前書き

『アンチ・ジオポリティクス: 資本と国家に抗う移動の地理学』(青土社)

  • 2024/03/23
アンチ・ジオポリティクス: 資本と国家に抗う移動の地理学 / 北川眞也
アンチ・ジオポリティクス: 資本と国家に抗う移動の地理学
  • 著者:北川眞也
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(538ページ)
  • 発売日:2024-03-23
  • ISBN-10:4791776321
  • ISBN-13:978-4791776320
内容紹介:
地政学が見落としてきた運動が、聞こうとしなかった叫びが、ここにある。商品の合理的な移動を目指し、あくなき開発を続ける資本。過剰な移民の移動を管理すべく、境界を巧妙に操作する国家。… もっと読む
地政学が見落としてきた運動が、聞こうとしなかった叫びが、ここにある。
商品の合理的な移動を目指し、あくなき開発を続ける資本。過剰な移民の移動を管理すべく、境界を巧妙に操作する国家。世界の地理は、こうした資本と国家によってのみ形作られている――わけではない。地中海の孤島の移民収容所で、イスラエルに包囲されたパレスチナの都市で、フードデリバリーの自転車が走る路上で。地球上のさまざまな場所で、境界をすり抜け、食い破る人々が声をあげている。いまこそ、彼らの共鳴する叫びに耳を傾けるときだ。欲望と叛乱の地理学の、野心あふれる実践。
地理学者の北川眞也さんは、イタリアの「移民の島」ランペドゥーザ島をはじめ、地球の津々浦々で、境界を超えて移動する人びとに注目し、その足跡をたどってきました。それは、国際情勢を俯瞰するいわゆる「地政学」では見落とされてしまう、人びとの欲望や情動に彩られた地球の姿を浮かび上がらせることでもありました。このたび刊行される初の単著『アンチ・ジオポリティクス』から、「まえがき」の一部を特別に公開いたします。

欲望と叛乱の地理学の、野心あふれる実践

小学生の頃、世界地図をみるのが好きだった。食卓横の壁に貼られた色褪せた一枚の世界地図。それをみて国の名前、首都の名前を覚えては、「スリランカの首都は?」などと友達と競い合った。ほんとうはこの勝負に勝ちたくて、地図をみていただけかもしれない。国と首都の名は覚えても、そうした国々に行ってみたいとは思わなかったし、そもそも実際に行けるかどうかという発想すらなかった。各国の人や文化、歴史についてはほとんど何も知らなかった。けれども、自宅という小さな空間から世界なるものを想像させてくれたのは、『なるほど! ザ・ワールド』や『世界ふしぎ発見!』といったテレビ番組ではなく、不思議とこの一枚の世界地図、抽象的とでも言える世界地図だった。

一つの国を具体的に知るよりも、世界という広がりを憧れ、それを感じたかったと言うべきなのかもしれない。世界は広い、世界にはたくさんの国があり、いろいろな人びとがいると。大人になった今でも、『世界の国ぐに』のような類いの図鑑を手に取りページをめくると、万華鏡を覗いたかのようで、少しわくわくしてしまう。

これは一個人の些細な経験にすぎない。それでも、われわれはこんなふうにして世界を認識しているとも思う——地図を通して世界を認識する。地図のように世界は成り立っている。大地のすべてが、いくつもの国家で埋め尽くされている。それぞれの国家が占める場所は、他とは異なる色で塗られている。大地はパズルで、国家はそのピースのようだ。一つのピースに一つの色。このような地図的世界から、次のような認識がもたらされ、強化されることとなる。国家はまるで「箱」、「容器」である。そのなかに一つの主権、一つの国民、一つの領土が入っている。それだけでなく、他とは区別される一つの文化、一つの歴史、一つの社会が「箱」のなかに収まっている。地球上の人びとの誰しもが、その「箱」=国家のいずれかに所属することがまるで自然であるかのようにみえてくる。別の「箱」にいる外「箱」人は、そこにふさわしくないかのようにみえてくる。世界がこのようであれば、そこで行動する主体となるのは当然、国家である。人間ではなく「国民」を代表するとされる、国家という領土的主体である。

地図の背後にあり、地図を成り立たせているはずの歴史的現実や物質的・政治的力学を抽象化した、このような世界へのまなざしを、地理学者のジョン・アグニューは「近代地政学的想像力」と呼んでいる。

この世界地図において、ある国家の色が他の国家のそれと重なり合うこと、混じり合うことは基本的にない。国家は一色でなければならないと。国境という黒い線を越え、周辺にその色が広がろうとすれば、領土をめぐって国家間の緊張が生じる。そして、きまって国境地域がどんな場所かは何も知らない「中央」の人びとが国境防衛を叫び、「固有の」領土の「回復」、つまりは奪取を訴える。「国境ナショナリズム」である。領土や国境をめぐる国家間の争いは、いつも「周辺」地域の人びとの生活圏や親密圏を破壊したり、強制的に再編したりしてきた。そして(自衛とか防衛とか言われてだいたいはじまる)領土拡張にはいつも、国家の戦争がつきまとう。現在(2024年2月)なら、ロシアとウクライナの戦争、イスラエルによるパレスチナを蹂躙する植民地支配とジェノサイドがすぐに思い浮かぶ。人間は「国民」として国家のため、そして領土のために戦うことが要請され、殺すことが義務となる。こうした戦争を批判したり、そこから逃亡でもしたりすれば、「非国民」と呼ばれる。しまいには「犠牲」になること、死ぬことが称賛される。使い捨てなのに、使い捨てだから、美化される。

これは紛れもなく地政学的な目線であり現実である。人間の生、行動、欲望を包囲するグローバル世界への想像力、すなわち地政学的想像力の自然さと堅固さ、男性性と暴力性は根底から問われなければならない。

この「まえがき」では、冒頭のような私の個人的体験を少し語らせてほしい。そこから、本書が扱う主題を示し、取り組むべき課題を紹介していければと思う。(つづく)

[書き手]北川眞也(三重大学准教授・地理学者)
アンチ・ジオポリティクス: 資本と国家に抗う移動の地理学 / 北川眞也
アンチ・ジオポリティクス: 資本と国家に抗う移動の地理学
  • 著者:北川眞也
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(538ページ)
  • 発売日:2024-03-23
  • ISBN-10:4791776321
  • ISBN-13:978-4791776320
内容紹介:
地政学が見落としてきた運動が、聞こうとしなかった叫びが、ここにある。商品の合理的な移動を目指し、あくなき開発を続ける資本。過剰な移民の移動を管理すべく、境界を巧妙に操作する国家。… もっと読む
地政学が見落としてきた運動が、聞こうとしなかった叫びが、ここにある。
商品の合理的な移動を目指し、あくなき開発を続ける資本。過剰な移民の移動を管理すべく、境界を巧妙に操作する国家。世界の地理は、こうした資本と国家によってのみ形作られている――わけではない。地中海の孤島の移民収容所で、イスラエルに包囲されたパレスチナの都市で、フードデリバリーの自転車が走る路上で。地球上のさまざまな場所で、境界をすり抜け、食い破る人々が声をあげている。いまこそ、彼らの共鳴する叫びに耳を傾けるときだ。欲望と叛乱の地理学の、野心あふれる実践。

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