妬もユダヤ人・同性愛問題も「苦痛」と「快楽」との複雑な構造にあるのではないかと思い定め、シャルリュス男爵(男性同性愛者)やヴァントゥイユ嬢(女性同性愛者)が体現するサドマゾヒズムの分析に取り掛かる。「わが身に苦痛を与えるサドマゾヒストは、ふたりの同性愛者にとどまらず、多くの登場人物にも認められる。たとえば嫉妬にもだえ苦しむスワンや『私』にも、さらには人種差別の屈辱を自身にひき寄せるユダヤ人にも、同様の振る舞いが見られるのだ」
なぜだろう? 「プルーストは、芸術や小説の創作に必要不可欠なものは苦痛であるから、芸術家たる者はみずからに苦痛を与えることに歓びを見出すサドマゾヒストたらざるをえない、と考えていたのではなかろうか。特殊な性愛に見えるサドマゾヒズムは、『失われた時を求めて』の中心主題である文学創造と密接に結びついているのだ」
だとすると、冒頭の語り手の「私」の複雑な構造は苦痛を介する文学創造という大逆転のために不可欠な技法ということになるし、また、最難関の『失われた時を求めて』の完訳に挑もうとする訳者自身もまた同じ心理に捉えられていたことになる。
本書は苦痛に満ちた翻訳を達成した訳者のみが発見しえた真理の開陳にほかならない。
【オンラインイベント情報】2021年9月23日 (木) 20:30 - 22:00 吉川一義 × 鹿島 茂、吉川一義『『失われた時を求めて』への招待』(岩波書店)を読む
書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第33回はゲストにフランス文学者/京都大学名誉教授の吉川一義さんをお迎えし、吉川さんの新刊『『失われた時を求めて』への招待』(岩波書店)を読み解きます。※出演者はZoomにて参加されます。
https://peatix.com/event/3015146/viewALL REVIEWSをフォローする






































