歴史のおぞましさ
久生十蘭の『真説・鉄仮面』がこんなにいい小説だとは知らなかった。いまのいままで読んでいなかったことを後悔しているくらいだ。『鉄仮面』という題では大きな小説が二つある。フォルチュネ・デュ・ボアゴベの別題の小説を黒岩涙香が翻案したものとアレクサンドル・デュマのもの。涙香はさすがに古いのでいまはデュマが流通している。
ルイ十三世の王妃アンヌが双子を産むが、将来、兄弟のあいだで王位争いが起こるのが目に見えているので、弟のほうは宮廷から遠ざけられ、ついには鉄の兜をかぶせられて幽閉されてしまう。その鉄仮面を三銃士の一人アラミスが救出して、いまは王となっている兄とすり替えようと奮闘する。
という話を子供向きにアレンジした本で読んだだけの人が大部分ではないだろうか。まるっきりの作り話と思っている人も多いはずだが、ルイ十四世治下のフランスに、仮面をつけられて三十年間も幽閉されていた囚人がいたことは事実らしい。ただ正体は不明だった。囚人は一七〇三年にパリのバスティーユ監獄で死んだ。
幽閉はされていても王侯の待遇だったという。そのうえに顔を曝(さら)すことを厳禁されていた。国王との双子説が取り沙汰される根拠になったわけだが、どうやらその説はあやしいらしい。
王妃アンヌに双子を産んだ史実がないからだ。その当時は、王妃の出産は公式行事として全廷臣の見守るなかで行われたそうだから、双生児出産の記録や証言がなければ史実を疑う余地はなくなる。
仮面も実際はビロード製だった。それも色は黒と、こっちは記録に残っているそうだから、鉄製の仮面は後世がかぶせたことになる。そういうことは、デュマが小説を書いた十九世紀にはわかっていた。百も承知で、デュマは浮説を使って波瀾万丈の物語に仕立てた。
十蘭が『真説』を書いたのはそれからさらに百年後の一九五四年。囚人の正体をめぐっての諸説は出揃っていた。十蘭という作家は題材を調べつくすタイプだし、ノン・フィクション風の小説もいくつか書いている。
だがここではノン・フィクション的せんさくは捨てて、デュマたちにならって王の双子の弟に鉄の兜をかぶせた。
「これは黒法師という名で知られた兜だ。どうです、よく出来ていることは……食事をするにも、いちいち兜を脱ぐことはいらない。そのくせ、締鋲(しめびょう)に仕掛けがあるので、コツを知らなければ、誰にもはずせないようになっている」
その容赦のなさがなければ鉄仮面物語は成り立たないのだ、と十蘭は悟ったにちがいない。ビロード製では仮面舞踏会になってしまう、とまでは言わなくても、仮面のうしろの人物は放蕩貴族でも小悪人でも間に合う。鉄の兜に顔を覆われなくてはならなかったのは非運の王族でなくてはならない。少なくとも十蘭の鉄仮面は、鉄をはめられることで非運を従容(しょうよう)として受け入れる真の貴人になっていく。
有無を言わせぬ強制力は鉄仮面に関わった人たちすべてに及ぶ。庇護者の一族は悲惨な末路をたどり、幽閉者たちはあたら一生を棒に振る。
デュマは活劇を書き十蘭は運命劇を書いた。囚人の正体はいまだにわからないそうだが、十蘭が鉄仮面のうしろに見てとったのは歴史のおぞましさだ。
表題につけられた「真説」という文字は末尾に至って真価を発揮する。歴史は人間の一存でどうにでもなるみたいなことを書いている本に飽きあきしている人に一読をすすめる。
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