書評

『世界は五反田から始まった』(株式会社ゲンロン)

  • 2022/08/31
世界は五反田から始まった / 星野 博美
世界は五反田から始まった
  • 著者:星野 博美
  • 出版社:株式会社ゲンロン
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(372ページ)
  • 発売日:2022-07-20
  • ISBN-10:4907188455
  • ISBN-13:978-4907188450
内容紹介:
30年前に手渡された、祖父が残した手記。戦時下を必死で生きた祖父の目を通して、タワーマンションの光景が町工場の記憶と重なり合う。大宅壮一ノンフィクション賞作家が描く、東京の片隅から見た等身大の戦争と戦後。

日本近代史に重なるミクロストリア

五反田近くの戸越銀座で祖父の代から下請け工場を営む一家に育った著者は「五反田を五反田たらしめている特色」は何かと問うたあげく「祖父の存在」の大きさに気づく。残された祖父の自筆の自伝を読むことで五反田駅を中心にした自分の「生活圏」が祖父のそれとぴたり重なり合っている事実を発見したからだ。

第一次大戦の軍需景気に湧く一九一六年、外房の御宿・岩和田の鰯網漁師の三男だった祖父・量太郎は高等小学校を中退し、芝白金三光町の清正公近くの町工場で見習い工員となる。大正九年に再上京して天現寺橋近くの工場で働いて昭和二年に独立し、下大崎でバルブコックの下請け工場を創業、昭和十一年に戸越銀座に自宅兼工場を設ける。

「この[私の]円は、丁稚の頃に清正公で遊び、そして戸越銀座で死んだ、祖父の人生領域そのものだった」。著者は祖父と自分の生活圏を「大五反田」と命名する。「大五反田概念の出現で、私のゆらぎはついに解消した」

やがて、祖父の工場の下請けラインを川上へと溯っっていく過程で、大五反田の原点は第一次世界大戦を契機として大発展を遂げた軍需産業にあったことを知る。さらに大反田の中核的工場が藤倉航装だったことが判明すると、にわかに小林多喜二の『党生活者』が浮上してくる。『党生活者』の「私」が非正規雇用労働者を組織化すべく潜入した「倉田工業」こそは五反田駅前にあった藤倉航装の前身「藤倉工業」であり、作品に描かれた線路両側の待合街が五反田風俗街の始まりだったことが判明したからだ。また、宮本百合子の『乳房』の舞台となったのは大五反田の工場で働く非正規雇用労働者のために設けられた無産者託児所だったことも分かってくる。大五反田はプロレタリア文学揺籃の地となった新興工業地域であり、時代の軍国化に伴い軍需産業街へとシフトした街なのだ。

このような軍需産業への傾斜は思わぬ副産物を生む。商業組合法の廃止により日常的商業に従事する人々が仕事を失ったのだ。さらに空襲が始まると、防火目的で家を取り壊す強制建物疎開が行われ、住む家を失う人々も出てくる。これらの被害を二重に被ったのが隣町の武蔵小山の商店街で、打開策として打ち出されたのが、商店街を挙げての満蒙開拓団への参加であった。しかし、満蒙へ渡った武蔵小山商店街の人々の多くはそのまま帰らぬ人となった。

では、残った大五反田の人々は安全だったかといえば、そうはいかなかった。昭和二十年五月二四日の城南大空襲で、大五反田の家は、祖父の町工場も含めて、ほとんど焼き払われてしまったからだ。ただ、空襲体験記を精読した著者はあることに気づく。民衆の多くはきれいさっぱり焼かれて逆にふっきれたと感じる一方、お上の命令などには従わず、自分の頭で必死に考えてサバイバルする方法を模索していたのだ。

そして最後に、著者は幼い頃に祖父から聞かされた焼け跡では「戻りて、ただちに杭を打て」という教訓の真実性に思い至る。「祖父が幼い私に伝えた話の背景に広がるのは、焼け跡をめぐる、欲望むき出しの人間の醜さだった」

家族史がそのまま地域史となり、さらには地域史が日本近代史に重なるミクロストリアの傑作と言っていい。

【関連オンラインイベント情報】2022/08/31 (水) 20:00 - 21:30 星野 博美×鹿島 茂、星野 博美 『世界は五反田から始まった』(株式会社ゲンロン)を読む

書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第44回のゲストはノンフィクション作家、写真家の星野 博美さん。メインパーソナリティーは鹿島茂さん。

https://peatix.com/event/3329849/view
世界は五反田から始まった / 星野 博美
世界は五反田から始まった
  • 著者:星野 博美
  • 出版社:株式会社ゲンロン
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(372ページ)
  • 発売日:2022-07-20
  • ISBN-10:4907188455
  • ISBN-13:978-4907188450
内容紹介:
30年前に手渡された、祖父が残した手記。戦時下を必死で生きた祖父の目を通して、タワーマンションの光景が町工場の記憶と重なり合う。大宅壮一ノンフィクション賞作家が描く、東京の片隅から見た等身大の戦争と戦後。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年7月23日

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