書評

『ギンイロノウタ』(新潮社)

  • 2023/08/14
ギンイロノウタ / 村田 沙耶香
ギンイロノウタ
  • 著者:村田 沙耶香
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(284ページ)
  • 発売日:2013-12-24
  • ISBN-10:4101257116
  • ISBN-13:978-4101257112
内容紹介:
極端に臆病な幼い有里の初恋の相手は、文房具屋で買った銀のステッキだった。アニメの魔法使いみたいに杖をひと振り、押入れの暗闇に銀の星がきらめき、無数の目玉が少女を秘密の快楽へ誘う。クラスメイトにステッキが汚され、有里が憎しみの化け物と化すまでは…。少女の孤独に巣くう怪物を描く表題作と、殺意と恋愛でつむぐ女子大生の物語「ひかりのあしおと」。衝撃の2編。
絲山秋子をして「紙くず」とまで言わしめるような小説を書いてしまった作家。それが村田沙耶香なんであります。

あれは「群像」における合評の席のことでした。村田さんの中篇「ひかりのあしおと」を評して「おもしろかった」と褒めた故川村二郎氏とわたしに対して、絲山さんは少し苛つきながらその言葉を口にしたのです。でも、それもむべなるかな。小学二年生の時、ピンク色の布地に包まれた怪人に公園のトイレに閉じこめられ、「ピジイテチンノンヨチイクン」という呪文を唱え続けられる異様な体験を持つ〈私〉を語り手にした、それはたしかに壊れた語り口の奇妙な小説だったからです。

書評家魂を発揮してきれいに物語を要約してしまうと、小説中に仕掛けられた悪意や狂気や不気味さのすべてがこぼれ落ちていってしまう。この世界におけるルールの一切と折り合いがつけられない、というか、つける気もさらさらないキャラクターに憑依しきった稚拙で支離滅裂な語り口によって、小説を読んでわかった気になりたい、共感したい、癒されたい、感動したい、蒙を啓きたいと思っている前向きな読者の気持ちを思いきり踏みにじる。いろんな意味、まともな読み手の神経を逆なでする小説を書いてしまう村田さんの行く末を案じつつ、でもその時、わたしは「新しい人を発見した」というワクワク感を覚えてしまったんです。

〈重い瞼の肉の隙間を、私の淀んだ黒目は湿った便所の隅で逃げ回っている虫の背中そっくりに這いずり回った。その動きが、相手に靴の裏で踏み潰して動きを止めてしまいたい衝動を与えていると思えば思うほど、目玉の上下は激しくなり〉

近所のおばさんに声をかけられただけで、こんなにも自意識過剰にして気味の悪い反応を示してしまう語り手の子供時代のエピソードを冒頭に置いた最新刊『ギンイロノウタ』でも、ワクワク感は高まるばかり。

先生が授業で使う銀色の伸びる指示棒を、人気アニメの主人公パールちゃんが持っているステッキに見立て、それで自慰することを覚える。極端に内向的な反面、パールちゃんのように男たちの視線を集めたいという欲望に身を焦がし、自室の押し入れの天井いっぱいに紳士服のチラシから切り取った男の目玉を貼りつける。まだ小学六年生なのに〈価値が低いなら私は安さで勝負するしかない〉と考える。そんな〈私〉の痛々しさを超えて気色悪いとしかいいようにないヰタ・セクスアリスと、それにともなって壊れていく精神の軌跡を描いて、これは相当剣呑な小説です。

偽善的な担任教師に覚えた殺意をノートに記して解消したのをきっかけに、やがては空想の殺人を書き綴るようになる〈私〉。パールちゃんが魔法のステッキで作り出すどこにでも行ける銀色の扉を、人の肉体の表面に見るようになり、指示棒をナイフに持ち替える〈私〉。精神を閉じて閉じて閉じた末に広がっている戦慄的なまでに寒々しい光景を、嫌悪感をさそう狂った語り口で描きながら、しかし、この小説の底からせり上がって読者を脅かすのは、語り手の狂気ではなく、異物を、自分は迷惑だからとこちら側からあちら側へと押し出すことに躊躇しない、この世界の圧倒的にリアルな残酷さなのです。そしてその読後感は、わたしを冒頭の一節へと立ち返らせるのです。

〈私が“化け物”だとして、それはある日突然そうなったのか、少しずつ変わっていったというならその変化はいつ、どのように始まったのか……〉

化け物小説家。怖れと畏れをこめて、わたしは村田沙耶香をそう賞するに躊躇しません。

【この書評が収録されている書籍】
ガタスタ屋の矜持 寄らば斬る篇 / 豊崎 由美
ガタスタ屋の矜持 寄らば斬る篇
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:本の雑誌社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(288ページ)
  • 発売日:2012-06-21
  • ISBN-10:486011230X
  • ISBN-13:978-4860112301
内容紹介:
和もの外文問わず厳選82作+その他5作。1500字に詰まった1冊入魂のガタスタ屋の矜持をご覧じろ。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ギンイロノウタ / 村田 沙耶香
ギンイロノウタ
  • 著者:村田 沙耶香
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(284ページ)
  • 発売日:2013-12-24
  • ISBN-10:4101257116
  • ISBN-13:978-4101257112
内容紹介:
極端に臆病な幼い有里の初恋の相手は、文房具屋で買った銀のステッキだった。アニメの魔法使いみたいに杖をひと振り、押入れの暗闇に銀の星がきらめき、無数の目玉が少女を秘密の快楽へ誘う。クラスメイトにステッキが汚され、有里が憎しみの化け物と化すまでは…。少女の孤独に巣くう怪物を描く表題作と、殺意と恋愛でつむぐ女子大生の物語「ひかりのあしおと」。衝撃の2編。

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