書評
『思い出す人びと』(青土社)
安田徳太郎の名前は、戦後のベストセラー作「人間の歴史」で知られる。日本人と日本語の起源に関する彼の仮説のなかには、専門家によってきびしく批判されたものもあったが、それとは別に彼がこれら一連の著作でこころみようとした意図は、今日でもその意義を失ってはいない。それは歴史からタブーを取りはらい、大衆のものとすることである。
彼はもともとは内分泌学を専攻した医学徒だったが、いとこの山本宣治の影響をうけて早くから性教育や産児制限問題と取りくみ、労働運動の実態にふれ、昭和五年上京してからは、開業するかたわら解放運動の陰の人として政治活動家や進歩的思想家の救援に従った。拷問をうけて殺された日本共産党の指導者岩田義道や、プロレタリア文学者小林多喜二の遺体の処置に奔走したのも彼である。
しかし、戦後はこれらの運動から手を引き、主として文筆に従事するようになった。安田をそうさせた原因は、むしろ日本の解放運動の未熟さにあったと思われるが、そのため彼の貴重な体験も公にされる機会に恵まれなかったのであろう。
この「思い出す人びと」は、安田徳太郎がこれまでに交渉をもった政治運動家、思想家、作家などにふれながら回想ふうにつづった記録である。ミッション意識を高くかかげた回想の多いなかで、この記録はきわめて異質なものを感じさせる。著者が相手を色眼鏡で見ずに、経験の質を尊重しながら語っているからだ。
宇治の花やしきで、ともにすごした山本宣治、一高時代に引っ越しの手伝いをしたことのある竹久夢二、逃げられたお女郎の行方を探しまわっている近松秋江、祇園町はえぬきの名門磯田家のお多佳さん、山宣が通訳した産制のサンガー夫人や避妊ピン法、野武士組の中核だった労働運動家の三田村四郎や九津見房子、「ソヴェート友の会」の中心だった秋田雨雀、主治医としてつきあった三上於菟吉など、多方面の人物との出会いが、著者の成長につれてたどられているが、それが同時に明治・大正・昭和、三代にわたる時代史にもなっており、数々の挿話の中にはギョッとするものまでふくまれていて、読みおえたあとで改めて考えさせられる。
たとえば河上肇の公判に際して、弁護士のひとり青柳盛雄は、「河上が公判廷でぶっ倒れて死ねば、それ一つでも政治的効果がある」と放言してはばからなかったというし、ゾルゲ事件で検挙された宮城與徳(安田は宮城の主治医だった)の調書には、腑におちない個所がいくつもふくまれているといわれる。
歴史の正史には出てこない部分が多いだけに、みずから時代の証言者として語り残そうとする態度が一貫しており、淡々とした語り口の裏に著者の骨の硬さの読める回想記だ。
彼はもともとは内分泌学を専攻した医学徒だったが、いとこの山本宣治の影響をうけて早くから性教育や産児制限問題と取りくみ、労働運動の実態にふれ、昭和五年上京してからは、開業するかたわら解放運動の陰の人として政治活動家や進歩的思想家の救援に従った。拷問をうけて殺された日本共産党の指導者岩田義道や、プロレタリア文学者小林多喜二の遺体の処置に奔走したのも彼である。
しかし、戦後はこれらの運動から手を引き、主として文筆に従事するようになった。安田をそうさせた原因は、むしろ日本の解放運動の未熟さにあったと思われるが、そのため彼の貴重な体験も公にされる機会に恵まれなかったのであろう。
この「思い出す人びと」は、安田徳太郎がこれまでに交渉をもった政治運動家、思想家、作家などにふれながら回想ふうにつづった記録である。ミッション意識を高くかかげた回想の多いなかで、この記録はきわめて異質なものを感じさせる。著者が相手を色眼鏡で見ずに、経験の質を尊重しながら語っているからだ。
宇治の花やしきで、ともにすごした山本宣治、一高時代に引っ越しの手伝いをしたことのある竹久夢二、逃げられたお女郎の行方を探しまわっている近松秋江、祇園町はえぬきの名門磯田家のお多佳さん、山宣が通訳した産制のサンガー夫人や避妊ピン法、野武士組の中核だった労働運動家の三田村四郎や九津見房子、「ソヴェート友の会」の中心だった秋田雨雀、主治医としてつきあった三上於菟吉など、多方面の人物との出会いが、著者の成長につれてたどられているが、それが同時に明治・大正・昭和、三代にわたる時代史にもなっており、数々の挿話の中にはギョッとするものまでふくまれていて、読みおえたあとで改めて考えさせられる。
たとえば河上肇の公判に際して、弁護士のひとり青柳盛雄は、「河上が公判廷でぶっ倒れて死ねば、それ一つでも政治的効果がある」と放言してはばからなかったというし、ゾルゲ事件で検挙された宮城與徳(安田は宮城の主治医だった)の調書には、腑におちない個所がいくつもふくまれているといわれる。
歴史の正史には出てこない部分が多いだけに、みずから時代の証言者として語り残そうとする態度が一貫しており、淡々とした語り口の裏に著者の骨の硬さの読める回想記だ。