未来の人類、揺らぎに共鳴
滅亡の危機に直面する、未来の人類。川上弘美が長編小説『大きな鳥にさらわれないよう』で描くのは、数を減らした人類の生態とそれを取り巻くシステムだ。ネズミやイルカなど、さまざまな生き物の細胞から、工場で人が作られる。「母」なる存在のもとに、クローン発生で生まれたものたちは「見守り」と呼ばれる。「観察者」として、人類の生死のシステムを見つめるものたちだ。滅亡を防ぐための方法が模索され、いくつもの異なる性質の集団が形成される。植物のように水と光で栄養を合成して生きる集団もいる。クローン技術と人工知能が発達し、いまとは「違う人類」が、別の仕方で、生まれては死ぬ。
科学的な観点の応用とそこからふくらむ想像によって紡がれるこの小説は、概念に陥りそうで、そうならない。具体的な細部が、日常の感覚にぴたりと添って記されるからだ。たとえば人口を司(つかさど)るシステムについての会話の直後に「今夜は、何をつくる?」と来る。食べること、生活。ささやかな営みをいつくしむ視点と文章からは、著者の美質がこぼれる。
また、たとえばクローン発生したエリという存在。「自分の、元の細胞を持っていたのは、どんな人間だったか」と、思いをめぐらせる。「何かの拍子に心が動くことがあるたびに、その問いにふれ、ころがし、揺れを楽しんだ」。これは遥(はる)かなものへの思いがさざめく瞬間なのだ。少し、さみしさに似ている。クローン人間ではない自分でも共鳴できる、生命としての揺らぎのようなもの。
エリの言葉。「にせだってなんだって、生き延びて、そして新しい人類になれば、それでいいよ」。種としての人類の未来を危ぶみながらも、この小説、作者が人類であることを楽しんでいることは間違いない。いつから人類? いつまで人類? そんなことも考える。言葉を持つ不思議についても、考える。