解説

『カスティリオーネの庭』(講談社)

  • 2017/08/18
カスティリオーネの庭 / 中野 美代子
カスティリオーネの庭
  • 著者:中野 美代子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(400ページ)
  • 発売日:2012-07-13
  • ISBN-10:4062773066
  • ISBN-13:978-4062773065
内容紹介:
清朝最盛期の乾隆帝に宮廷画家として仕えたイタリア人宣教師ジュゼッペ・カスティリオーネ。現地名「郎世寧」として中国絵画史上にも大きな足跡を残した彼は、離宮の狭い一画に十二支をかたどった噴水と西洋式の宮殿を造るよう命じられ、仲間の宣教師らと心血を注ぐ…。西洋の目が見た皇帝一族の光と影。

ところで、比較芸術学的といえば、やはりカスティリオーネの絵画作品の問題にも触れておかなければならない。私はかつて『形象と時間』(白水社、一九八六年)の「馬のエクリチュール」の章において、テオドール・ジェリコーやギュスターヴ・クールベの作品に見られる、宙を飛ぶ疾走馬の四本脚の表現について論じたことがある。写真との違いによって大いに物議をかもした、いまでは周知の芸術史的問題だが、資料をあたるうちに、十九世紀の西洋に宙を飛ぶ馬が現れることになる経緯には、ほかならぬカスティリオーネが関係しているのではないかと考えるようになった。中国では脚を前後に広げて疾走(ギャロップ)する馬の表現が一般的だったから、彼の絵のなかにも同様の姿を見せることになり、それが一七六〇年代にフランスに伝えられた……。というようなことを、私はある雑誌に書いて、折から本書を執筆中だった中野氏にお見せしたことがある。そのあたりの事情は、講談社学術文庫版『形象と時間』(一九九八年)の「解説」をお引き受けくださった中野氏によっても触れられているが、氏はその問題を『チャイナ・ヴィジュアル──中国エキゾティシズムの風景』(河出書房新社、一九九九年)所収の「西方への疾走(ギャロップ)──カスティリオーネの馬たち」において、いっそう精微に論じている。フランスに渡った絵とは、乾隆帝が新彊(トルキスタン)のジュンガル部とムスリム部を平定した一七六五年、その戦勝を記念して《準回両部平定得勝図》十六葉の制作を思いつき、カスティリオーネに命じた原画のことである。原画の制作は、カスティリオーネを含めた西洋人宣教師の画家たち四人が分担し、それらが一七六七年にフランスに到着、彫版師九人が作業にあたり、一セット「原版一枚と印刷画二百枚」の十六セットすべてが北京に届いたのは、一七七五年であった。フランス人の手もとには一枚も残さぬようにという乾隆帝の厳命にもかかわらず、かなりのものが残され、彫版師ル・バの弟子が縮小版を作り、一七八五年から市販した。その疾走馬の姿が、イギリスやフランスでさかんに行なわれるようになった競馬の馬の姿と重なった。一八二〇年代には、脚を前後に開いて宙に浮く馬の姿が新しいモードとして定着したのである……。

疾走馬の表現は、さらなる広がりをもった芸術史上の課題だが、本書ではくだんの《準回両部平定得勝図》の原画の制作をカスティリオーネに命じる際、乾隆帝をして、「そちのもともとの技(わざ)が生かされる」といわしめている。「もともとの技」とは、西洋絵画特有の陰影法・明暗法のことである。影付けを嫌う伝統を背負った乾隆帝も、銅版画の原画にだけはそれを許したというわけである。だが、皇后や十人の妃嬪(ひひん)たちの肖像画に陰影をほどこすことは厳格に禁止した次第については、中野氏の『乾隆帝 その政治の図像学』(文春新書、二〇〇七年)にいっそう詳(つまび)らかである。本書においても、新彊から連れてこられた香妃の幾点もの肖像画が本人にまったく肖(に)ていないことが語られているが、そうした「政治の図像学」のありようも明らかにされるだろう。

本書は、しかし、もちろん東西の比較芸術学的・芸術交渉史的な興味に尽きるものではない。物語のもう一方の軸は、推理小説的とでもいうべき人間的ドラマ、不吉なドラマによって構成されている。そもそも物語はイエズス会士が苦心してつくりあげた噴水時計の台座に白骨死体が発見されるところから始まるのである。この白骨死体が誰のものであるか、謎は謎を呼びながら、真相は最後にようやく明らかになる。雑技団の青年、日本人らしい水芸の女、そして皇三子永璋(えいしょう)らが、カスティリオーネと絡みながら、この不吉なドラマを演じるだろう。

いや、ドラマというなら、やはり乾隆帝とカスティリオーネとの関係こそが最大のドラマというべきかもしれない。イエズス会士にとって、神はただひとりしか存在しない。その神への信仰を広めることこそが、彼らの本来的目的である。が、布教はもとより禁じられている。帝こそが現実的な神でなければならないからである。この物語を根本的に支えているのは、キリスト教の神と現世の神とのそうした対立である。そして後者のほうが圧倒的に強力なように見える。イエズス会士たちは、したたかな帝の心のままに翻弄されるまことにか弱い存在にすぎない。実際、本書を読みながらイエズス会士への、いやカスティリオーネへの同情を抑えることは難しい。

だが、著者は最後にちょっとした復讐をかたどって見せてくれるだろう。カスティリオーネの乾隆帝に対する想像力の復讐である。西洋楼庭園の端に掘る方河を、その昔ハドリアヌス帝が、ナイル河に身を投げた寵童アンティノウスのためにヴィッラ・アドリアーナにつくったカノープスの池に重ね合わせること。なぜ、それが復讐になるのか。そのことをここで語るには及ぶまい。そこにこの物語のすべてが収斂(しゅうれん)するといっても過言ではないからである。

噴水時計のことから始まるこの物語が、また巧妙な時間のメタファーの様相を帯びていることにも注意しておこう。《準回両部平定得勝図》をめぐって、こんなやりとりもある。カスティリオーネが、「日常にはあらざる時間を凝縮しなければならないのでございます」というと、帝は、「劇的な一瞬が日常の時間のなかにおとずれぬともかぎるまい」と返すのである。この帝の言葉が驚くべき伏線になっていることに、読者はあとから気づくことになるはずだ。現在と過去を往還しつつ展開されるこの物語が、時計の数字と(そして十二支の動物たちの数と)同じ全十二章によって構成されていることはいうまでもあるまい。

「跋」に詳しく述べられているように、円明園は、一八六〇年、英仏連合軍によって掠奪(りゃくだつ)と破壊をこうむり、そして火を放たれた。廃墟と化した円明園は、いまでは「遺址公園」として開放されており、私も訪れたことがあるが、とりわけ西洋楼の残闕(ざんけつ)にある種の感慨を覚えざるをえなかったといわなければならない。とはいえ、例の迷宮などは、ほとんどそっくりそのまま残されており、私もそのなかをさまよって遊んだのだった。中野氏の「跋」は、この廃墟化した円明園についても、また新たな物語が召喚されることを教えてくれるだろう。いや、新たな物語というなら、「文庫版への跋」で中野氏がいささか義憤にみちた筆致で指弾しておられる、今日の中国における十二支像の「国宝」化の動きこそ、それであろう。動物たちの銅製の首をめぐるなまぐさい策動に、われわれはけっして無関心であってはなるまい。

最後に余談だが、動物の首といえば、私にはパレルモの町の中心、クワトロ・カンティ(四つ辻)のすぐそばにあるプレトリア広場の噴水のことが思い出される。噴水を取り囲む石壁に壁龕(へきがん)が一列に並び、そこから馬、獅子、駱駄、象といった白大理石造りの動物たちが顔をのぞかせているのである。ゲーテは、その『イタリア紀行』のなかで、これを「動物園」と呼んでいる。これは、フィレンツェ出身の彫刻家フランチェスコ・カミリアーニによって一五五〇年代に完成され、のちに息子のカミッロによって設置されたものだが、カスティリオーネらがつくりあげた十二支噴水時計との意匠の類似に驚かざるをえない。直接的にはおそらく何の関係もないのだろうが、本書に触発された、ちょっとした「比較芸術学的」連想として言及することをお許し願いたい。

カスティリオーネという歴史的人物をトポス(主題=場所)とする小説。それにしても、こんなに問題的(プロプレマティック)な、こんなに知的刺戟にみちた小説も稀であろう。読者には、この周到にしつらえられた迷宮にも似た想像空間をさまよい遊ばれんことを。
カスティリオーネの庭 / 中野 美代子
カスティリオーネの庭
  • 著者:中野 美代子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(400ページ)
  • 発売日:2012-07-13
  • ISBN-10:4062773066
  • ISBN-13:978-4062773065
内容紹介:
清朝最盛期の乾隆帝に宮廷画家として仕えたイタリア人宣教師ジュゼッペ・カスティリオーネ。現地名「郎世寧」として中国絵画史上にも大きな足跡を残した彼は、離宮の狭い一画に十二支をかたどった噴水と西洋式の宮殿を造るよう命じられ、仲間の宣教師らと心血を注ぐ…。西洋の目が見た皇帝一族の光と影。

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