半島、列島の激動期 揺れた人模様
尹紫遠(ユンジャウォン)は、1冊の歌集と、いくつかの小説作品を残した。紫遠は筆名で、本名は尹徳祚(トクチョ)。1911年に、大日本帝国の植民地であった朝鮮の蔚山で生まれた。本書は、尹紫遠が残した作品、日記、手紙、子どもたちの証言などをもとに、植民地で生まれ、戦後の密航で日本に渡り、在日コリアンとして生きた、ほぼ無名の作家の人生をたどる試みだ。彼が築いた小さな家族の物語でもある。尹紫遠は妻と目黒区で洗濯店を営み、3人の子どもを持った。
本書の内容は、46年の「密航」を境に、その前と後の時代を2章に分けている。日本で苦学して身を立てたいと考えた尹少年は、12歳で単身、海を渡る。植民地出身者への差別、逆境に耐え自力で大人になり、文学に目覚めるが、太平洋戦争中の「徴用」から逃れられると思い込み、44年に朝鮮に戻り、終戦を迎える。
戦後、朝鮮はすぐに38度線で南北に分断された。結局、アメリカとソ連という新しい支配者があらわれたに過ぎず、日本の支配から解放されたはずの朝鮮人にとって、半島は楽園にはならなかった。
いっそ日本なら知り合いもいて、多少の生きやすさもあるかと考えた彼は、最初の妻と共に密航を企てる。これが彼の晩年の小説「密航者の群」の重要なモチーフとなった。当時、日本と朝鮮はともに占領下にあり、密航以外に海を渡る手段がほぼなかったのだ。密航船では彼と妻の運命が分かれる。彼はひとり脱出して海を泳いで日本に渡ることになるからだ。
後半は、密航後、日本女性と結婚した彼の人生に肉薄する。夫婦2人に、子どもも手伝わせての洗濯店の日々は貧しい。貧しさと酒、思うに任せぬ執筆という、私小説作家の日常。夫婦の間には亀裂が入り、互いの出自をののしりあうこともあった。
彼と家族は幾度も、国家が引きなおす国境線や、国籍のルールに翻弄される。植民地生まれゆえに日本国籍者だった尹紫遠は、52年のGHQによる占領の終了とともに国籍を喪失して「外国人(朝鮮人)」となった。彼の2度目の妻となる大津登志子は、日本の裕福な家庭に生まれたが、結婚で日本国籍を失い「朝鮮人」となる。日本生まれ、日本育ちの子どもたちの国籍も、時代状況と、国が決めたルールのために思いがけない変遷をする。
著者らは、尹紫遠が歩いたはずの土地を訪ね歩き、その風景を写真に収め、公的資料や同時代の証言を渉猟しながら、彼の軌跡をあぶり出していく。尹紫遠の残した文章は、私的な日記や創作物なので、事実そのものの特定には至らないこともある。しかし、本書は、膨大な資料の緻密な検証をもとに、もしかしたらこうでもあっただろうかという可能性のひとつひとつを拾い出していく。
そこから見えてくるのは、まさに「密航者の群」でもある。その時代には密航で海を越えた人々がたくさんいて、発覚して捕らえられ、収容所で力尽きた者もいれば、上陸を許されぬまま船上でコレラにかかって命を落とした者も、朝鮮に送還された者もいた。そして尹紫遠のように、日本で家族を作って暮らし、戦後を築いた人々がいる。これまで声高には語られてこなかったが、日本列島のいまを生きる私たちが知っておくべき歴史が、ここにある。