書評
『新興国は世界を変えるか-29ヵ国の経済・民主化・軍事行動』(中央公論新社)
自由主義的国際秩序を脅かす存在か
古代ローマの武将カエサルは『ガリア戦記』のなかで「人間は自分が信じたいことを喜んで受け入れるものだ」と語っている。昭和20年代に生まれた世代にとって、日本は少年期から中年期まで順調に経済成長の波に乗ってきた。世界第2位のGDPにまで昇りつめ、それなりに豊かだった。だが、バブル崩壊から長く低迷期がつづき、はや30年も経ってしまった。かつて低開発国や発展途上国と軽く見下した国々が新興国として経済発展を実現し、わが国を今や追い越そうとする勢いにある。その新興国たるや29カ国を数えるというから、かつての経済大国の国民にとって忸怩たる思いがあるのではないだろうか。カエサルにならえば「人間は信じたくないことから目をそむけたくなる」というのが凡人の感慨だろう。
とはいえ、嫌でも現実を直視しなければならないのも現代人の宿命であろう。幸い、比較政治経済学の碩学による本書は、地球規模における複雑な問題を手ごろな形で整理しており、きわめて分かりやすい案内書となっている。
まずは、新興国とは何かを問えば、経済成長の早さであり、世界経済に占める重要度がある。地域別に、アジア12カ国、ラテンアメリカ6カ国、旧ソ連・東欧3カ国、中東・北アフリカ6カ国、サハラ以南アフリカ2カ国があげられる。なかでも、「BRICS」と呼ばれるブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカは今世紀になって存在感を強めてきた。
これら29の新興国をめぐって、まず本書の前半では、その経済、社会、政治について内側からさまざまなデータを整理して解析する。たとえば、フリーダムハウスの世界自由指標などを使って、「政治的権利」指数と「市民的自由」指数を構成すれば、二つの指数の合計値で政治体制の特徴が理解できるという。それによれば、今世紀初めまでは民主主義度が進んでいたが、2010年以降、権威主義度が増す傾向があるという。また、GDPに占める政府の社会保護支出の比率をまとめると、民主主義国には社会保護支出の大きな国が多く、権威主義の濃い国ではそれが少ないことが、一見して明らかである。
このような比較によって新興国の実態の諸相を明らかにしたうえで、本書の後半では、新興国が世界秩序の在り方に及ぼす影響あるいは可能性について論じる。とはいえ、2010年代になると、BRICSのグループとしての失速が目につくようになり、個々別々の国、とくに中国からは目が離せない。というのも、この十数年で、世界経済全体のGDPに占める中国の割合は6・1%から16・3%に増大しており、「一帯一路」の経済圏構想と「上海協力機構」の集団安全保障構想とは目が離せない問題をはらんでいる。
世界は今や「自由主義的国際主義」秩序と「国家主義的自国主義」秩序が競合しているが、断絶があるわけではない。トランプの自国主義的行動もあり、習近平の国際主義的行動もあり、グレーゾーンも少なくないのだ。
日本国民は、新興国擡頭の現実を見つめながら、それらの国々とどのような協力関係を深められるか。そのなかに自分たちの経験を生かしながら、「自分が信じたいこと」を模索していく覚悟が求められているのかもしれない。
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