後書き
『世界の奇食の歴史:人はなぜそれを食べずにはいられなかったのか』(原書房)
いまコオロギ食をめぐって侃々諤々の論争が繰り広げられている。でもこれも、人間の長い食文化の歴史のなかで見れば、よくある光景なのかもしれない。なぜなら奇食の定義は文化や時代によっても変わるし、現代人にとっては嫌悪を催させる食物も、かつてはおいしく賞味されていたからだ。古代ローマの美食家たちはこぞってフラミンゴの舌を絶賛していたというし、イギリスでは子牛の脳みそが人気料理だった時代もある。逆に、今でこそ高級食材となっているロブスターは貧乏人の食べ物だったという。
こうした奇食が登場した歴史的背景から、人間に食べ尽くされて絶滅した生物のこと、そして知らず知らずのうちにわたしたちはすでに昆虫由来の着色料を口にしていることまで、人間の飽くなき食欲の歴史をたどる『世界の奇食の歴史』の「訳者あとがき」を抜粋して公開する。
1章では缶詰食品、2章では臓物、3章では血液、4章ではカエル、5章では昆虫……と、扱われる食材はさまざまだ。これらの素材を利用して、作者は適切な〝味つけ〟をほどこし、その裏にひそむ興味深い話題を次々と並べていく。
缶詰による食料保存が発明され、不良品などの苦難を乗り越えつつ缶詰が普及していく歴史(北極海探検航海を行ったフランクリン遠征隊が不幸な結果に終わった原因の一端は缶詰にあったらしい)。カエルの缶詰を売りまくって養殖事業を広めたものの、自らが引き起こしたカエル・ラッシュがかえって仇となり、会社を閉鎖せざるをえなかったアメリカ・カエル缶詰会社の創設者アルバート・ブロエル。普仏戦争でプロイセン軍に包囲され、食料不足に追い込まれた結果、犬や猫、ネズミといった動物の肉を食べざるをえなくなったパリ市民。ドードーやリョコウバト、オオウミガラスなど、人間が暴食したことによって(もちろんそれが唯一の原因ではないが)絶滅に追いやられた動物たち。未処理の下水による汚染のため、よりどころとなる牡蠣養殖産業が崩壊してしまった町……。
私たちは、風変わりな食材の紹介を楽しみつつ、奇食にまつわるトリビアとともに、その歴史や周囲を取り巻く人間模様を目の当たりにすることになる。過去の料理の復元にも取り組んでいる著者らしく、有名な『ビートン夫人の家政読本』などからのレシピも多く紹介されている(奇食のレシピだから、なかなか自分で作ってみようと思われる方は少ないかもしれないが…)。
古今東西の豊富な話題が雑然と詰め込まれている感はあるが、本書で紹介されている数々の料理を堪能するごとく、肩肘張らずに楽しんで読んでいただければ幸いである。
[書き手]阿部将大(訳者)
こうした奇食が登場した歴史的背景から、人間に食べ尽くされて絶滅した生物のこと、そして知らず知らずのうちにわたしたちはすでに昆虫由来の着色料を口にしていることまで、人間の飽くなき食欲の歴史をたどる『世界の奇食の歴史』の「訳者あとがき」を抜粋して公開する。
王から貧民まで、人はなぜそれを食べずにはいられなかったのか
「奇食」というと、ゲテモノ料理を食べてその感想を述べるような書籍を想像される方が多いだろう。それはそれで楽しみに満ちた読み物ではあるが、本書はそういった著作とは異なるものだ。ウジ虫チーズやペニス料理といったいかにも奇食らしい奇食も紹介されるが、その狙いは、さまざまな食材を取り上げながら、古代から現代までの多種多様な資料を参照しつつ、その社会的、文化的背景を探ることである。1章では缶詰食品、2章では臓物、3章では血液、4章ではカエル、5章では昆虫……と、扱われる食材はさまざまだ。これらの素材を利用して、作者は適切な〝味つけ〟をほどこし、その裏にひそむ興味深い話題を次々と並べていく。
缶詰による食料保存が発明され、不良品などの苦難を乗り越えつつ缶詰が普及していく歴史(北極海探検航海を行ったフランクリン遠征隊が不幸な結果に終わった原因の一端は缶詰にあったらしい)。カエルの缶詰を売りまくって養殖事業を広めたものの、自らが引き起こしたカエル・ラッシュがかえって仇となり、会社を閉鎖せざるをえなかったアメリカ・カエル缶詰会社の創設者アルバート・ブロエル。普仏戦争でプロイセン軍に包囲され、食料不足に追い込まれた結果、犬や猫、ネズミといった動物の肉を食べざるをえなくなったパリ市民。ドードーやリョコウバト、オオウミガラスなど、人間が暴食したことによって(もちろんそれが唯一の原因ではないが)絶滅に追いやられた動物たち。未処理の下水による汚染のため、よりどころとなる牡蠣養殖産業が崩壊してしまった町……。
人間の飽くなき食欲の歴史をひもとく
社会的、文化的背景が語られるといっても、堅苦しい研究書ではないのでご安心を。ディケンズやエミリー・ブロンテ、エリザベス・ギャスケルといったヴィクトリア朝の作家の小説や、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、ケネス・グレアムの『たのしい川べ』といった文学作品からの引用もあるが、中心となるのは、各時代の人々の姿を如実に示してくれる新聞記事などの身近な資料だ。そこからは、缶詰食品による食中毒によって不幸にも命を失った人々や、不法な缶詰によって大儲けを企んだ商人、結核療法として解体されたばかりの動物の血を求める若い女性たちなどの姿が浮かび上がってくる。私たちは、風変わりな食材の紹介を楽しみつつ、奇食にまつわるトリビアとともに、その歴史や周囲を取り巻く人間模様を目の当たりにすることになる。過去の料理の復元にも取り組んでいる著者らしく、有名な『ビートン夫人の家政読本』などからのレシピも多く紹介されている(奇食のレシピだから、なかなか自分で作ってみようと思われる方は少ないかもしれないが…)。
古今東西の豊富な話題が雑然と詰め込まれている感はあるが、本書で紹介されている数々の料理を堪能するごとく、肩肘張らずに楽しんで読んでいただければ幸いである。
[書き手]阿部将大(訳者)