書評

『目でみる本の歴史』(出版ニュース社)

  • 2022/03/21
目でみる本の歴史 / 庄司 浅水,吉村 善太郎
目でみる本の歴史
  • 著者:庄司 浅水,吉村 善太郎
  • 出版社:出版ニュース社
  • 装丁:単行本(538ページ)
  • 発売日:1984-01-01
  • ISBN-10:478520009X
  • ISBN-13:978-4785200091
日本に今これだけの稀覯本があるのか、という快い驚きが、最初の十数ページを繰るうちにおのずと湧いてくる。活版印刷ではじめて印刷されたグーテンベルク聖書、世界に八部しかないという「四十二行聖書」、ダンテ『神曲』、シェークスピア全集本の「ファースト・フォリオ」、ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』、さらに本阿弥光悦の嵯峨本、幕末洋学関係の木版本等、二百数十点のカラー・白黒写真が目白おし。巻末には、古代から現代にいたる本の歴史を一瀉千里に書き下した庄司浅水の解説。ざっと以上が、庄司浅水・吉村善太郎共著『目でみる本の歴史』(出版ニュース社)の要約である。

この本のとりわけインキュナブラ本(初期揺籃本)の美しいカラー印刷を眺めているうちに、私は数年前たまたま訪れたマインツのグーテンベルク博物館を思い出した。そこに展示された、まばゆいばかりの中世彩飾写本やインキュナブラ本の一冊一冊が、大聖堂をミニアチュールに縮寸した小世界もさながらの、緊密な建築構成を示していたことも。

印刷術の発明は、書かれたもののコピーを容易にしたが、同時に中世彩飾写本の色彩豊かな図像と文字の総合的構成を解体して、活字のみによる近代の書物を大量発生せしめた。活字の全能は理性の独裁を意味する。その流れに逆らって、ブレイクや、近くはモリスが、グーテンベルク以前への回帰をめざして図像と文字の独自の総合を試みたことは、よく知られている。

『目でみる本の歴史』は、どちらかといえば、印刷術のもたらした書物の多様な発展について、舌なめずりする美食家の天真爛漫な食欲を隠さない。けれども美食に堪能したあとには、一服の苦い良薬をのんでおく用心も必要だろう。

この場合の苦い良薬とは、同じテーマを同じく図解しながら語った、寿岳文章の『図説 本の歴史』(日本エディタースクール出版部)だ。ブレイクとモリスの研究家として知られる寿岳文章は、グーテンベルク以後の書物の近代的展開をむしろ悪と見なしつつ、「それ以前」に失われた楽園を設定して楽園の回復をめざす。『目でみる本の歴史』の共著者庄司浅水の『書物の楽園』の「楽園」が、あくまでも現世の書物世界という楽園であるとするならば、寿岳文章の『書物の共和国』は、現世に先立って失われた書物のエデンの園への回帰の情熱につらぬかれていて、それだけにしばしば、現存の書物愛好家に対するきびしい否定の言説をさえ辞さないのである。

最近刊の『美しい本の話』(南柯書局)にも回顧されているように、庄司浅水は若年時から徳富蘇峰の愛書ぶりに傾倒し、一方、寿岳文章は『柳宗悦とともに』(集英社)の著作名通り、柳宗悦による白樺派=民芸運動の一環として独自の書物哲学を形成してきた。国家主義者であってエピクロス派的に書物を外在的に愛する蘇峰と、反軍国主義者であってストア派的に書物を内在的に生きた柳とのアイロニカルな対照は、そのまま、二人の巨人の衣鉢をつぐ当代最高の二人の書誌学者の業績に、すなわち「定本庄司浅水著作集」(出版ニュース社)と「寿岳文章・しづ著作集」(春秋社)に映し出されている。集書はもとより出版にいたるまで、近代日本の書物世界は、ほぼ右の車の両輪によって形成された、といって過言ではあるまい。

ニュー・メディアによる書物の危機が叫ばれている。『目でみる本の歴史』にふれて、私が二人の書誌学者の本というメディアに対する順接と逆接の姿勢のことを書いたのも、そのことと無関係ではない。書物という老巨人は、やがてその輝かしかった「歴史」を終えるかもしれない。だからといって「書物以後」の世代が、書物が何をしてきたか、を無視していいということにはならない。逆だろう。なぜなら、書物の歴史を消化しながら展開されるであろう新しいメディアもまた、それ自身のなかにメディアに対する順接と逆接との運動を抱え込みながら、生成し回帰するほかはないからだ。
目でみる本の歴史 / 庄司 浅水,吉村 善太郎
目でみる本の歴史
  • 著者:庄司 浅水,吉村 善太郎
  • 出版社:出版ニュース社
  • 装丁:単行本(538ページ)
  • 発売日:1984-01-01
  • ISBN-10:478520009X
  • ISBN-13:978-4785200091

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初出メディア

読売新聞

読売新聞 1984年2月21日

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