人間は「清める動物」
産学協同というと理系の専売特許のように思われるが、人文系でも成功するケースがある。石鹼(せっけん)、洗剤、化粧品で知られる花王株式会社と国立歴史民俗博物館が行った「清潔」と「清浄」についての共同研究の成果をわかりやすく紹介した本書がそれだ。参勤交代で江戸にやってきた武士たちは毎朝、全身で行水し、リラックスしたいときには月に数回、湯屋に行っていたとか、第2次大戦前、同じ農村でも、毎日入浴する地域もあれば、年に数回という地域もあるというようにかなりの地方差があったとか、昭和40~50年代のテレビ番組「8時だヨ!全員集合」のエンディングで、加藤茶が毎回「歯、磨けよ~!」と呼びかけたことで夜の歯磨きが普及した(それまでは朝が中心)といったトリビアがたくさん取り上げられているのだが、極めつきは、飲食店の入り口などに置かれている盛り塩について語る章だ。
盛り塩は「昔の中国で、皇帝の乗った牛車を女性が自分のところに引き寄せるため、牛がなめる塩を盛った」ことにあやかった客寄せの縁起担ぎなどと説明されることもあるが、本書によれば、それは後付けで、もともとは将軍や大名の行列が道を通る際、河原から採ってきたきれいな砂をまき、また円錐(えんすい)のかたちに砂を盛った「盛砂(もりすな)」を設置した名残らしい。なぜそんなことをしたのかというと「清浄な空間」をつくるためだったという。
各地の習俗の中には、お盆の前や大みそかの掃除の後、墓前や庭にきれいな白砂をまくという例があるが、それも同じ意味合いによるものだろう。現代の飲食店の盛り塩は、貴重品だった塩(清めの意味がある)を手に入れやすくなってからの変化だというのがこの章の筆者、久留島浩(くるしまひろし)の説だ。
サルも土のついた芋を洗う。だが盛り塩はしない。物理的次元を超えた「清浄」は人間だけの文化だ。その意味で、筆者の一人、新谷尚紀(しんたにたかのり)がいうように、人間は「清める動物」なのである。
[書き手] 島村 恭則(しまむら たかのり・関西学院大学教授)