書評

『大泉黒石: わが故郷は世界文学』(岩波書店)

  • 2023/09/02
大泉黒石: わが故郷は世界文学 / 四方田 犬彦
大泉黒石: わが故郷は世界文学
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(228ページ)
  • 発売日:2023-04-17
  • ISBN-10:4000615939
  • ISBN-13:978-4000615938
内容紹介:
『俺の自叙伝』で一世を風靡した大正時代の作家、大泉黒石。忘れられた異端の文学者が、今、蘇る。

時代に早すぎた異能の人、本邦初評伝

大泉黒石(こくせき)(1893-1957)といっても、いまではどれほどの読者が知っているだろうか。本書の著者が言うように、彼は「今日、あらゆる日本文学史から排除されている」。黒石の本格的な再評価に先鞭をつけた英文学者・批評家の故・由良君美が中心になって編纂した全九巻の著作集(緑書房、1988年)も出ているとはいえ、黒石の姿はいま確かに一般の読者の視野からは消えてしまっているようだ。

本書は黒石についての本邦初の評伝であり、この破天荒な作家の全体像を初めて浮かび上がらせるものだ。黒石がどれほどユニークで、既存の枠組みに収まり難い存在であったか、本書を通読するとよく分かる。同時に、彼を結局排斥してしまった日本文壇の狭量さも見えてくる。

黒石は一八九三年、ロシア人を父、日本人を母として長崎に生まれた。しかし、父母とは早く死別、フランスとロシアを股にかけた少年時代を送る。このような生い立ちから、ロシア語・フランス語を身につけた。ロシア革命直後の混乱したペトログラード(現在のサンクト・ペテルブルク)から日本に舞い戻り、自叙伝、ロシア風物を題材とした、どこまで本当かわからない奇譚の数々、そして古代中国の哲学者老子を主人公とした長編などで一躍文壇の寵児となる。しかし偏狭な日本の文壇は「混血の寵児の活躍を許そうとは」せず、やがて文壇から追放され、小説の筆を絶つ。戦後は進駐軍の通訳をするうちに、世間から忘れられたまま、世を去った。

こういった数奇な生涯にも増して型破りなのは、彼が書いた作品そのものだった。一九一九年、『中央公論』に第一編が発表された出世作『俺の自叙伝』は、こんなふうに始まる。「アレキサンドル・ワホウィッチは、俺の親爺(おやじ)だ。親爺は露西亜(ロシア)人だが、俺は国際的の居候(いそうろう)だ。あっちへ行ったりこっちへ来たりしている。泥棒や人殺しこそしないが、大抵のことはやってきた(……)」。そしてこのあと、奇矯な語り口と錯綜した構成で、唐突に時空が転換し、奔放で即興的な語りが展開する(なお『俺の自叙伝』はこの五月に岩波文庫で復刊された)。

一方、前代未聞のベストセラーとなった『老子』『老子とその子』(1922)という二冊の長編は、古代中国を舞台にした時代小説などというものではなく、香港映画を思わせる痛快なアクション物語だった。そしてロシア語力を生かして書いた大部の『露西亜文学史』(1922)は、アカデミックな教科書からはかけ離れた、独自の着想と情熱に支えられたものだったが、構成はかなり無茶苦茶だった。ちなみに、これは日本で個人によって試みられたロシア文学史としてはおそらく最初のものである。

四方田氏はこの黒石を「世界(コスモ)市民(ポリタン)」「世界文学の人」と呼び、「異端を突き抜けて普遍に到達しようとする稀有(けう)の存在」であると高く評価するともに、その彼が「空疎な虚言家」として閉鎖的な文壇から追放されたことを惜しむ。彼は「複数の言語と文学の間を自在に往還し、博識と戯作(げさく)の文体をもって、大正時代の文壇を」恐ろしい速度で駆け抜けたのである。早すぎた異能の人に、いま私たちはようやく追いつこうとしているのかもしれない。

【関連オンラインイベント情報】2023/9/9 (土) 12:30 - 14:00 四方田 犬彦 × 鹿島 茂、四方田 犬彦著『大泉黒石 わが故郷は世界文学』(岩波書店)を読む

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大泉黒石: わが故郷は世界文学 / 四方田 犬彦
大泉黒石: わが故郷は世界文学
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(228ページ)
  • 発売日:2023-04-17
  • ISBN-10:4000615939
  • ISBN-13:978-4000615938
内容紹介:
『俺の自叙伝』で一世を風靡した大正時代の作家、大泉黒石。忘れられた異端の文学者が、今、蘇る。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年7月1日

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