古文書や古記録類の紙「料紙(りょうし) 」
日本列島各地には、世界に類をみない規模で古文書や古記録類が残されている。これらに記載された文字情報を読み解くことは歴史研究の基本的な作業であるが、様式や筆跡といった古文書を構成するさまざまな要素に注目した研究として古文書学がある。古文書学では、文字情報に留まらない多様な歴史情報を古文書から見出すべく進展してきた。そのなかでも料紙に注目した研究は、古代・中世期の文書を中心に材料や紙を漉く過程で生じた痕跡などを調査して料紙の種類を特定・分類し、料紙がどのように作られ、利用されてきたのか、その実態から歴史を捉えようとする。
古文書をモノとして観察する手法は、歴史学に加えて自然科学や製紙科学、文化財修復などの分野でも関心が高まっており、顕微鏡を用いて料紙の構造を観察・分析する調査が各所で実施されている。
近年の古文書に対する関心は、文字の読み解きといった歴史学的観点のみに限定されない、さまざまな目的から情報を抽出する可能性が提起されつつあり、そのための調査・分析手法が求められている。
繊維からみた古文書
日本の古文書料紙に用いられる主な繊維素材は、楮(コウゾ)、三椏(和名ミツマタ)、雁皮(和名ガンピ)、竹(和名タケ)、麻(和名アサ)である。これらは、繊維の形状や紋様、長さ・幅などの特徴から識別することができる。たとえば、楮紙は繊維の断面形状が円形や楕円形をしており、全体的に縦に長く、繊維の幅は均一ではない。雁皮紙は繊維の断面形状が扁平であり、幅は狭く、細胞壁も薄い。
顕微鏡を用いて古文書を観察すると、このような繊維ごとの特徴を把握することができる。誰がどのような場面でいかなる料紙を用いているのか。時期や地域、身分関係、社会状況をふまえて料紙の特性を検討すると、文字情報のみでは理解しえない歴史的背景を明らかにする可能性もあるだろう。
古文書を構成する物質
モノとして古文書を観察することは、料紙を構成するさまざまな素材を特定することでもある。これらの情報は、料紙の種類を判定し、その作り方や使われ方を解明する重要な根拠となり、あわせて装丁技術の復元にも活用される。古文書が包含する多様な情報を抽出するためには、自然科学的な手法をふまえた総合的な調査・分析手法を検討する必要がある。
こうした古文書研究に新たな可能性を見出し、日本のみならず東アジア全体における歴史資料の科学研究に役立てられるガイドブックが、今回出版した『古文書の科学 料紙を複眼的に分析する』である。
『古文書の科学 料紙を複眼的に分析する』の目指すもの
本書は「料紙研究の新常識の提唱」を目的に、自然科学的な観点を導入した古文書研究入門として調査・分析に関わる基礎的な情報を紹介している。本書に先駆けて作成した史料調査ハンドブック『古文書を科学する—料紙分析はじめの一歩』(https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/assets/pdf/seika2021-9.pdf)は、「分析の専門家でない一般の歴史研究者が観察や撮影を行うためのガイド」として作成したものである。本書はこのハンドブックの内容をふまえ、関連する共同研究プロジェクトで進めてきた研究データの共有化・連結化・国際化についても展望を示している。本書が人文科学や自然科学を架橋した研究発展の一助となれば幸いである。
[書いた人]
渋谷綾子(しぶたに・あやこ)
東京大学史料編纂所特任助教(考古科学、文化財科学)
論文に、Shibutani, A., Aono, T. and Nagaya, Y.: Starch granules from human teeth: New clues on the Epi-Jomon diet. Frontiers in Ecology and Evolution, 10, 2022.、Shibutani, A.: Scientific study advancements: Analysing Japanese historical materials using archaeobotany and digital humanities. Academia Letters, 2022.、渋谷綾子・高島晶彦・天野真志・野村朋弘・山田太造・畑山周平・小瀬玄士・尾上陽介「古文書料紙の科学研究:陽明文庫所蔵史料および都城島津家史料を例として」(『東京大学史料編纂所研究紀要』、32、2022年)など。
天野真志(あまの・まさし)
国立歴史民俗博物館准教授(日本近世・近代史、資料保存)
著書に、『地域歴史文化継承ガイドブック 付・全国資料ネット総覧』(共編著、文学通信、2022年)、『幕末の学問・思想と政治運動』(吉川弘文館、2021年)、『記憶が歴史資料になるとき』 (蕃山房、2016年)など。