前書き

『社長たちの映画史 映画に賭けた経営者の攻防と興亡』(日本実業出版社)

  • 2023/02/11
社長たちの映画史 映画に賭けた経営者の攻防と興亡 / 中川 右介
社長たちの映画史 映画に賭けた経営者の攻防と興亡
  • 著者:中川 右介
  • 出版社:日本実業出版社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(544ページ)
  • 発売日:2023-01-20
  • ISBN-10:4534059787
  • ISBN-13:978-4534059789
内容紹介:
日本映画120年、全盛・斜陽期の経営者の興亡を中心に描く映画「経営」史。
1971年──この年、4人の社長がその座を降りた。

東映社長・大川博は急死した。息子は後を継げなかった。

大映社長・永田雅一は経営危機に陥った会社を息子に押し付け雲隠れし、大映は倒産した。

日活社長・堀久作も経営危機の会社を息子に押し付け辞任、日活は一般映画の製作を止めてロマンポルノへと転じた。

松竹社長・城戸四郎は社長を退任し会長に退いた。しばらくは院政を敷く。

社長の座が安泰だったのは東宝の松岡辰郎だけだった。しかし東宝はこの年、撮影所ごと製作部門を切り離すという大改革を断行した。映画を製作しない映画会社になったのだ。

五大映画会社は同じ年に大転換を強いられた。それは、「黄金時代」と呼ばれた栄華の完全なる終焉だった。

映画人口(年間総入場者数)がピークに達したのは1958年で、日本全国に7067の映画館があり、11億2745万人が映画館へ行った。当時の人口は9177万人なので、単純計算でひとり12回、映画館へ行っていたことになる。つまり、全ての日本人が毎月1回、映画を見に行っていたのだ。

しかし、1960年代に入ると映画人口は激減していく。最大の要因はテレビである。

1959年の「皇太子ご成婚」から64年の東京オリンピックまでの5年間に、すさまじい勢いでテレビが普及した。NHKの受信契約数は放送開始の1953年は7603件だったが、58年には155万を越え、64年には1671万になった。それに反比例して映画館へ行く人の数は激減し、64年には4億3145万人と、ピークの58年の約3分の1になってしまった。たった5年で3分の2の顧客を失ったのである。

映画界が激震に見舞われた1971年は、映画館・2974館、映画人口・2億1675万人にまで減っていた。顧客数だけで見た市場規模は58年に対して19・2パーセントに落ち込んでいた。13年間で8割の顧客を喪ったのだ。

映画斜陽の原因はテレビだけではなかった。若者が集団就職などで地方から都会へ出たために、地方の映画館が観客を喪ったのも大きかった。その分、都市部の観客が増えたのかというと、そうでもなかったのだ。田舎では娯楽と言えば映画しかなかったが、都会にはさまざまな娯楽があったので、若者が映画館へ行く回数は減った。

映画会社のなかには、映画にこだわらず、観光事業へと多角経営化を試みたところもあったが失敗した。テレビ時代到来を見越して、テレビ局を開局したところもあった。各社ともテレビ用映画製作部門を立ち上げてはいたが、消極的な姿勢だったことは否めない。

テレビに本腰を入れれば、事態は改善したかもしれないが、映画人のプライドがそれを許さなかった。映画製作部門の赤字は増え、製作費削減、人員削減、さらには撮影所売却・縮小を迫られ、その結果、映画の質も低下した。映画ファンはハリウッド映画やフランス映画を好むようになり、日本映画は量的にも質的にも低迷していく。

映画会社各社がワンマン体制だったのも改革できなかった大きな要因だ。彼らは社内で絶大な権力を握り、反対意見を寄せ付けなかった。自らの成功体験に酔いしれ、時代の変化への対応を遅らせた。

会社が危機的状況にあるなか、大映・永田、日活・堀、東映・大川は自分の息子を役員にして、後を継がせようと画策し、反感と混乱を招いた。

すでに東宝は小林一三、松竹は大谷竹次郎の親族が世襲していた。

この物語は、戦後復興とともに「娯楽の王様」となり、1950年代に全盛期・黄金時代を迎えた「映画会社」の攻防と興亡を、社長たちを主人公に描くものである。

映画製作・上映における最終決裁者である「社長」は、1970年頃までは大きな存在だった。大映の映画を見に行けば、タイトルの次に「製作総指揮・永田雅一」と出るし、東映の映画にも「製作総指揮・大川博」とクレジットされていた。永田と大川、日活の堀久作らは「成功した社長」として財界でももてはやされ、映画界以外でも、その名と顔が知られていた。

しかしいま──そういう社長はいない。2011年に亡くなった東映の岡田茂が最後の大物社長だろう。東映や東宝、松竹のいまの社長の名を即座に言える人は、映画関係者でも少ない。

そもそも、「映画会社」のあり方が変化した。

たしかに「映画会社」というものは、いまもある。しかし、いまの映画会社と半世紀前に存在していた映画会社とはまったく業態が異なるのだ。それは映画の製作・配給・上映のシステムそのものが変化したからである。

現在の映画は、出資企業を募って作品ごとの製作委員会が作られるところから始まる。映画は製作会社(プロダクション)が作るが、撮影所を自社で持つところはなく、借りて撮る。できた映画は配給会社が配給し、興行会社(映画館)が上映している。完全な分業制である。

しかし、明治が終わる1912年に日活が創業されてから1970年代までは、広大なスタジオを持ち、スターから大部屋までの俳優も、監督も脚本家も、撮影、美術、録音、編集といったスタッフも全て社員として抱え製作し、配給部門があり、全国に支店、すなわち配給網を持ち、直営映画館も持つ、製造から販売までを一貫して行なう垂直統合型の「映画会社」が最盛期には六社あり、競い合っていた。

これは、そういう時代の物語である。

いつ・どこで・だれが・なにをした・なにを語ったという部分は、全て文献資料(巻末に一覧)に拠っている「事実」であり、筆者による創作はない。しかし、映画人は話を盛って面白くするので、彼らの証言や自伝は真実なのか疑問の残るものもある。できる限り複数の文献をあたったが、真実と言い切れないものもあることをお断りしておく。
社長たちの映画史 映画に賭けた経営者の攻防と興亡 / 中川 右介
社長たちの映画史 映画に賭けた経営者の攻防と興亡
  • 著者:中川 右介
  • 出版社:日本実業出版社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(544ページ)
  • 発売日:2023-01-20
  • ISBN-10:4534059787
  • ISBN-13:978-4534059789
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日本映画120年、全盛・斜陽期の経営者の興亡を中心に描く映画「経営」史。

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