書評
『空想の補助線――幾何学、折り紙、ときどき宇宙』(みすず書房)
文系理系にまたがる世界
著者の前川淳は、天文台のエンジニアであり、かつ折り紙の創作家でもある。その折り紙の代表作で、今から四十年以上も前に発表された「悪魔」という作品は、見る者を驚かさずにはいない。くっきりとした目と鼻、不気味な舌、背中に生えた羽根、両手にはなんと五本の指がきっちりと折り出されている。こんなに複雑な形を、どうやって一枚の紙から折ることができたのだろうと、誰しも不思議に思うはずだ。ただし、本書『空想の補助線』は、折り紙の教本ではない。その副題に「幾何学、折り紙、ときどき宇宙」とあるように、造形に関わる多種多様な話題を配置して、その話題と話題のあいだに思いがけない補助線を引いていく試みである。難しそうに見える幾何学の問題が、一本の補助線を引けばきれいに解決することを、どんな読者も体験しているだろう。あのときに感じた驚きが、本書にはいっぱい詰まっている。そして嬉しいことに、著者の記述は決して抽象的で難解な議論に陥ることがなく、つねに具体的で個別のものや事象に美しさを求める態度で一貫している。
形というものは、わたしたちのまわりにそれこそ無尽蔵にある。わたしたちがふだん意識にとめない、そうした形を、著者はじっと観察する。パスタのレシピではなく、パスタの形に関する考察、そして菱餅(ひしもち)の菱形に関する考察が、こんなに深くまで掘り下げられることが驚きだ。デューラーの名画「メレンコリアⅠ」に描かれた謎の多面体を追って、側面の五角形の比率を求めようとして、美術館で「スマートフォンを出して計算をしはじめ、写真を撮っているのかと疑われ、学芸員に注意された」というくだりは、観察にのめりこむ著者の姿を彷彿とさせて、微笑を誘う。
折り紙は、さまざまな領域にまたがっている。「解けない問題を解く」という章では、有名な角の3等分作図問題が、定規とコンパスでは解けないが、折り紙を使うと解けることが示される。折り紙と数理の美しい関係だ。そして数理だけでなく、著者の好奇心は歴史へ、幅広い教養へと向かう。文学作品への言及が多いのも本書の特徴の一つで、「折り紙は、手芸と工作にまたがるという意味でも、いわゆる理系文系と美術にまたがるという意味でも、年代を問わない意味でも、分野を越境する性格を持っている」と書く著者の基本的な姿勢を実践したものになっている。
実を言うと、評者は詰め将棋の創作を趣味にしていて、詰め将棋の世界と折り紙の世界には共通する部分が多いことを実感させられる。詰め将棋は9×9の将棋盤という狭い場所に駒を並べるだけの組み合わせでありながら、人間の知恵では掘り尽くせないほどの深さがある。それと同じで、折り紙にもわずか一枚の紙から折り出される形には無限の可能性がある。
無窮の星空を仰ぎ見るとき、著者は人間の無力さを痛感しながらも、「無力の自覚ゆえに無力に抗しうるし、自由でもありうる」と書く。詰め将棋の自由さに通じる、折り紙の自由さ。それはとりもなおさず、著者の精神の働きの自由さでもあり、わたしたちはこの自由闊達な『空想の補助線』から思い思いの補助線を引いて楽しめるのだ。