書評
『日本海ものがたり――世界地図からの旅』(岩波書店)
学匠詩人による警世の書
表紙に二隻の船が見える。あきらかに古い時代の和船であるが、美しいスケッチは洋画の手法による。満帆の風を受けて、まっしぐらに走っている。「異常に遠く沖合いを行く日本船二隻は、謎をのこしたまま、ラペルーズの視界から消えた」ラペルーズ? 近年、北海道を旅行した人なら、おなじみの「日本最北端の碑」のすぐうしろに、この名をいただく顕彰碑ができているのを知っている。黒大理石にフランス語、日本語の銘文が刻んである。「ラペルーズ海峡発見から二百二十年にあたる二○○七年」の建立。
ラペルーズ海峡? あわてて地図をひらく。記念碑が見はるかすのは宗谷海峡のはずだ。たしかに日本地図には宗谷海峡とある。ユーラシア大陸や朝鮮半島と合わさった地図では宗谷(ラ・ペルーズ)海峡となっている。ドイツで定評のあるヴェスターマン地図ではラペルーズ。宗谷岬の説明文プレートはフランス大使館の館員が書いたようで、日本語が少々もどかしい。それよりも「重大な誤りがあるが、そのことはあとで――」。
優れた中国文学者・中野美代子は小説も書く。ガラスに水晶で彫りつけたような物語。語りの呼吸をよく知っており、大使館がらみの記念碑一つとりあげても、読者の関心をグイと引っぱりよせるのを忘れない。
北海道で生まれ、海外の数年のほかは、北海道を離れなかった。むしろ日本海・太平洋・オホーツク海の三つの海に囲まれた島が、この人を離さなかった。『西遊記』を読み、訳していても、同時に「東遊」が気になった。『ガリヴァー旅行記』には大人国と小人国とならんで日本渡航記が入っている。ガリヴァーは短期間日本に滞在して、ナンガサク(長崎)から帰国の途についた。スウィフトは当時の地図を拝借したが、なんとも不思議なJaponであって、本州の上に「イエソの地」が大きくかぶさっている。それはともかく、日本国の北は日本海。「やっと日本海にたどり着いたと思ったら、あ・ら・ら、SEA OF COREAとなっているではないか! 朝鮮海?」
ふつう日本人が日本海と思いこんでいる海域は、ヨーロッパの地図はながらく名づけがなく、空白だった。十七世紀半ばにやっと名称がついたが、日本海と朝鮮海が入りみだれていた。日本海が「日本海」と確定するためには、ラペルーズの航海を待たなくてはならない。かくして当書の圧巻「ラペルーズの航海と日本海」の章にいたるのだが、その前に短い項目がはさまっている。なぜヨーロッパの地図では本州の北にバカでかい「イエソの地」がひろがり、海域が空白のままだったのか? 「日本の中央政権は、一千年以上にわたって、本州のすぐ北に見えるエゾが島をのぞこうともしなかった」
松前藩が置かれたが、ただアイヌとの交易のためだった。要するに日本人は、自分の国土、周辺の土地について、「他者に向けて発信する情報」を、ほとんど持とうとしてこなかった。それははたして「鎖国」に安住した幕藩体制にかぎられたことだったのか。
最後の章は「日本海への欲望」となっている。誰が(どの国が)この海域を「欲望」しているのか。当書執筆の動機があとがきに触れてある。二○一四年三月、ロシアがいきなりクリミア半島を併合したとき、黒海を地図でながめ、ついては「ほとんど必然的に」日本海のことを考えずにはいられなかった。小さい本に大きな中身がつまっている。学匠詩人が古地図を旅して、秀抜な警世の書を書いた。
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