書評
『読んでいない本について堂々と語る方法』(筑摩書房)
生来の負けず嫌いのため、二十代の頃、先輩たちが話題にしている本をあたかも自分も読んでいるかのように振る舞って冷や汗をかくことがよくありました。で、そんなイヤな汗をかきたくない一心で手に取った、自分の関心の範囲では出合えなかったであろう本が、わたしにはたくさんあります。ところが、なんとしたことか。こんな本が存在するんですの。『読んでいない本について堂々と語る方法』。えぇ〜、それでいいのお? 明滅する有機交流電燈のひとつの青い照明たるわたくしといふ現象の過去三十年間を、一撃でもって否定しくさる破壊度満点の書名に憤慨しつつ開いてみた次第なんであります。
そしたら「序」からして過激。この世には、①読書を神聖な行為とみなし、②本は完読すべきで、③本について語るには当該書物を読んでいなくてはならない暗黙の了解があるという三大前提があるけれど、〈ある本について的確に語ろうとするなら、ときによっては、それを全部は読んでいないほうがいい。いや、その本を開いたことすらなくていい〉なんてことを言い放ってるんです。というのも、個人が一生のうちで“読んだ”といえるような本の量はたいしたことはなく、しかも“完璧な読書”なんてのもありえないから。〈読書を始めた瞬間から、抗いがたい忘却のプロセスが起動する〉、つまり一冊の書物の内容を完全に覚えていることが不可能である限り、すべての読書はいってみれば“流し読み”のようなものだと畳みかけてくるんですよ。
最初はけんか腰で読み始めたわたくしも、ここであっさり白旗を上げてしまった次第。「忘れるよねー」、むしろ同感です。でも、どうしたら読まずに堂々と語れるようになるのか。そのヒントとして挙げられているのが、ロベルト・ムージル『特性のない男』に登場する図書館司書です。ムージルの司書は「自分は本など一冊も読まないけれど全ての本のことを知っている。精神界の列車時刻表にあたる目録を熟知しているからだ」と語っているのです。つまり、書物という宇宙の全体を見晴らせている、と。〈教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。(略)諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということ〉こそが大事で、そうした〈ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体〉たる〈共有図書館〉を把握していることが、書物について語るときの決め手になるのだとこの本は説いているんです。ここにきて、『勝てる読書』という拙著の中で「自分なりの本の星座早見盤を作るのが大事」と記しているわたしの気分は、同感から共感へ。
ただし、ご注意あそばせ。本書の著者ピエール・バイヤールは、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を精読し、名探偵ポアロが名指している犯人が真犯人ではないことを論証してみせるという名著で知られる批評家なんです。そんな曲者ですから、自分はやすやすとこなしてみせる共有図書館の把握だって、それを達成するためにはある程度の基礎教養が必要だという厳しい現実については、見事に隠蔽してるんですねー。さきほど引用したムージルをはじめ、たくさんの本が実に魅力的な筆致で紹介されているのでブックガイドとしても優れたこの本を、わたしは大変面白く読みましたけど、「たとえ読んだ端から忘れていくとしても、これからも愚直に読んで自分なりの本の星座を作っていこう」と決意を新たにした次第です。第一、読書って愉しいんだし。堂々と知ったかぶることよりも、読んで愉しい、その気分のほうがオデには大事。
【この書評が収録されている書籍】
そしたら「序」からして過激。この世には、①読書を神聖な行為とみなし、②本は完読すべきで、③本について語るには当該書物を読んでいなくてはならない暗黙の了解があるという三大前提があるけれど、〈ある本について的確に語ろうとするなら、ときによっては、それを全部は読んでいないほうがいい。いや、その本を開いたことすらなくていい〉なんてことを言い放ってるんです。というのも、個人が一生のうちで“読んだ”といえるような本の量はたいしたことはなく、しかも“完璧な読書”なんてのもありえないから。〈読書を始めた瞬間から、抗いがたい忘却のプロセスが起動する〉、つまり一冊の書物の内容を完全に覚えていることが不可能である限り、すべての読書はいってみれば“流し読み”のようなものだと畳みかけてくるんですよ。
最初はけんか腰で読み始めたわたくしも、ここであっさり白旗を上げてしまった次第。「忘れるよねー」、むしろ同感です。でも、どうしたら読まずに堂々と語れるようになるのか。そのヒントとして挙げられているのが、ロベルト・ムージル『特性のない男』に登場する図書館司書です。ムージルの司書は「自分は本など一冊も読まないけれど全ての本のことを知っている。精神界の列車時刻表にあたる目録を熟知しているからだ」と語っているのです。つまり、書物という宇宙の全体を見晴らせている、と。〈教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。(略)諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということ〉こそが大事で、そうした〈ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体〉たる〈共有図書館〉を把握していることが、書物について語るときの決め手になるのだとこの本は説いているんです。ここにきて、『勝てる読書』という拙著の中で「自分なりの本の星座早見盤を作るのが大事」と記しているわたしの気分は、同感から共感へ。
ただし、ご注意あそばせ。本書の著者ピエール・バイヤールは、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を精読し、名探偵ポアロが名指している犯人が真犯人ではないことを論証してみせるという名著で知られる批評家なんです。そんな曲者ですから、自分はやすやすとこなしてみせる共有図書館の把握だって、それを達成するためにはある程度の基礎教養が必要だという厳しい現実については、見事に隠蔽してるんですねー。さきほど引用したムージルをはじめ、たくさんの本が実に魅力的な筆致で紹介されているのでブックガイドとしても優れたこの本を、わたしは大変面白く読みましたけど、「たとえ読んだ端から忘れていくとしても、これからも愚直に読んで自分なりの本の星座を作っていこう」と決意を新たにした次第です。第一、読書って愉しいんだし。堂々と知ったかぶることよりも、読んで愉しい、その気分のほうがオデには大事。
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