キプリングという作家
第一次大戦前のロンドン。ある出版社が若手作家を集めて安手の物語(ロマン)を書かせ、大量消費時代にひと儲け企む。集まった作家の中にマナレイスとカストレイがいた。二人はある女性を愛したが、女は別の男と結婚してしまう。出版社主がマナレイスに物語を書かせようと、ヒントに子供の本の挿絵を渡すが、マナレイスは物語でなく詩を作ってきて社主をがっかりさせる。しかし、前金だけは渡してやる。それをみて、ライバルのカストレイはむくれて部屋をとび出してゆく。やがてマナレイスは有名作家になり、カストレイは批評家として立ち、中世イギリス最大の詩人、チョーサー研究の権威となる。二人が愛した女は夫に捨てられ、難病にかかってマナレイスの献身的な看護を受ける。彼女に新しい治療を受けさせたくて援助を乞うと、カストレイは酷い言葉を吐いて拒絶したうえ、マナレイスの本に対して悪意にみちた書評を書く。
戦争があり、戦争が終わる。しかし、マナレイスとカストレイの屈折した友情は続く。ある時、カストレイはチョーサーの『カンタベリー物語』を写字した原稿とその写字生たちの話を得々とマナレイスに語った。マナレイスはひとつの仕事に取りかかる。それは『カンタベリー物語』の未発見原稿の捏造だった。詩文は昔、子供本の挿絵から彼が作った詩だ。
数年後、ニューヨークのコレクションからチョーサーの新しい一〇七行の詩文が発見される。カストレイはあらゆる角度から検証してそれを本物と鑑定し、この推論と註釈を彼の研究の集大成として世に問おうとし、その協力者にマナレイスを指名する。マナレイスは協力を約束する。と同時にそれが偽書にもとづいたものであることを完膚なきまでに証明する彼自身の本の出版を目論む。もし二つの本が世に出て、かつがれていることを知ったら、カストレイはショックで自殺するだろう。
しかし、いまや完全にチョーサーのものとされた詩文を、偽作した当人が告発して人は信じるだろうか。案ずることはない。マナレイスは詩文の枢要部分、「マリアさま、私の苦しみを憐れみください/損なわれた青春は二度と戻らぬものを」の十の単語を縦に並べて最初と2番目の文字を読み下すと、ジェイムズ・A・マナレイスがこれを作った、という文ができるように仕組んであるのだ。
ところが、この計画に伏兵が現れる。第一は、カストレイが癌にかかっていることが明らかになることだ。もし彼が本を完成させないまま死んだら、マナレイスの復讐は挫折する。急がせねばならない。さらに第二の伏兵。主治医とできているカストレイの妻がマナレイスの謀略に気づき、これ幸いと夫の本の出版を急がせようとする。夫殺し完全犯罪だ。それを察知したマナレイスは悩んだ挙句、男らしさを発揮して、今度はカストレイを殺させないために本の完成を遅らせようと腐心しはじめる。さて結末は?
キプリングの『損なわれた青春』の粗筋の一部。ストーリーは二重三重に編まれて、思わぬ方向に展開してゆく。技巧と韜晦にみちた読みごたえある一篇で、ホモ・セクシュアルの雰囲気もあやしく、濃く漂う。
キプリングはインド生まれ(一八六五)のイギリス人作家。子供向けの『ジャングル・ブック』で著名だが、一九〇七年ノーベル文学賞受賞者。一時忘れられていたが、近年とみに再評価の声高く、かのボルヘスがわざわざキプリングの作品集を編んだくらい。端倪すべからざる作家だ。
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