書評

『私たちはいつから「孤独」になったのか』(みすず書房)

  • 2024/02/04
私たちはいつから「孤独」になったのか / フェイ・バウンド・アルバーティ
私たちはいつから「孤独」になったのか
  • 著者:フェイ・バウンド・アルバーティ
  • 翻訳:神崎 朗子
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(344ページ)
  • 発売日:2023-11-20
  • ISBN-10:4622096552
  • ISBN-13:978-4622096559
内容紹介:
自分を理解してくれる人がいない、友人や伴侶が得られない、最愛の存在を喪って心にぽっかりと穴があいたような気持ちがする、老後の独り居が不安だ、「ホーム」と呼べる居場所がない――このよ… もっと読む
自分を理解してくれる人がいない、友人や伴侶が得られない、最愛の存在を喪って心にぽっかりと穴があいたような気持ちがする、老後の独り居が不安だ、「ホーム」と呼べる居場所がない――このような否定的な欠乏感を伴う感情体験を表現する語として「孤独」が用いられるようになったのは、近代以降のことである。それまで「独りでいること」は、必ずしもネガティブな意味を持たなかった。孤独とは、個人主義が台頭し、包摂性が低く共同性の薄れた社会が形成される、その亀裂のなかで顕在化した感情群なのである。
ゆえに孤独は、人間である以上受け入れなければならない本質的条件などではない。それは歴史的に形成されてきた概念であり、ジェンダーやエスニシティ、年齢、社会経済的地位、環境、宗教、科学などによっても異なる経験である。いっぽう、現代において孤独がさまざまな問題を引き起こしていることも事実であり、国や社会として解決しようとする動きが出てきている。その際まず必要となるのは、孤独を腑分けし、どのような孤独が望ましくなく、介入を必要とするのかを見極める手続きである。
2018年に世界で初めて孤独問題担当の大臣職を設置したイギリスの状況をもとに、孤独の来歴を多角的に照らし出す。漠然とした不安にも、孤独をめぐるさまざまな言説にもふりまわされずに、孤独に向き合うための手がかりとなる1冊。


目 次

No (Wo)man Is an Island――人間は誰も(女も男も)孤島ではない

序論 「近代の疫病」としての孤独
孤独の来歴 身体化された孤独

第1章 「ワンリネス」から「ロンリネス」へ――近代的感情の誕生
孤独の創出 ソリチュードの重要性 ソリチュード、ジェンダー、階級 ソリチュードと健康 近代的な孤独の形成 歴史的な力の産物としての孤独

第2章 「血液の病気」?――シルヴィア・プラスの慢性的な孤独
子ども時代の孤独 「私もついにスミス大の学生になった」 孤独と自殺衝動 恋愛相手の必要性 心の病がもたらす孤立感

第3章 孤独と欠乏――『嵐が丘』と『トワイライト』にみるロマンチック・ラブ
ロマン主義的理想としての「ソウルメイト」 小説における愛と魂――『嵐が丘』の場合 愛はすべてを征服する、狼人間や吸血鬼ヴァンパイアでさえも

第4章 寡婦/寡夫の生活と喪失――トマス・ターナーからウィンザーの寡婦まで
孤独とノスタルジア 喪失の独特な形態としての寡婦/寡夫の生活 トマス・ターナーの場合 トマス・ターナーの「ワンリネス」 ウィンザーの寡婦 喪失の孤独

第5章 インスタ憂うつ(グラム)?――ソーシャルメディアとオンラインコミュニティーの形成
ソーシャルメディアの台頭、およびその感情面への影響 ソーシャルメディアは地雷原か、それとも鏡か? ソーシャルメディアおよびコミュニティーの意義 親密さという神話

第6章 「カチカチと音を立てる時限爆弾」?――老後の孤独を見つめ直す
イギリスの「時限爆弾」 ヴァルネラブルな高齢者と「満たされないニーズ」の問題 高齢化と新自由主義――加齢はいつから負債になったのか? 加齢を歴史的にとらえる 高齢者の孤独の複雑性 高齢者の未来

第7章 宿なし(ルーフレス)、根なし(ルートレス)――「ホーム」と呼べる場所がないということ
宿なしルーフレス――最近の歴史的問題としてのホームレス問題 ホームレスとはどんな人びとか? 「家ホーム」の重要性、そして家がないということ 難民と孤独

第8章 飢えを満たす――物質性(マテリアリティ)と孤独な身体
孤独と物質的世界 孤独と身体 孤独な身体 「飢え」を満たす 身体によって 身体を通して語る

第9章 孤独な雲と空っぽの器――孤独が贈り物(ギフト)であるとき
孤独なロマン主義者たち 孤独と近代プロジェクト

結論 新自由主義の時代における孤独の再定義
孤独の再定義

訳者あとがき
参考文献
原注

近代社会が生んだ新しい感情「群」の諸相

いまや孤独は、全世界的な社会問題だ。イギリスが二〇一八年に孤独担当大臣を創設したことは大きく報道された。孤独は言わば、新自由主義時代の疫病のようなものである。それは大流行し、蔓延し伝播する。本書で検討されるのは、そうした「孤独」の歴史である。

「孤独」が、実は十八世紀以降に生まれた近代的な感情状態だ、という指摘には意表を衝かれる。著者は過去の文献の詳細な検討から、この結論を導き出す。ここで言われる孤独(ロンリネス)は、単に一人でいる状態(ワンリネス)とも、積極的に選ばれた隠遁などを意味するソリチュードとも異なる。疎外感や居場所のなさといった主観的感覚を意味する言葉だ。著者は孤独を感情の「群(クラスター)」と呼ぶ。恥、怒り、悲しみなど、さまざまな感情が含まれるからだ。

十八世紀以前の古典文学に現れる「孤独」は、ソリチュードに近いという。日本の古典文学でも隠棲や独り寝の侘しさなどは描かれるが、あれもソリチュードに近い感慨なのだろう。『ロビンソン・クルーソー』には孤独は描かれないが、現代の漂流譚である映画『キャスト・アウェイ』には孤独が描かれるという対比は興味深い。

著者によれば、こうした「孤独」の前景化は、社会の構造的変化の帰結である。人口の増加、グローバル化、都市型で流動性の高い労働力、そうした変化が独居世帯を増加させ、それが孤独の遍在化をもたらした。加えて、孤独をやわらげるはずの信仰心が、世俗主義に取って代わられたことも少なからず影響した。

著者は孤独の発生と受容を、多角的に描き出す。ロマン主義的理想としての「ソウル・メイト(魂の伴侶)」という概念の果たした役割が、古典の『嵐が丘』から現代の『トワイライト』シリーズまでを例にとって記述される。この概念が「孤独」に、理想的なパートナーを得られないこと(失うこと)、という意味を付与したのだ。

ならば、ソウルメイトを失った人間の孤独はどのようなものか。「ウィンザーの寡婦」と呼ばれたヴィクトリア女王(一八一九~一九〇一年)は、最愛の夫であるアルバート公と死別した後、悲嘆のあまりその後の生涯の四〇年間を喪に服した。彼女が遺した膨大な日記は、喪失の孤独がいかなる経験であるかを知る上で貴重な資料となっている。

本書でことのほか興味深いのは、ソーシャルメディアと孤独の関係を扱った章だろう。本来人々のつながりをもたらすはずのSNSが、逆説的にも人々の孤独感を増大させているということ。著者は、社会と関わる手段がSNSしかない場合に孤独感が増大するとして、現実の人間関係を補完するような使い方を推奨する。

そのほか本書では、高齢者やホームレスの孤独についても、鋭い議論が展開される。とりわけ認知症の人が時折感じる「自分とほかの人たちとのあいだに埋めがたい溝ができてしまった」かのような孤独感についての示唆は臨床的にも重要である。

評者が専門とする「ひきこもり」も、おそらく近代以降の現象なのだろう。ひきこもりは自己疎外と社会的疎外が重なり合う、特異な孤独の形態だ。直接の言及はないものの、本書はひきこもりを考える上でも多くのヒントを与えてくれる。
私たちはいつから「孤独」になったのか / フェイ・バウンド・アルバーティ
私たちはいつから「孤独」になったのか
  • 著者:フェイ・バウンド・アルバーティ
  • 翻訳:神崎 朗子
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(344ページ)
  • 発売日:2023-11-20
  • ISBN-10:4622096552
  • ISBN-13:978-4622096559
内容紹介:
自分を理解してくれる人がいない、友人や伴侶が得られない、最愛の存在を喪って心にぽっかりと穴があいたような気持ちがする、老後の独り居が不安だ、「ホーム」と呼べる居場所がない――このよ… もっと読む
自分を理解してくれる人がいない、友人や伴侶が得られない、最愛の存在を喪って心にぽっかりと穴があいたような気持ちがする、老後の独り居が不安だ、「ホーム」と呼べる居場所がない――このような否定的な欠乏感を伴う感情体験を表現する語として「孤独」が用いられるようになったのは、近代以降のことである。それまで「独りでいること」は、必ずしもネガティブな意味を持たなかった。孤独とは、個人主義が台頭し、包摂性が低く共同性の薄れた社会が形成される、その亀裂のなかで顕在化した感情群なのである。
ゆえに孤独は、人間である以上受け入れなければならない本質的条件などではない。それは歴史的に形成されてきた概念であり、ジェンダーやエスニシティ、年齢、社会経済的地位、環境、宗教、科学などによっても異なる経験である。いっぽう、現代において孤独がさまざまな問題を引き起こしていることも事実であり、国や社会として解決しようとする動きが出てきている。その際まず必要となるのは、孤独を腑分けし、どのような孤独が望ましくなく、介入を必要とするのかを見極める手続きである。
2018年に世界で初めて孤独問題担当の大臣職を設置したイギリスの状況をもとに、孤独の来歴を多角的に照らし出す。漠然とした不安にも、孤独をめぐるさまざまな言説にもふりまわされずに、孤独に向き合うための手がかりとなる1冊。


目 次

No (Wo)man Is an Island――人間は誰も(女も男も)孤島ではない

序論 「近代の疫病」としての孤独
孤独の来歴 身体化された孤独

第1章 「ワンリネス」から「ロンリネス」へ――近代的感情の誕生
孤独の創出 ソリチュードの重要性 ソリチュード、ジェンダー、階級 ソリチュードと健康 近代的な孤独の形成 歴史的な力の産物としての孤独

第2章 「血液の病気」?――シルヴィア・プラスの慢性的な孤独
子ども時代の孤独 「私もついにスミス大の学生になった」 孤独と自殺衝動 恋愛相手の必要性 心の病がもたらす孤立感

第3章 孤独と欠乏――『嵐が丘』と『トワイライト』にみるロマンチック・ラブ
ロマン主義的理想としての「ソウルメイト」 小説における愛と魂――『嵐が丘』の場合 愛はすべてを征服する、狼人間や吸血鬼ヴァンパイアでさえも

第4章 寡婦/寡夫の生活と喪失――トマス・ターナーからウィンザーの寡婦まで
孤独とノスタルジア 喪失の独特な形態としての寡婦/寡夫の生活 トマス・ターナーの場合 トマス・ターナーの「ワンリネス」 ウィンザーの寡婦 喪失の孤独

第5章 インスタ憂うつ(グラム)?――ソーシャルメディアとオンラインコミュニティーの形成
ソーシャルメディアの台頭、およびその感情面への影響 ソーシャルメディアは地雷原か、それとも鏡か? ソーシャルメディアおよびコミュニティーの意義 親密さという神話

第6章 「カチカチと音を立てる時限爆弾」?――老後の孤独を見つめ直す
イギリスの「時限爆弾」 ヴァルネラブルな高齢者と「満たされないニーズ」の問題 高齢化と新自由主義――加齢はいつから負債になったのか? 加齢を歴史的にとらえる 高齢者の孤独の複雑性 高齢者の未来

第7章 宿なし(ルーフレス)、根なし(ルートレス)――「ホーム」と呼べる場所がないということ
宿なしルーフレス――最近の歴史的問題としてのホームレス問題 ホームレスとはどんな人びとか? 「家ホーム」の重要性、そして家がないということ 難民と孤独

第8章 飢えを満たす――物質性(マテリアリティ)と孤独な身体
孤独と物質的世界 孤独と身体 孤独な身体 「飢え」を満たす 身体によって 身体を通して語る

第9章 孤独な雲と空っぽの器――孤独が贈り物(ギフト)であるとき
孤独なロマン主義者たち 孤独と近代プロジェクト

結論 新自由主義の時代における孤独の再定義
孤独の再定義

訳者あとがき
参考文献
原注

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年12月9日

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