ロシア人が発信、悪夢のパロディー
ロシア出身の若手二人組ビタリー・テルレツキー(レニングラード生まれ)とカティア(シベリア生まれ)による、架空の独裁国家を描いた強烈なインパクトのある漫画である。いや、漫画と言うよりは、一貫した大きな物語に支えられた劇画と言うべきか、あるいはフランスでバンド・デシネと呼ぶものに近いと言えるだろうか。いま「架空の独裁国家」と書いたが、革命・独裁・反対派の弾圧・プロパガンダ・クーデター未遂・葬られた過去の謎・歴史の改変・不条理な裁判などのエピソードの積み上げを通じて、現実のソ連・ロシアの歴史が透けて見える。社会風刺のグラフィック・ノベルと呼んだ方がいいかもしれない。漫画はふつう新聞の書評欄では扱わないが、通常の漫画を超えた本書の物語の力と現代の問題に直結するアクチュアリティーゆえに、今回あえて取り上げることにした。
「サバキスタン」とは「犬の国」の意味。舞台となるこの国の住民たちはみな犬の顔をしている。全ページ鮮やかなカラーで、犬人間たちの表情が豊かに細やかに描き込まれ、迫力あるクローズアップや見開きの大画面と、画面を小さく分割してモザイク状に提示したページが交錯し、社会主義時代のソ連を思わせる衣服や建物から小物にいたるまで、少々レトロな雰囲気を醸し出すアイテムが満載である。「同志相棒」と呼ばれる独裁者の下に結成された少女合唱団の仔犬(こいぬ)たちは、みなソ連時代のピオネール(共産主義少年団)のシンボルである赤いネッカチーフを首に巻いているのだが、その可愛らしい外見とは裏腹に、彼女たちは独裁者の道具として、「催眠洗脳術」を使っているのだという。
第一巻は、長年にわたって国境を閉ざしていた謎の独裁国家「サバキスタン」が突然国境を開放するところから始まる。サバキスタンがいかに素晴らしい国か、全世界に向けて宣伝するためだ。ちょうどその日、同国では「同志相棒」の葬儀のリハーサルが巨大な「友好スタジアム」で壮麗に行われようとしていた。もっとも、「同志相棒」はまだ生きてぴんぴんしているのだが。
第二巻「仔犬たち」は、その三十年後らしい。いまやサバキスタンは、体制転換をとげ(ソ連解体後のロシアのように)社会は混乱している。ハニー・スイート・ラブとウーフという犬の小学生は、ある時、「同志相棒」と書かれた謎めいたバッジを見つける。しかし、「同志相棒」の正体は隠され、誰に聞いても教えてもらえない。そこで二人の小学生探偵は「同志相棒」について隠された真実を求め、冒険に乗り出していく。
第三巻「裁判」は、さらにそれから二十年ほど経(た)っている。ある老女(老犬)が過去に対する冒瀆(ぼうとく)の罪で、不条理な裁判にかけられている。老女が無理矢理(むりやり)有罪を認めさせられそうになったところ、いまでは「不正裁判弾劾局」の弁護士となっているハニー・スイート・ラブが助けの手をさしのべ、老女の無罪を勝ち取るための闘いを始めるのだ。
全体主義をパロディーにしたこの漫画を貫いているのは、人間にとって真実とは、自由とは何か、真実と自由なき幸福などあり得るのか、という問いだ。このような重い問いが、いまロシア人のアーティストから発信されていることの意味は大きい。