書評

『杉浦康平と写植の時代: 光学技術と日本語のデザイン』(慶應義塾大学出版会)

  • 2023/05/26
杉浦康平と写植の時代: 光学技術と日本語のデザイン / 阿部 卓也
杉浦康平と写植の時代: 光学技術と日本語のデザイン
  • 著者:阿部 卓也
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 装丁:単行本(488ページ)
  • 発売日:2023-04-07
  • ISBN-10:4766428803
  • ISBN-13:978-4766428803
内容紹介:
杉浦康平が日本語のレイアウトやブックデザインに与えた決定的な影響を明らかに。
私の名前が最初に活字になったのは伝説の雑誌「エピステメー」一九七六年三月号掲載のフーコーへのインタビューの翻訳者としてだったが、そのとき中野幹隆編集長から写植の原版を見せてもらった。いや、驚いた。小片に印字された文字が紙の上に切り絵細工のように並べられていたからである。二校での訂正は小片をピンセットで貼り直すから極力控えてほしと言われたことを覚えている。

実際、七〇年代は写植の黄金時代であったが、それは写植大手「写研(写真植字研究所)」とエディトリアル・デザインの創始者・杉浦康平がタッグを組んで「エピステメー」や「遊」などの雑誌を手掛けたことによってもたらされたのである。だが二〇年の後、写植はデジタル化の流れに逆らえずハードウェアとしての短い生命を終え、「写研」も企業活動を終息させた。本書は日本語の表記体系の美的な配列に腐心した杉浦康平と「写研」との運命的な出会いから説き起こして、両者のコラボが知的地平にもたらした紙媒体の「革命」を検証する画期的な文化史研究である。

一九五六年頃、杉浦はクラシック広告ポスターの制作でカタカナの処理に苦心していた。当時、ポスターはビジュアル中心で日本語文字の使用は抑えるのが基本だったが、クラシック音楽は作曲家や演奏家が外国人なのでカタカナ表記を多用せざるをえない。だが、漢字の一部であるカタカナは漢字のように均整が取れていないため活字をベタ組みにすると字間がバラバラになる。この問題に直面した杉浦は写植文字の小片の余白を切り貼りして詰める「詰め組み」の技法を考え出す。

これがきっかけとなり、雑誌や本の文字部分にもデザイン性が介入するエディトリアル・デザインなるものが誕生することになるが、では、この「革命」を支えた写植とはいかなる技術なのか?それは「漢字を含めて八〇〇〇文字以上が必要な日本語のテクストを、鋳造活字を使用することなく写真的に印字し、印刷版下用の文字素材を作り出す、日本で独特な進化を遂げた光学的装置」であり、その装置を中心的に開発・製造・販売していたのが「写研」なのである。

起源は戦前のベンチャー企業で広告重視戦略で急成長を遂げていた星製薬の印刷部で、無学歴だが機械改良に天才的な才能を発揮していた森澤信夫が関東大震災直後に帝大出の工学博士・石井茂吉と出会ったことに求められる。外国文献で写植機の原理を知った森澤は写植には活字が正方形の日本語が適していると直感、石井に相談して日本式写植機の実用化に向けて、共同事業を試みることにした。分担は「森澤が機械部分。、石井が光学系(レンズや光源)と文字部分だった」が、石井が重要な役割を果たしたのはむしろ文字部分だった。石井は部首検索、音訓検索、画数検索のいずれをも避け、漢字を三部分に分けて形態的・視覚的に検索できる新しい分類・配列法「一寸の巾」を編み出した。「一寸の巾」方式の入力法は文章を思考しながら打つ道具にはなになかったが「アナログ技術を使った手動の文字入力装置という条件のなかで、きわめて実用的な分類と検索の方法だった。さらに石井は文字サイズや文字送りの新単位としてメートル法準拠の四分の一ミリの「歯」「級」を考案したばかりか、優美な写植用書体「石井文字」の作字まで行った。ユニークさは石井の毛筆の才能にあったが、むしろ、活字書体を元にして、写植環境に適合した可変倍率的な書体を設計した点が独創的だったのである。しかし、こうした石井の書体創造への没頭は森澤との軋轢の原因となり、両者はやがて袂を分かち、戦後の再統合を経て、「写研」、「モリサワ」としてそれぞれ独立への道を歩み、ライバル企業となる。

それはさておき、一九五〇年代に「写研」の石井文字と出会った杉浦はなにゆえにこれを「発見」と捉えたのか?

一九六〇年に東京で開かれた世界デザイン会議の後、ウルム造形大学に招聘された杉浦はグリッドシステムを体得し、「詰み組み」にはメートル法準拠の石井文字の「歯」「級」が親和的であることに気づいたこともあるが、しかし、それ以上に大きかったのは、もともと書道の素養のあった杉浦が石井文字の毛筆性に感応したことだろう。「杉浦は、筆勢やリズムなど書の概念を仮想的に設定した詰め貼りを行うことによって、これまで活字印刷物では喪失していた、文字が有していた本質的な力の一種(中略)を回復させようと試みたのである」

石井茂吉が創り、戦後、娘の石井裕子が引き継いで急成長を遂げた「写研」が一九九〇年代にアメリカから押し寄せたデジタル化の大波に呑み込まれ、森澤信夫の設立した「モリサワ」に敗れ去った企業盛衰史の部分も大いに読ませる。

間違いなく本年屈指の傑作文化論と言っていい。


【関連オンラインイベント情報】2023/05/28 (日) 11:00 - 12:30 阿部 卓也 × 鹿島 茂、阿部 卓也『杉浦康平と写植の時代』(慶應義塾大学出版会)を読む

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杉浦康平と写植の時代: 光学技術と日本語のデザイン / 阿部 卓也
杉浦康平と写植の時代: 光学技術と日本語のデザイン
  • 著者:阿部 卓也
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 装丁:単行本(488ページ)
  • 発売日:2023-04-07
  • ISBN-10:4766428803
  • ISBN-13:978-4766428803
内容紹介:
杉浦康平が日本語のレイアウトやブックデザインに与えた決定的な影響を明らかに。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年5月13日

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