本文抜粋

『イノベーション概念の現代史』(名古屋大学出版会)

  • 2021/11/01
イノベーション概念の現代史 / ブノワ・ゴダン
イノベーション概念の現代史
  • 著者:ブノワ・ゴダン
  • 翻訳:松浦 俊輔
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2021-10-29
  • ISBN-10:481581046X
  • ISBN-13:978-4815810467
内容紹介:
現代社会のキーワードとして君臨する「イノベーション」。いかにして考え出され、政策や経営に組み込まれていったのか。また、研究はどのように商業化に巻き込まれたのか。国際機関や省庁・企業の実務家たちに焦点を合わせ、科学・技術の「有用性」を問い直す、私たちの時代の概念史。
科学・技術だけでなく、社会や経済まで、あらゆる局面で「イノベーション」の必要性が説かれ、それが万能の解決策であるかのようにみなされる昨今。こうした状況はどのように作り出されたのだろうか。

「イノベーション」研究の第一人者として国際的に知られ、惜しくも2021年1月に亡くなったブノワ・ゴダンの著作『イノベーション概念の現代史』がこのたび初めて邦訳された。以下、序章を特別公開する。

イノベーション――それは誰がいつから、どのように考え、語ってきたことなのだろうか。


技術革新/イノベーションは現代社会の万能薬なのか?

この社会の新たな宗教となった「イノベーション」


この何十年かで、技術イノベーション(technological innovation)は、この社会の新たな宗教となり、現代の信条あるいは信仰となった。イノベーションは、我々が抱える社会経済的な問題すべての解決策であるというわけだ。

今の社会や経済や環境の難問はたいてい、イノベーションと技術的進歩に基づいた創造的な解決策を必要としている。(OECD, 2010)

イノベーションは、気候変動や資源エネルギーの枯渇、健康や老化といった、今日急迫の度を増しつつある主要な社会的課題に取り組んで成果をあげるための最善の手段である。(European Commission, 2010)

このような信仰には長い歴史がある。OECD(経済協力開発機構)は、技術イノベーションに関して西側世界で早い時期に生み出された文書の一つで、こう述べている。

技術的イノベーション(technical innovation)の加速を政府が助けることができれば、経済の構造変化を容易にし、加盟国政府が急速な経済成長と完全雇用をインフレなしで達成するのに必要な、改良された新製品の供給が増すことになるのは疑いない。(OECD, 1966)

イノベーションをする必要があるかといえば……確かに必要だ。それがこの急速に変化する社会に対応する一つの方法であり、最善の部類に属する方法だと思われるからである。(OECD, 1969)

さらに時間をさかのぼると、19世紀末以来の、もっと広いイノベーション概念(技術イノベーションではなく)についての同様の言説や、その概念の使い方も見ることができるだろう。とはいえ、イノベーションが主流の肯定的な価値を明らかに獲得したのは、技術イノベーションのおかげ、あるいは技術イノベーションのゆえだった。イノベーションは、今の我々が言う技術イノベーションと同じことを指すようになったのである。


技術イノベーション(技術革新)


「技術イノベーション」は、第二次世界大戦後に登場した用語で、それ以前にはほんのわずかな用例しかなかった。経済学にイノベーションの概念を導入したのはヨーゼフ・シュンペーターだとされることが多いが、この概念はシュンペーターの時代には、統計学者、経済学者、経済史家の間であたりまえのように使われていた。


技術イノベーションはいかにして想像の対象となり、想像の産物となったのか。答えは1950年代の昔に埋もれている。一方では、人々はイノベーションとは何か、それはどのように起こり、どんな効果があるかについてあれこれ考え始めた。公共政策によって支援される経済成長――経済成長主義と呼んだ人もいる――は、技術イノベーションの概念に社会的な存在様式を与えた。他方、政策立案担当者は、イノベーションを支える政策や戦略を考えるようになり、そうしてこの新興の言説を本流とするようになった。


先駆者はシュンペーター?


用語あるいは概念としての、また言説としての技術イノベーションの歴史が述べられる場合、一般に理論的な視点から語られる。ことの次第は次のように言われている。1930年代から40年代、経済学者のヨーゼフ・シュンペーターがこの概念の先駆者となった。1960年代から70年代には文献が急増した。英国科学政策研究ユニット(SPRU)が枢要な役割を演じた時期だ。その間に、何人かの研究者(ロバート・ソローなど)が、とくに科学研究の公的支援論(ケネス・アローなどの)において理論的な貢献をもたらした。

このような語り方にも、ある程度の理はある。技術イノベーション論が発達する中では、今挙げたような年代が節目となる。しかし話はとうてい、それではすまない。先に触れたように、シュンペーターは当時イノベーションについて書いた何人かの論者の一人にすぎないし、その上、シュンペーターの影響が現れたのはずっと後になってからだった――「技術変革(technological change)」についての文献には、早くから影響を及ぼしてはいたが。


オルタナティブな歴史記述


以上のことは、学者が学問の世界で歴史をどのような形に構成したかを明らかにするが、本書はオルタナティブな歴史記述を展開し、また、歴史家アン・ジョンソンの応用研究論に従って、「技術イノベーション史を別の視点から書いたらどうなるか」を問う。本書で私が示すのは、1950年代以来の技術イノベーションの先駆的理論家は、実務従事者(技術者、経営者、政策立案者、そうした人々に助言・勧告する人々)だったということである。そうした実務従事者の見方を、学者の側が後から明確にし、理論化したのだ。

このことを正しく認識するには、イノベーションについての標準的な歴史記述を解体しなければならない。実際の歴史記述には、イノベーションの観念あるいは概念の歴史と発明(invention)のそれとが混じっているし、技術史と科学史、開発の歴史と研究の歴史が混じっている。R&D(研究開発)、ST(科学技術)、さらにはSTI(科学技術イノベーション)といった、別々のものを一つ屋根の下に収めるように機能する頭字語ができたのも、そういう事情からだった。とはいえ、かつてオックスフォード大学マートン・カレッジの経済学講座教授ジョン・ジュークスが言ったように、「「科学と技術(science and technology)」をひとまとめにして科学技術という単数扱いで語るのが流行になっている。まるで一方について言えることは必然的にもう一方についても言えるかのようである。しかし両者について共通に言える一般性はほとんどない」。同様のことだが、ランド研究所〔米国のシンクタンク〕のデイヴィッド・ノヴィックが少し後に説いたところでは、「我々は、研究と開発が一つの存在であるかのように研究開発と言うのをやめて、研究と、それとは別の活動としての開発とをそれぞれに吟味すべきである」。


「研究」と「イノベーション」


この二つの概念を区別すると、まったく別の筋書きが得られる。本書は、標準的な技術イノベーションの歴史記述を再検討する。第一段として、ある概念(研究)が別の概念(イノベーション)をもたらしたこと、第二段として、技術イノベーション論の中で研究が過小評価されるようになったことを、典拠を明らかにして示す。この二つの段(ステップ)あるいは段階(ステージ)は、二つの別々のコミュニティが支持するそれぞれの言説に対応する。一方は、イノベーションが科学の産業への応用の産物であることを前提にしている。こちらの言説の核心にある争点は、研究開発(R&D)であり、一国の競争力に資する人材としての科学者と技術者である。ここでのイノベーションは信仰箇条(それを基礎研究から発する最終産物とみなす)であって、実は理論化されていない。こちらの言説は今でも人気がある。たとえば、R&Dは今なおイノベーションの要となる尺度の一つだし、イノベーションのモデルでは要となる変数である。第二の言説は、イノベーションを複合的な活動とみなして、それがともかくも研究のことを言っている場合でも、当の研究は全体の過程の一部でしかないとする。この過程の最も重要な部分あるいは段は、研究ではなく、製品の開発とその商業化だ。研究とイノベーションは、同じ概念の枠組み(経済成長主義)に発するものの、座標軸の両側にある。


1950年から現在まで、五つの局面


私は技術イノベーションの概念史を、1950年から現在までについて五つの局面(フェーズ)にまとめる。それぞれの局面は厳密に分離されて一直線上に並ぶものではなく、重なり合っている。

1 応用された科学としてのイノベーション
2 成果としてのイノベーション
3 過程としてのイノベーション
4 システムとしてのイノベーション
5 イノベーション政策

本書は20年以上にわたる研究の成果であり、もともとは前著で述べたいくつかのアイデアを、ここで要約し、さらに展開している。私はこの研究の途上で、アイデアとしてのイノベーションの物語が、学者の視点だけから語られていることに気づいた。まるで概念としての技術イノベーションと、イノベーション研究とが、学界の中で生まれ、発達したかのようだった。そこで私は、研究中に集めた他の出典からの資料を本格的に調べ始めた。その結果が本書である。

本書が依拠する資料には英米の出典が大量に含まれているように見える向きもあるだろう。その通りだ。数世紀にわたるイノベーション概念史は、まさしく20世紀にアメリカが主役となるという結果に至る。イノベーションの概念がイギリスの日常的な語彙に入ってきたのは宗教改革の時期〔16世紀〕だった。その後の三世紀にわたり、この概念は主として否定的で軽蔑的な響きを持っていた。この概念はフランスに渡り、フランス革命の後の19世紀には、徐々に肯定的な価値を得るようになった。イノベーションは物質的・社会的・政治的進歩の道具となったのである。さらに20世紀になると、この概念は技術にかかわることとして、いささかの誇張をも伴って解されるようになった――今やますます異論が唱えられる言説である。このような表し方には、アメリカが大きく貢献している。


実務家たちの言説


本書は、実務従事者を、思想家やジャーナリストのように、技術イノベーションの先駆的理論家と考えることができる時代と場所を見ていく。第二次大戦後のアメリカはそのような場所の一つであり、イギリスも同じ時期にこの領域に入った。OECDのような国際組織の影響の下で、他の国々の実務従事者も続く。本書は、こうした場面で寄与した人々すべてに同等の場所を与える。そうした人々はみな――インテレクチュアル・ヒストリーの大家クエンティン・スキナーが、新たな信条の観点に立って世界を記述し直した際の用語を使えば――「革新的イデオロギー理論家」だったのだ。

[書き手]ブノワ・ゴダン(Benoît Godin・1958年生まれ。元カナダ国立科学研究所教授。2021年逝去。)
[訳]松浦俊輔(翻訳家)
イノベーション概念の現代史 / ブノワ・ゴダン
イノベーション概念の現代史
  • 著者:ブノワ・ゴダン
  • 翻訳:松浦 俊輔
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2021-10-29
  • ISBN-10:481581046X
  • ISBN-13:978-4815810467
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現代社会のキーワードとして君臨する「イノベーション」。いかにして考え出され、政策や経営に組み込まれていったのか。また、研究はどのように商業化に巻き込まれたのか。国際機関や省庁・企業の実務家たちに焦点を合わせ、科学・技術の「有用性」を問い直す、私たちの時代の概念史。

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