書評

『密航のち洗濯 ときどき作家』(柏書房)

  • 2024/04/21
密航のち洗濯 ときどき作家 / 宋 恵媛
密航のち洗濯 ときどき作家
  • 著者:宋 恵媛
  • 翻訳:田川 基成,望月 優大,宋 恵媛
  • 出版社:柏書房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(336ページ)
  • 発売日:2024-01-15
  • ISBN-10:4760155562
  • ISBN-13:978-4760155569
内容紹介:
1946年夏。朝鮮から日本へ、男は「密航」で海を渡った。日本人から朝鮮人へ、女は裕福な家を捨てて男と結婚した。貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。朝鮮と日本の間の海を合法的に渡… もっと読む
1946年夏。朝鮮から日本へ、
男は「密航」で海を渡った。
日本人から朝鮮人へ、
女は裕福な家を捨てて男と結婚した。
貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。

朝鮮と日本の間の海を合法的に渡ることがほぼ不可能だった時代。それでも生きていくために船に乗った人々の移動は「密航」と呼ばれた。

1946年夏。一人の男が日本へ「密航」した。彼が生きた植民地期の朝鮮と日本、戦後の東京でつくった家族一人ひとりの人生をたどる。手がかりにしたのは、「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わずかに残された文書群。

「きさまなんかにおれの気持がわかるもんか」

「あなただってわたしの気持はわかりません。わたしは祖国をすてて、あなたをえらんだ女です。朝鮮人の妻として誇りをもって生きたいのです」

植民地、警察、戦争、占領、移動、国籍、戸籍、収容、病、貧困、労働、福祉、ジェンダー、あるいは、誰かが「書くこと」と「書けること」について。

この複雑な、だが決して例外的ではなかった五人の家族が、この国で生きてきた。

蔚山(ウルサン)、釜山、山口、東京――
ゆかりの土地を歩きながら、100年を超える歴史を丹念に描き出していく。ウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』初の書籍化企画。

【洗濯屋の家族】
[父]尹紫遠 ユン ジャウォン
1911‐64年。朝鮮・蔚山生まれ。植民地期に12歳で渡日し、戦後に「密航」で再渡日する。洗濯屋などの仕事をしながら、作家としての活動も続けた。1946-64年に日記を書いた。

[母]大津登志子 おおつ としこ
1924‐2014年。東京・千駄ヶ谷の裕福な家庭に生まれる。「満洲」で敗戦を迎えたのちに「引揚げ」を経験。その後、12歳年上の尹紫遠と結婚したことで「朝鮮人」となった。

[長男]泰玄 テヒョン/たいげん
1949年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校、上智大学を経て、イギリス系の金融機関に勤めた。

[長女]逸己 いつこ/イルギ
1951年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校を経て、20歳で長男を出産。産業ロボットの工場(こうば)で長く働いた。

[次男]泰眞 テジン/たいしん
1959‐2014年。東京生まれ。兄と同じく、上智大学卒業後に金融業界に就職。幼い頃から体が弱く、50代で亡くなった。

【目次】
プロローグ
密航 1946

第1章 植民地の子ども
1 朝鮮 1911‐24
2 日本 1924‐44
3 朝鮮 1944‐46

送還 1946

第2章 洗濯屋の家族
1 尹紫遠 ユン ジャウォン
2 大津登志子 おおつ としこ
3 泰玄 テヒョン たいげん
4 逸己 いつこ イルギ

エピローグ
補遺 密航の時代

半島、列島の激動期 揺れた人模様

尹紫遠(ユンジャウォン)は、1冊の歌集と、いくつかの小説作品を残した。紫遠は筆名で、本名は尹徳祚(トクチョ)。1911年に、大日本帝国の植民地であった朝鮮の蔚山で生まれた。

本書は、尹紫遠が残した作品、日記、手紙、子どもたちの証言などをもとに、植民地で生まれ、戦後の密航で日本に渡り、在日コリアンとして生きた、ほぼ無名の作家の人生をたどる試みだ。彼が築いた小さな家族の物語でもある。尹紫遠は妻と目黒区で洗濯店を営み、3人の子どもを持った。

本書の内容は、46年の「密航」を境に、その前と後の時代を2章に分けている。日本で苦学して身を立てたいと考えた尹少年は、12歳で単身、海を渡る。植民地出身者への差別、逆境に耐え自力で大人になり、文学に目覚めるが、太平洋戦争中の「徴用」から逃れられると思い込み、44年に朝鮮に戻り、終戦を迎える。

戦後、朝鮮はすぐに38度線で南北に分断された。結局、アメリカとソ連という新しい支配者があらわれたに過ぎず、日本の支配から解放されたはずの朝鮮人にとって、半島は楽園にはならなかった。

いっそ日本なら知り合いもいて、多少の生きやすさもあるかと考えた彼は、最初の妻と共に密航を企てる。これが彼の晩年の小説「密航者の群」の重要なモチーフとなった。当時、日本と朝鮮はともに占領下にあり、密航以外に海を渡る手段がほぼなかったのだ。密航船では彼と妻の運命が分かれる。彼はひとり脱出して海を泳いで日本に渡ることになるからだ。

後半は、密航後、日本女性と結婚した彼の人生に肉薄する。夫婦2人に、子どもも手伝わせての洗濯店の日々は貧しい。貧しさと酒、思うに任せぬ執筆という、私小説作家の日常。夫婦の間には亀裂が入り、互いの出自をののしりあうこともあった。

彼と家族は幾度も、国家が引きなおす国境線や、国籍のルールに翻弄される。植民地生まれゆえに日本国籍者だった尹紫遠は、52年のGHQによる占領の終了とともに国籍を喪失して「外国人(朝鮮人)」となった。彼の2度目の妻となる大津登志子は、日本の裕福な家庭に生まれたが、結婚で日本国籍を失い「朝鮮人」となる。日本生まれ、日本育ちの子どもたちの国籍も、時代状況と、国が決めたルールのために思いがけない変遷をする。

著者らは、尹紫遠が歩いたはずの土地を訪ね歩き、その風景を写真に収め、公的資料や同時代の証言を渉猟しながら、彼の軌跡をあぶり出していく。尹紫遠の残した文章は、私的な日記や創作物なので、事実そのものの特定には至らないこともある。しかし、本書は、膨大な資料の緻密な検証をもとに、もしかしたらこうでもあっただろうかという可能性のひとつひとつを拾い出していく。

そこから見えてくるのは、まさに「密航者の群」でもある。その時代には密航で海を越えた人々がたくさんいて、発覚して捕らえられ、収容所で力尽きた者もいれば、上陸を許されぬまま船上でコレラにかかって命を落とした者も、朝鮮に送還された者もいた。そして尹紫遠のように、日本で家族を作って暮らし、戦後を築いた人々がいる。これまで声高には語られてこなかったが、日本列島のいまを生きる私たちが知っておくべき歴史が、ここにある。
密航のち洗濯 ときどき作家 / 宋 恵媛
密航のち洗濯 ときどき作家
  • 著者:宋 恵媛
  • 翻訳:田川 基成,望月 優大,宋 恵媛
  • 出版社:柏書房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(336ページ)
  • 発売日:2024-01-15
  • ISBN-10:4760155562
  • ISBN-13:978-4760155569
内容紹介:
1946年夏。朝鮮から日本へ、男は「密航」で海を渡った。日本人から朝鮮人へ、女は裕福な家を捨てて男と結婚した。貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。朝鮮と日本の間の海を合法的に渡… もっと読む
1946年夏。朝鮮から日本へ、
男は「密航」で海を渡った。
日本人から朝鮮人へ、
女は裕福な家を捨てて男と結婚した。
貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。

朝鮮と日本の間の海を合法的に渡ることがほぼ不可能だった時代。それでも生きていくために船に乗った人々の移動は「密航」と呼ばれた。

1946年夏。一人の男が日本へ「密航」した。彼が生きた植民地期の朝鮮と日本、戦後の東京でつくった家族一人ひとりの人生をたどる。手がかりにしたのは、「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わずかに残された文書群。

「きさまなんかにおれの気持がわかるもんか」

「あなただってわたしの気持はわかりません。わたしは祖国をすてて、あなたをえらんだ女です。朝鮮人の妻として誇りをもって生きたいのです」

植民地、警察、戦争、占領、移動、国籍、戸籍、収容、病、貧困、労働、福祉、ジェンダー、あるいは、誰かが「書くこと」と「書けること」について。

この複雑な、だが決して例外的ではなかった五人の家族が、この国で生きてきた。

蔚山(ウルサン)、釜山、山口、東京――
ゆかりの土地を歩きながら、100年を超える歴史を丹念に描き出していく。ウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』初の書籍化企画。

【洗濯屋の家族】
[父]尹紫遠 ユン ジャウォン
1911‐64年。朝鮮・蔚山生まれ。植民地期に12歳で渡日し、戦後に「密航」で再渡日する。洗濯屋などの仕事をしながら、作家としての活動も続けた。1946-64年に日記を書いた。

[母]大津登志子 おおつ としこ
1924‐2014年。東京・千駄ヶ谷の裕福な家庭に生まれる。「満洲」で敗戦を迎えたのちに「引揚げ」を経験。その後、12歳年上の尹紫遠と結婚したことで「朝鮮人」となった。

[長男]泰玄 テヒョン/たいげん
1949年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校、上智大学を経て、イギリス系の金融機関に勤めた。

[長女]逸己 いつこ/イルギ
1951年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校を経て、20歳で長男を出産。産業ロボットの工場(こうば)で長く働いた。

[次男]泰眞 テジン/たいしん
1959‐2014年。東京生まれ。兄と同じく、上智大学卒業後に金融業界に就職。幼い頃から体が弱く、50代で亡くなった。

【目次】
プロローグ
密航 1946

第1章 植民地の子ども
1 朝鮮 1911‐24
2 日本 1924‐44
3 朝鮮 1944‐46

送還 1946

第2章 洗濯屋の家族
1 尹紫遠 ユン ジャウォン
2 大津登志子 おおつ としこ
3 泰玄 テヒョン たいげん
4 逸己 いつこ イルギ

エピローグ
補遺 密航の時代

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2024年2月17日

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