前書き

『明代とは何か―「危機」の世界史と東アジア―』(名古屋大学出版会)

  • 2022/05/23
明代とは何か―「危機」の世界史と東アジア― / 岡本 隆司
明代とは何か―「危機」の世界史と東アジア―
  • 著者:岡本 隆司
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(324ページ)
  • 発売日:2022-05-11
  • ISBN-10:4815810869
  • ISBN-13:978-4815810863
内容紹介:
現代中国の原型をかたちづくるとともに、東アジア史の転機ともなった明代。世界的危機の狭間で展開した財政経済や社会集団のありようを、室町期や大航海時代との連動もふまえて彩り豊かに描くとともに、民間から朝廷まで全体を貫く構造を鋭くとらえ、新たな時代像を提示する。
岡本隆司氏の新刊『明代とは何か』がこのたび刊行されました。なぜいま明の時代に注目するのか。アジア史・世界史との関連のなかで描きなおされる、その新たな歴史像とは。以下、「はじめに」全文を特別公開します。

中国史における300年の大転換期。明代(みんだい)が面白い!

日本史のなかでも「室町期」の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせふしぎに豊穣な文化を産んだ時代はない。(山崎正和『室町記』朝日選書,1974年)

山崎正和がこう定義し、また描出した室町時代。おそらくは、はるかに原勝郎の「足利時代」論にのっとり、これを敷衍したものであろう。ともあれ、かつては乱れるばかり、しかも英雄不在で精彩が乏しいとみてあたりまえだった暗黒時代は、そのイメージを一新した。

その室町時代とは、14世紀の半ばから16世紀の終わりまで。海を隔てた大陸で、おおむね同じ期間は、明朝の時代だった。といわれても、多くの日本人は「明朝」にはなじみが薄い。

まさか「みょうちょう」と読む向きはないだろう。でも何とか「みん」と読めるのは、小著もしたがう「明朝体(みんちょうたい)」という和文書籍おなじみの字体が存在し、その文脈で人口に膾炙してきたからにすぎない。「明朝体」なかりせば「みん」とすら読めない人がほとんどではないだろうか。だとすれば、実在した明朝・明代の歴史など、知られていなくて当然ではある。

しかしながら、年表を覗いてみるがいい。日本の室町時代と中国の明代、江戸時代と清代とは、奇しくも時期が一致する。これはけだし歴史的な理由のあることで、決して単なる偶然の一致ではない。

それなら列島の「豊穣な」室町時代の現出は、明朝の君臨した同時代の大陸とも深く関わっているはずである。そう考えてみると、現代のわれわれも俄然、明代の中国に関心もわいてくるのではなかろうか。

ところが専門家・研究者の間でも、その明代はかつてあまり注目を集めてこなかった。それなら一般は、なおさらではある。

悪いのは東洋史学の草分けであり泰斗である、内藤湖南であろうか。かれは「明代はつまらん」といってはばからなかった。その薫陶を受けた門弟たちも同様であって、一例として一代の碩学・宮崎市定の述懐を引いてみよう。

明代の研究には手を出すな、面白い主題は何もないから、勉強の仕甲斐がないぞ、という言い伝えのようなものがあって、ついぞ明代研究家が出なかった……学術誌に時折明代関係の研究が載せられるが、それを読んでみると本当に面白くない。……明王朝の歴史そのものが創立から滅亡まで三百年近い間、まこと平々凡々な退屈な世代の交替で、興味ある劇的な場面というものがない。動物に譬えればそれは頭も手足も尻尾も区別のつかぬ、なまこのようなもので、歴代の天子もはっきりせず、例えば五代目と八代目を取換えても、そのまま歴史として通用しそうに思える、甚だ張り合いのない王朝のように見えた。(『宮崎市定全集13 明清』岩波書店,1992年)

「平々凡々」「退屈」「張り合いのない」などなど、散々な評言である。「言い伝え」の始まりはおそらく内藤湖南ながら、その所感は衆目の一致したところらしい。

しかし宮崎は戦後、「自分自身で、果して明代の歴史が本当に面白くないのかどうかを験して」、「明代史を面白くしよう」と一念発起、鋭意研究にとりくむ。やがて画期的な論文をいくつも発表した。

奇しくも同じ時期、日本の社会経済史学・マルクス史学では、17世紀の時代を世界史の一大転機とみなし、中国史の文脈でも大いに注目が集まった。中国大陸でもこの時期、自国に「資本主義の萌芽」が存在した史実を見いだすべく、精力的な研究に着手している。

1980年代になって、マルクス史学は退潮をみせたけれども、16世紀・17世紀を対象とした中国史研究、いわゆる「明清時代史」は以前の蓄積を生かして、いっそうの発展をとげた。やがて「世界システム」論の風靡とともに、西洋史・世界史の研究とも連動しつつ、地方志・檔案という新資料にも支えられ、「地域社会論」など、新たな動向・視座を生み出した。そうした動向のなか、日本の中国史学で最も盛んな、かつまた斯学全体をリードする研究分野となる。

それとほぼ時を同じくして盛んになったのは、13世紀にはじまるモンゴル時代史の研究である。それを育んだ遊牧草原世界の世界史的な重要性を、「中央ユーラシア」という歴史概念とともにあらためて認識せしめ、現在では欠くことのできない研究分野の一つとなった。むしろ世上では世界史的な関心から、こちらのほうがよく知られているかもしれない。

こうして、いわゆるモンゴル時代史と明清史、やや具体的にいいかえれば、14世紀で閉じる「大元国(ダイオン・ウルス)」までの時代と17世紀に始まる「大清国(ダイチン・グルン)」からの時代は、多くの研究成果が出て、「豊穣な」歴史像ができあがっている。それが現状であろうか。

半面そのはざまに位置する時代の意味は、とりわけ東アジアで、あまり注目してこなかった。それがすなわち「明代」である。

この時代は少なくとも研究史・学説史の上では、先行するモンゴル時代史、後続する明清史のそれぞれ一部でしかなかった。つまり「元末明初」と「明末清初」、いわば前後バラバラに引き裂かれる形となり、まとめて着眼、考察する動機に乏しかったといって過言ではない。日本史でいえば、あたかも鎌倉時代から続く南北朝と、江戸時代につづく戦国時代とに分かたれた、往年の室町時代の処遇であった。

西洋史の同時代は、おおよそルネサンスから大航海時代への展開にあたる。いわゆる環大西洋革命がはじまり、世界経済の「中核(コア)」が形作られてゆく激動の時代だった。いやしくもおろそかにはできない。しかも同時代の日中には、イエズス会士をはじめ、多くの西洋人がやってきたのであり、互いにもはや無関心ではなくなっていた。

小著はそんな「明代」をユニット・パッケージにして、現今の室町時代と同じように、一つの意味ある時代に描きなおそうとするものである。そこであらためて、少なからず存在する関連の論著をみると、たとえば「新書の中国史で明代史の専著はいまだなく」、これまで類似の試みは存外に少なかった(壇上寛『陸海の交錯――明朝の興亡』岩波新書,2020年)。けだし理由がないわけではない。

前後の時代の歴史研究は、すでに蓄積は厖大で、題目もおびただしく、それぞれに細密高度な研究があたりまえである。いやしくも専門家であれば、そこを追跡しなくてはならない。大きな視点から時代全体を位置づけるのは、勢い困難なのであって、そこは想像にあまりある。

それなら少しちがう立場・視座から俯瞰してやれば、かえって全体を描きやすいのではないか。どうやらそんなところに、筆者のような門外漢・アマチュアの存在意義がありそうである。

素人らしく蛮勇をふるって、既存の成果を生かし、また世界史との接続につとめれば、少しくちがった「明代」の歴史像を描くのも、不可能ではあるまい。それが既存のモンゴル時代史・清代史に対する研究成果とあいまって、中国史・現代中国をみなおす契機の一助にでもなるなら、およそ瓢簞から駒。そんな僥倖を願いつつ筆をすすめていこう。

[書き手]岡本隆司(京都府立大学文学部教授)
明代とは何か―「危機」の世界史と東アジア― / 岡本 隆司
明代とは何か―「危機」の世界史と東アジア―
  • 著者:岡本 隆司
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(324ページ)
  • 発売日:2022-05-11
  • ISBN-10:4815810869
  • ISBN-13:978-4815810863
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現代中国の原型をかたちづくるとともに、東アジア史の転機ともなった明代。世界的危機の狭間で展開した財政経済や社会集団のありようを、室町期や大航海時代との連動もふまえて彩り豊かに描くとともに、民間から朝廷まで全体を貫く構造を鋭くとらえ、新たな時代像を提示する。

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