書評
『華族誕生 名誉と体面の明治』(講談社)
「爵位」の役割を的確に整理
華族幻想と呼ぶべき現象が生じたのは、一年前、細川総理が誕生したときだった。元伯爵・細川家の正系で、近衛文麿公爵の孫にあたる人物なら清風を吹き込むのではないか、と錯覚された。高支持率がムード的なものにすぎないとしても、ムードだけであそこまで持ちこたえたのだからブランドという無形の力、恐るべしだろう(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆年は1994年)。戦後世代にとって公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵などの名称は西洋の翻訳小説に登場する装飾的な肩書としてしか実感できない。これら爵位は明治二年に誕生し、現行憲法の発効で消滅するまで約八十年間、事実として存在したのである。では爵位は日本の近代史上どのような役割を果たしたのだろうか。そのあたりを的確に整理してくれたのが本書である。
明治維新を華族という一点からときほぐしていくとなかなかおもしろい。江戸時代まで別の階級であった公卿(くぎょう)と諸侯は、とりあえず天皇の下にひとつの特権階級として位置づけられた。なにを基準にランキングがつけられたかというと、奇妙なことに徳川封建体制に準じているのであった。たとえば徳川宗家は公爵、御三家は侯爵、御三卿は伯爵、その他の大名は石高や徳川政権での役割などが勘案された。小さな藩の殿様は、子爵相当だった。公家も、それぞれの位階に沿って決められた。
となると明治維新は欧米の革命とは明らかに異なる。国家の統一を優先させるため敗者は寛大に扱われたのである。叙爵内規はその総仕上げだった。爵位などどうでもよい枝葉末節の事柄のように思われるが、叙爵内規はじつにこと細かいのであって、神経の使い方は異様なほどだ。日本的な「和」の精神、曖昧(あいまい)にことを処理する知恵が発揮されたのだろう。だから日本の華族に欧米のようなノーブレス・オブリージェ(高貴なものの義務)がみられたかというと、著者の結論は否となる。西園寺公望も近衛文麿も肝心な時期に職責を果たさず、日本を暴走する軍部の手に委ねてしまったのだから。
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