書評
『現代史を学ぶ』(岩波書店)
学問のプロとしてのあり方
プロフェッショナリズムとは何か。これがまことに見え難い時代である。こつこつと一つのことにうちこむプロの精神が「ダサイね」の一言で片付けられてしまう世の中だ。これに反してボーダレスというはやり言葉に象徴されるように、相互浸透と曖昧(あいまい)さをよしとする価値観全盛のため、いたるところでアマチュアリズムが幅をきかせている。学問の世界とて例外ではない。学問に淫するなどという言葉は、世紀末を迎えて死語になりつつあるのではないか。こうした風潮の中にあって、これまで学問的禁欲を貫いてきた著者は、初めて「学問の自分史」を世に問うた。著者の専門は、一九三〇年代のスターリン時代の農村と政治に関する現代史研究である。
「共産圏の崩壊」に衝撃を受けた著者による「歴史について」の考察は、単に現代史の分野に止まらず、およそ学問のあり方やプロフェッショナルの生き様をめぐって普遍的な問題提起となっている。確かに自らの「テーマを触発し持続させる個人的体験を歴史過程のなかで部分化すること」ができて、「全人生を賭(か)けても悔いのない自分のテーマに到達すること」が可能となれば、研究者冥利(みょうり)これに過ぎるものはない。
あたう限り抽象論を避け具体的記述をめざす本書の中でも、とりわけ「史料」と「文章化」を扱った後半部に、示唆をうけることが多い。「テーマと史料」「歴史と文学」「史料と想像力」をめぐる緊張関係に触れ、勇を鼓して史料の森に入るタイミングや史料を読むことと書くことの同時進行性を論じて、「史料をよむ」行為の立体的把握に及ぶ時、プロフェッショナルか否かは、すべての問題に対して限界を認識し輪郭を明確にすることができるか否かにかかっていることがわかる。
本書を読み進むうちに、カーの「歴史とは何か」とコリングウッドの「歴史の観念」を、今一度書棚から取り出したくなる衝動にかられた。
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