書評
『天ハ自ラ助クルモノヲ助ク―中村正直と『西国立志編』』(名古屋大学出版会)
先週、十二年ぶりにボストンを訪れた、郊外の本屋をのぞいたら、「セルフ・ヘルプ」というコーナーがあった。セラピーや対人関係や自己啓発の本がずらりと並べられていたが、「セルフ・ヘルプ」という言葉がこのように用いられていることには驚いた。
明治四(一八七一)年、中村正直によって翻訳された『西国立志編』の原作で、サミュエル・スマイルズの代表作も『セルフ・ヘルプ』という書名であった。いまはほとんど忘れられているが、明治日本では『西国立志編』が国民的な読み物。近代化のスタートラインに立った日本人はなぜその内容に強い興味を示したのか。本書では、近世から近代への大転換という歴史の流れにおいて、その理由が解き明かされた。さらに、この漢文調の翻訳がもたらされた影響が検討され、一冊の書物を通して、明治日本における文明モデルの転換という見取り図を浮かび上がらせた。
『セルフ・ヘルプ』が『論語』などを通して徳目を学んできた日本人には受け入れやすかったという指摘は意味深長だ。儒学精神の一つに、超自然の力ではなく、勤勉や修養といった自助努力の提唱が挙げられる。陽明学が明治日本に持てはやされていたのも、自力による自己救済の実践を唱えたことと無関係ではないだろう。幸田露伴の介在を通して、二宮尊徳『報徳記』と『セルフ・ヘルプ』との接点を見いだしたのも面白い。
比較文化研究として、それだけでも大きな収穫だが、複数の外国語に通暁する著者はそれには満足しなかった。第二部ではサミュエル・スマイルズがイタリアにおいてどのように受容されたかという問題が取り上げられ、イタリアでベストセラーとなった『クオレ』と『セルフ・ヘルプ』との関係も解明された、第四部では東アジアを射程に収め、ミル著、中村正直訳『自由之理』の原著が中国語にどのように訳されたかについて逐語に詳細な考察が行われた。この一連の作業によって文化受容の比較という、横と縦を交錯させる研究の可能性とその意味が示唆された。
このように紹介すると、何やら小難しい専門書のような印象を与えるかもしれないが、著者は専門研究を一般読者にもわかるような文章で発表することに長けている。本書も予備知識を持たなくても読みやすい内容だ。学問の成果をいかに世間に広く知らせるか、またもや一つよい手本が示された。
【この書評が収録されている書籍】
明治四(一八七一)年、中村正直によって翻訳された『西国立志編』の原作で、サミュエル・スマイルズの代表作も『セルフ・ヘルプ』という書名であった。いまはほとんど忘れられているが、明治日本では『西国立志編』が国民的な読み物。近代化のスタートラインに立った日本人はなぜその内容に強い興味を示したのか。本書では、近世から近代への大転換という歴史の流れにおいて、その理由が解き明かされた。さらに、この漢文調の翻訳がもたらされた影響が検討され、一冊の書物を通して、明治日本における文明モデルの転換という見取り図を浮かび上がらせた。
『セルフ・ヘルプ』が『論語』などを通して徳目を学んできた日本人には受け入れやすかったという指摘は意味深長だ。儒学精神の一つに、超自然の力ではなく、勤勉や修養といった自助努力の提唱が挙げられる。陽明学が明治日本に持てはやされていたのも、自力による自己救済の実践を唱えたことと無関係ではないだろう。幸田露伴の介在を通して、二宮尊徳『報徳記』と『セルフ・ヘルプ』との接点を見いだしたのも面白い。
比較文化研究として、それだけでも大きな収穫だが、複数の外国語に通暁する著者はそれには満足しなかった。第二部ではサミュエル・スマイルズがイタリアにおいてどのように受容されたかという問題が取り上げられ、イタリアでベストセラーとなった『クオレ』と『セルフ・ヘルプ』との関係も解明された、第四部では東アジアを射程に収め、ミル著、中村正直訳『自由之理』の原著が中国語にどのように訳されたかについて逐語に詳細な考察が行われた。この一連の作業によって文化受容の比較という、横と縦を交錯させる研究の可能性とその意味が示唆された。
このように紹介すると、何やら小難しい専門書のような印象を与えるかもしれないが、著者は専門研究を一般読者にもわかるような文章で発表することに長けている。本書も予備知識を持たなくても読みやすい内容だ。学問の成果をいかに世間に広く知らせるか、またもや一つよい手本が示された。
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